高橋 史朗

髙橋史朗 33 – 「臨床の知」と「科学の知」を融合する道徳教育を目指して

髙橋史朗

モラロジー研究所教授

麗澤大学大学院特任教授

 

 

●3歳までが道徳関連感情の発達の臨界期

 東京家政大学の岩立京子教授によれば、道徳性の芽生えは、生後8、9か月から大人が示す承認・不承認の情動反応の手掛かりから自分に向けられた行動への期待、基準の学びがスタートし、1歳後半から行為の背後にある他者の意図、欲求、感情に気付く「心の理論」の現れの兆しが見られる。2歳の終わりまでに基準が破られることに対して高い感受性を示す内的規範、モラルセンスが現れ、愛着対象から行動の基準を学ぶ。

 1歳後半から2歳代に自分が物事の原因となりうること、評価を受ける存在であるという自己理解や、愛他的自己概念が芽生え、生後1年後、他者に合わせて自己の注意や欲求を活性化したり、抑えたりできる抑制的コントロールが急激に発達する。

 また、情動の芽生え、道徳性の芽生えである道徳関連感情(共感、誇り、恥、罪)は3歳までが臨界期である(図表参照)。

 

 

 

●道徳性の根源「道徳性の芽生え」は2つの「共感」

 脳科学・脳神経倫理学・認知心理学等の科学的知見によれば、道徳的判断力は、他者の感情や表情をしぐさから推測したり、他者の立場に立って感情を理解する役割取得を含む、他者の感情を想像する「認知的共感」(メンタライジング)に近く、道徳的心情は、他者の感情を自分のことのように感じる「情動(感情)的共感」(ミラーニューロン)に近い概念といえる。

 メンタライジングについては、J.G.アレン、P.フォギナー、A.W.ベイトマン『メンタライジングの理論と臨床:精神分析・愛着理論・発達精神病理学の統合』(北大路書房、平成26年)、ミラーニューロンについては、クリスチャン・キーザーズ『共感脳――ミラーニューロンの発見と人間本性理解の転換』(麗澤大学出版会、平成28年)を参照されたい。

 また、神経生理学や神経科学の研究によって、他者理解はミラーニューロンシステムによるダイレクトマッチング(他者の行為と自身の運動表象をマッチさせる過程)によって行われることが分かり、乳児期初期における他者理解のメカニズムが、京都大学の板倉昭二教授らの研究によって検証された。

 適切な向社会的行動を行うためには、発達初期に萌芽的に内在し、環境要因や生育要因等によって形成される「認知的共感」と「情動(感情)的共感」という道徳性の根源である「道徳性の芽生え」を家庭でいかに育み、道徳の授業で子供の発達段階に応じて、この二つの共感性をいかにバランスよく育成するかが今後の道徳教育の最重要課題といえる。

 先進国においては、既に教育の重点が就学前にシフトしてきており、この世界的な流れを受けて、就学前の子供たちの家庭内外の育ちを支えていくために、子供の「発達の保障」という視点に転換し、科学的証拠に基づく幼児教育・家庭教育を構築していく必要がある。このような問題意識から令和2(2020)年8月に「脳科学等の科学的知見に基づく家庭・道徳教育研究会」を立ち上げた。

 

 

●解明された「共感」「道徳的直観」の神経基盤

 この二つの「共感」の神経基盤も社会神経科学の研究によって特定され、扁桃体と眼窩前頭皮質内側部の結合された反応が「道徳的直観」の神経基盤であることも判明した。ジャン・デセティ、ウィリアム・アイクス編著『共感の社会神経科学』(勁草書房、平成28年)によって、いじめ等の攻撃性や向社会的活動と共感とは深い関係にあり、ロールプレイや道徳的ジレンマの討論、積極的傾聴などに教師の共感性を向上させる効果があることが分かった。

 また、共感訓練が自己制御や自己統制の及ぼす効果も明らかになり、弱さに寄り添う「ケアについて学ぶカリキュラム」に参加した小学生は攻撃性が減り、よりポジティブで社会的な行動を示すようになったという。

 ところで、私が「臨床教育学」に関心を持つ契機になったのは、『感性の覚醒』『共通感覚論』の著者でもある中村雄二郎著『臨床の知とは何か』(岩波新書)に出会い、直観と経験を主な構成原理とする「臨床の知」こそが今日の教育を救うと確信するに至ったからである。中村は同書(136頁)で次のように指摘している。

 

〈ひとは経験によって学ぶ〉という諺はほとんど世界の至るところに見出されると言っていいが、この諺は、ギリシャ語では〈TA PATHEMATA MATHEMATA〉直訳すれば、〈受苦せしものは学びたり〉という言い方で言われている。つまりここには、ひとが〈経験によって学ぶ〉のは、ただなにかを体験するからではなく、むしろそこにおいて否応被る〈受動〉や〈受苦〉によってであることが、よく示されている。……その意味するところは、行為は、それに反対するものを顕在化させるので、受苦を被ることになり、それを通して行為者は、ここに高次の認識に達する、ということである。

 

 

●「臨床の知」――「受苦せし者は学びたり」

「科学の知」はヒューマニズム(人間中心主義)、技術文明と結びついて、人類には限りないバラ色の未来が約束されているように思われた。しかし、自然破壊や環境汚染から被害を受けるようになり、1970年代のはじめに、環境汚染が「公害」問題として大きくクローズ・アップされ、1986年に起こったチェルノブイリ原発事故という痛ましい象徴的な災禍を経て、地球環境問題のみならず、病や死の恐怖などの精神的危機をもたらし、〈受動〉〈受苦〉の立場に立たされることになった。

 ところが、そのような新たな事態に対して、現代の〈文明社会〉の人間は、およそ不用意であり、それに対処する知が欠如していた。機械論を原型とする「科学の知」と近代科学技術文明が前提としてきた単純な〈能動〉の立場が、根本的に鋭く問われることになり、「科学の知」は万能ではないことに人々は気づき始めた。私の早稲田大学の卒業論文「脱近代の一考察」はこのテーマについて論じたものである。

 中村によれば、「臨床の知」は西田幾多郎の「行為的直観」の考え方に近く、感性的な「行為的直観とは、物事をもっとも具体的に捉える働き」なのである。西田は『善の研究』において「個人あって経験あるのではなく、経験あって個人あるのである」と述べ、主客が合一した「純粋経験」の立場を強調したが、中村によれば、これはアリストテレスの言う「共通感覚」の立場に他ならないという。

 

 

●「臨床の知」と「科学の知」の融合
――「臨床教育学」の視点を道徳教育に活かす

 私は西田幾多郎の『善の研究』からボルノウの「教育的雰囲気」、中村雄二郎の『感性の覚醒』『臨床の知とは何か』を経て、「臨床教育学」にたどり着いた。

 その後北米のホリスティック教育論、認知心理学、情動学、アドラー心理学などに学びつつ、臨床心理学、カウンセリング理論、教育学を統合するホリスティックな「癒しの教育相談理論」と、ホリスティック臨床教育学の基礎理論と具体的な実践事例を分かりやすくまとめた『癒しの教育相談理論――ホリスティックな臨床教育学』並びに、『癒しの教育相談――ホリスティックな臨床教育事例集』(全4巻)を明治図書から出版した。

 今日の教育荒廃の危機の本質については、人類史的・文明論的危機の全体論的文脈において把握する必要がある。今日の危機をもたらした近代と、その延長線上にある学校と教育学のパラダイムを根本的に見直す必要がある。

 不登校などの子供の「問題行動」の背景には、病める近代文明と近代学校システムなどの根の深い問題が胚胎しており、その問題を素通りして、子供の「不適応」のみを問題視し、現象に現れた「問題行動」に対する「対症療法」にとどまっていた従来の指導の在り方を改めない限り、もはやこれらの問題を根本的に解決することはできない。

 教育現場で次々に生起している新たな課題に従来の教育学が「不適応」になり、学校と教師の「不適応」も深刻化している。それ故に、客観的な観察者ではなく、現象に自ら関わる研究者が教育現場と密接な関係を持ちつつ、自らが切実に主体的に関わっていった体験を基に、そこから得られた知見を体系化、構造化し、理論と実践の往還を積み重ねる中で、様々な分野の研究者、実践者、行政関係者らとネットワークを結び、プラットフォームを作り、脳科学等の「科学の知」と「臨床の知」を融合させる新たな道徳教育学・家庭教育学などを樹立することが求められている。

 

 

●科学的知見に基づく「子育て支援学」
――家庭と連携して「道徳性の芽生え」を育む

 文科省の「情動の科学的解明と教育等への応用に関する調査研究協力者会議」提言に基づく文科省委託事業「子どもみんなプロジェクト」事業成果報告書には、10大学の研究者と8府県8市の連携教育委員会が協働・往還を積み重ねた画期的な成果が収められている。

 同報告書によれば、今後の課題はこの研究成果、とりわけ不登校、いじめ、不安、暴力行為などの生徒指導中心の「予防教育」と「情動教育」プラットフォームを教科教育と家庭教育において如何に展開していくかにあるというが、この「科学の知」に基づく「予防教育」「情動教育」の視点を「臨床の知」で補う、家庭・地域と連携した道徳教育にいかに活かすかが問われているのではないか。

 同事業の成果で最も注目されるのは、「情動発達研究」の研究者と教育者の往還が5年間積み重ねられた結果、科学的知見に基づく「子育て支援学」「メンタルヘルス学」を核とする不登校・不安・いじめの早期発見、早期支援・介入による教員向けの予防プログラムが開発され、その効果が科学的証拠として明示され、立証されたことである。

 大切なのは、問題行動の予防を行う第一次支援であるが、その中で特に重視されているのが「学校風土」である。「学校風土」とは、「教師と児童生徒の学校生活での経験パターンからくるもので、学校の決まり、目標、価値観、人間関係、授業実践、組織体などに影響を与えるもの」であり、好ましい学校風土は子供の行動上の問題を減らすだけでなく、学力の向上にもつながることが報告されている。

 この「学校風土」に深くかかわる「臨床の知」を道徳教育に活かすことが求められている。そのためには、「受苦せしものは学びたり」という弱さに寄り添うケアリングの精神、西田幾多郎の言う「行為的直観」、アリストテレスの言う「共通感覚」を大事にする必要がある。アリストテレスは『眠りと目覚め』において、「感覚の全領域を統一的にとらえる根源的な能力」を「共通感覚」と呼んでいる。

 

 

●「攻撃的風土」から「支持的風土」への転換
――「唯一正解主義」を見直せ

  文科省から依頼されて虎ノ門ホールで行った全国中学校長研修で、子供の詩と青森県の退職校長の会が書き直した詩を読み上げ、どちらの詩の方がよいか質問すると、全員が直した詩の方がよいと答えたので大変驚いた。東京都の中学校長研修でも全く同じ結果であった。校長先生一人ひとりの感性は多様であるにもかかわらず、全員の評価が一致するのは教育現場にはびこる「唯一正解主義」の影響があるのではないか。

 作家の灰谷健次郎、後藤明生、黒井千次、小林秀雄らが、大学入試問題に採用された自分の文章問題と解答を見て、作者の意図に関する「正解」と自分の考えは違うと述べており、同様の感想を私の文章を採用した筑波大学の入試問題にも感じた。「正解を選ぶ選択肢はどの文章でもいいと思った」とか、「自分は0点、50点以下だった」等と嘆いているのである。

 退職校長の会が出版した本には「処方前」と書かれた子供の詩と「処方後」と書かれた書き直された詩が列記されていたが、どう見ても子供の詩のほうが、「イキイキワクワクメッセージ」が込められていて、はるかによいと思われる。退職校長が書き直した理由には、「あれもこれも症候群」「土曜の詩はイルミネーション症」(最後の文章だけが輝いているという意味)などの病名が列挙され、子供の欠点に注目して「減点主義」で欠点を直すことに指導が偏り、子供の「イキイキワクワクメッセージ」に込められた長所やよさを積極的に評価する「陽転思考」が欠落していた。

 中曽根政権下の政府の臨時教育審議会のいじめ問題プロジェクトチームは、いじめの教育的背景は、個人差や間違いに対して許容度が低く、排他的な「学校風土」すなわち「攻撃的風土」にあると指摘したが、決まりきった正解を求める道徳の授業にも同様の問題点がある。子供の多様な感性を受容し、「臨床の知」に立脚したケアリングの精神で「主体的・対話的で深い学び」へと導き、「攻撃的風土」から「支持的風土」へ転換することが求められている。

 明星大学大学院で指導した小学校教師は道徳の授業をビデオに収録し、児童とのやり取りの交流分析を通して、教師の課題を明らかにしたが、教師の発問に挙手をせず悩んでいる表情などから、児童一人ひとりの心に寄り添う「主体的・対話的で深い学び」ができたかを自らに問い直す「臨床の知」が道徳教育には求められる。

 

(令和3年3月19日)

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