髙橋史朗

髙橋史朗 36 – ユネスコ「世界の記憶」の制度改善とラムザイヤー論文問題

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授

麗澤大学大学院客員教授

 

 

●ユネスコ「世界の記憶」プログラムの制度改善の経緯

 中国がユネスコ「世界の記憶」プログラムとして登録申請した「南京大虐殺」資料が、2015年10月4日からアラブ首長国連邦の首都アブダビで開催されたユネスコ「世界の記憶」国際諮問委員会(IAC)で登録されてしまった。この日本外交の大失態の教訓を踏まえて、9か国が申請した「慰安婦」資料の登録を阻止するために、制度改善をユネスコに働きかけてきた。

 拙著『WGIPと「歴史戦」』(モラロジー研究所)に詳述したが、私は外務省幹部とともに日本を代表する立場で同会議のオブザーバーとして参加し、共同申請資料の問題点を「世界の記憶」の倫理規定や一般指針の登録選考基準の真正性、法の支配、資料の完全性などの技術的問題点の視点から指摘した意見書を全IAC委員とユネスコ事務局に提出した。アブダビから帰国後、自民党外交部会・国際情報検討委員会・日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会合同会議に招聘され、制度改善の必要性を訴えた。

 ユネスコは加盟国からの拠出金で運営されているにもかかわらず、加盟国政府の立場から独立して審議が行われ、「中立性」「公開性」が担保されていない。この点を踏まえて、「世界の記憶」プログラムの「一般指針」と「登録の手引き」を抜本的・包括的に改革する必要がある。そのための働きかけに早急に着手するとともに、首相官邸主導の官民一体となった特命チームを発足させ、登録された「南京大虐殺」文書の検証とユネスコ共同申請を奨励された「慰安婦」申請資料の検証、反論文書の作成に取り組む必要があると訴えた。

 この提言は直ちに実行に移され、まず同年11月に開催された第38回ユネスコ総会に出席する馳浩文科相(当時)に面会して、ユネスコ事務局長に制度改善を強く働きかけていただくよう要請した。日本政府が強く働きかけた結果、2016年4月に開催されたユネスコ執行委員会は「『世界の記憶』の『一般指針』と『登録の手引き』の包括的見直しの決定を『歓迎する』」ことを明らかにし、2018年10月の執行委員会で包括的見直しの「行動計画案」について審議し、Open-Ended Working Group(OEWG)を中心に制度改革の議論が進められた。

 

 

●合意された「世界の記憶」登録プロセス

 1年間の審議を経て、2019年9月10日の第7回OEWG「共同議長による報告書」によれば、以下の登録プロセスが合意された。「世界の記憶」プログラムに誰でも登録申請できるが、各国政府機関を通して提出しなければならない。対立案件については「異議申し立て」ができ、非技術的異議申し立てについては「対話のプロセスに移行」する。

 対話の選択肢は、⑴当事国は自由に決める方式により、期限を設けず対話を行う。その間、登録小委員会は審査を継続するが、審査結果は当事国の同意がない限り対外秘で、それ以上のプロセスには進まない。⑵当事国は仲介者(当事国の同意を得て事務局長が任命)により期限を設けず対話を行う。その間、登録小委員会は審査を停止し、それ以上のプロセスには進まない。各主張がすべて平等に尊重されるように扱われる理由はない。どの主張がより重要であるのか、共有する価値のある主張であるのかを評価することが重要であることが合意された。

 昨年9月から今年の3月まで32人で構成される作業部会が6回開催されたことを踏まえて、ユネスコ事務局から依頼された専門家が「対話」の調整に乗り出した。これは、2015年8月23日に日本の保守系団体が共同申請側との対話を要請する公開状をユネスコに送り、10月19日に慰安婦資料の登録に反対する声明「日本の学者100名の声」がユネスコに送られ、国際諮問委員会に「慰安婦」資料審査の見送りと対話の機会提供を要請したことを受けたものである。

 4月15日に開催されたユネスコ執行委員会で、制度改善案が全会一致で決定され、加盟国は申請内容をめぐって異議申し立てができ、異議が出た申請は関係国が期限を設けずに対話を行うことになった。

 

 

●ユネスコが勧告する「当事者と関係者の対話」

 ユネスコが求めている「当事者と関係者の対話」をどのように行うかについては、慎重かつ綿密な官民一体となった検討会議(申請団体代表、専門家、外務省で構成)が必要である。日本軍が関与した慰安婦制度全般にについて共同申請したのであるから、対話の内容を米戦時情報局心理作戦班日本人捕虜尋問報告第49号の解釈問題に矮小化してはならない。

 同一文書について対話しても合意は困難であり、対話の結果、歴史学上、重要な議論の対象であることがクローズアップされて、将来的な歴史学者同士による史実の検証を可能にするために、「世界の記憶」として保護・保存しようということになりかねない危険性がある。対話を要請した「日本の学者100人の声」の賛同者も「関係者(concerned parties)」に含まれる。「当事者」に対しても、この点についての共通理解を図る必要がある。

「慰安婦の声」共同申請文書の具体的内容については、自ら資料を登録申請し、9か国の共同申請をリードしたと思われる吉見義明氏らの日本の学者グループと「女たちの戦争と平和資料館」(WAM)並びに日米4団体との対話がまず必要になるが、彼らは「歴史修正主義者」を「対話の相手」として扱ったこと自体に「憤りと抗議」の意を表明しており、対話を呼びかけても応じない可能性が高い。

 

 

●ラムザイヤー論文をめぐる公開学術討論の開催を!

 この「当事者と関係者の対話」は、昨年末、慰安婦「性奴隷」「強制連行」説に異を唱えた論文を発表し、論文撤回を求められているハーバード大学のラムザイヤー教授の問題と密接に関係している。同論文の撤回を求める声明には経済学者らが3千人以上署名し、日本国内でも、歴史学研究会、歴史科学協議会、歴史教育者協議会などが同様の声明を出している。

 ラムザイヤー教授は同論文で慰安婦は「女性と売春宿の思惑が一致した年季奉公契約」に基づいており、「問題は朝鮮内の朝鮮人募集業者にあった」と断定している。4月24日に開催された緊急シンポジウム「ラムザイヤー論文をめぐる国際歴史論争」(国際歴史戦研究所主催)に寄せられたメッセージにおいて、同教授は論文撤回を求めるのは「学問の自由」を否定し「学者としての暗殺未遂」を目論む「深刻な重大問題だ」と指摘した。

 麗澤大学のモーガン准教授によれば、論文撤回を求めるアメリカの学会の中心人物の一人は、『敗北を抱きしめて』の著者であるジョン・ダワー教授であり、彼が教鞭をとったウィスコンシン大学はフェミニズム、ジェンダー学の拠点であるという。歴史を男性による女性に対する「性抑圧」や「性支配」というジェンダーの視点から読み替えようという動きが日本学術会議のジェンダー研究者の共同研究によって推進されていることは本連載でも取り上げた。「学問の自由」を否定し、論文撤回を求める異様な声明の背景には、日米共通のジェンダー研究者の一大勢力が存在することを見落としてはならない。

 同シンポで私はラムザイヤー論文をめぐる公開学術討論会の開催を提案したが、慰安婦問題の専門家である拓殖大学の秦郁彦名誉教授は絶対に彼らは応じないだろう、本当のことは彼らもわかっているので、と断言された。

 

 

●独善性・不寛容さの壁の打破が「対話」の課題

 私は平成18年から東京都男女平等参画審議会の委員を務めているが、13団体802名の賛同署名付きで「憂慮声明」が出され、「憂慮する理由」として、「戦後にわれわれが築いてきた民主主義社会の否定者に公の席を与え、その崩壊を早めることとなりかねないと憂慮するのは文字を読むことのできる人間ならば当然のことであろう」と書かれていた。

 日頃「多様性」に「寛容」な社会を、と訴えている人々がいかに独善的で不寛容であるかに驚き、公開討論を配達証明付きで申し入れたが、梨のつぶてであった。北京で開催された世界女性会議でマザー・テレサは、「私には、なぜ一部の人々が、女性と男性は、まったく同じだと主張し、男性と女性の素晴らしい違いを否定するのかが理解できません」というメッセージを送ったが、私もまったく同感である。

 内閣府の男女共同参画会議の議員も4期8年務めたが、就任時には全議員が辞めると言い出して大騒ぎになり、総理と担当大臣が推薦する人事が通らず、政府の少子化対策重点戦略検討会議の委員に横滑りしたこともあった。首相官邸で開催された男女共同参画会議で、女性の割合を3割以上に割り当てる「クオータ制」に反対する欧米の学者の複数の論文を大臣に配布するのを阻止された苦い体験もある。「不都合な真実」の隠蔽を露骨に図る独善性に開いた口が塞がらなかった。

 今日の異様なラムザイヤー叩きにも同様の独善性、不寛容性が感じられる。ユネスコ勧告に基づく「対話」を実現するためには、この壁をいかに打破するかが問われている。

 

(令和3年4月28日)

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