髙橋史朗

髙橋史朗 – 実生の苗と挿し木による苗――道徳教育の芯になる核を失うな!

髙橋史朗

モラロジー研究所教授

麗澤大学大学院特任教授

 

 

●子供の探求心と教育目標とのズレ

 ある高校生が読売新聞に、「先生は『強く生きろ』と言うが、なぜ強く生きなければならないかを教えてくれない」と投書した。学年が上がるにつれて子供たちが「学校が楽しくない」と思うのは、自己認識という教育の目的が見失われ、人間の本質に対する子供の探求心と教師の教育目標とがずれてしまっているからではないか。

 道徳教育の諸活動と子供の探求心との間にいかなるズレが生じているかについての本格的な検討が必要である。教育は「自分探しの旅」を助ける営みであるが、自分自身の存在価値や意味を吟味することが、学習活動の原動力になる。

「特別の教科 道徳」の教育目的や教育目標の根底に、「人間とは何か」という人間の本質に対する探究心が明確に意識される必要があるが、現実は果たしてどうか。

 人類の文化の原動力は人類の自己認識であるといえるが、「私とは何か」という自己認識を育てることが「自分探しの旅」を助けることにほかならない。この学習活動の原動力になる教育の原点が「特別の教科 道徳」の教育目的や教育目標としてしっかり踏まえられていなければならない。

 この人間の本質に対する探究心、自己認識という「目的」が道徳教育の内容・方法・評価にわたって一貫した羅針盤になっているかを常に点検する必要がある。

 

 

●小林秀雄・ベルグソン・ハイトの指摘の共通点

 小林秀雄は「直観から分析への道は開けているが、分析から直観へ達する方法は一つもない。これはベルグソンの思想の根本にある考えである」と指摘したが、この指摘は「直観」を象、「思考」を象使いに例えたジョナサン・ハイトの指摘に通じる。

 直観は植物の種子に内在している目的によって、発芽し繁茂をもたらす種子から萌え上がる生命のようなものである。この目的的な種子を核とした直観から分析的な発芽繁茂への道は開けているが、根から切り離した分析からは、目的的な種子の生命という直観へ到達する方法はない。

 これを道徳教育に当てはめて考える必要がある。「考え、議論する道徳」について、ベルグソンやジョナサン・ハイトの指摘に照らして再考する必要があるのではないか。文化の種子を歴史や伝統という土壌から吸い上げることが大切であり、「実生の苗は百年を超えて成長するが、挿し木による苗は百年経つ前に暴風雨で倒れてしまう」のではないか。

 文化の核となる歴史や伝統という根にしっかり根差した道徳教育は実生の樹木のように百年を超えて成長するが、時代の流行を追う挿し木のような道徳教育は、年輪という断面になっていて、芯になる核が失われているために、百年経つ前に暴風雨で倒れてしまう運命にある。

 

 

●歴史・伝統に根差した道徳教育

 5年後に創立100年を迎える「モラロジー道徳教育財団」が推進する道徳教育は、この文化の核となる歴史や伝統という土壌にしっかり根差した道徳教育でなければならない。文化としての歴史性という価値レベルや歴史性の意味という視点から、道徳教育の目的を確認することが大切であり、この目的意識は常に因果関係を尋ねる原理の探求心となり、道徳教育の目的・内容・方法・評価を構造化した道徳教育学を貫く羅針盤となるものである。

 禅の公案集である『無門関』の第8則に「契沖造車」の公案があり、せっかく造った車の車輪と軸を取り除いて、いったい契沖は何を探していたのか、と問うている。車を分解して車の部品をいくら分析しても、「分析から直観へ達する方法は一つもない」のである。部品と部品の間の関係を働きによって成立している車の全体性を直観する以外に、「車とは何か」を認識することはできない。道徳教育も全く同様である。

 文化の種子を歴史や伝統という土壌から吸い上げ、日本人の根っこにある感性、情感の機微やそこに培われた伝統の深い意味性に直接触れさせ、「情動的共感」「認知的共感」を深める感知融合の道徳教育が求められている。

 

 

●人間学的道徳教育の目的・目標構造

 磁針は常に北を指す。不動の指針となるものが「目的」であり、その目的を達成してやまざるために「目標」は様々な位相において設定されるべきものである。船の航海のように、磁針(人間の本質)はいくら北(文化の核となる歴史性)を指していても、課題意識もなく眼前の環境や人間の関係などを見ずに真っすぐに船を走らせたら、船は直ちに暗礁に乗り上げてしまう。

 目的を持って、人・時・処に応じてうまく舵を取ることができなければ、目的を忘れた道草的な航海になってしまう。「目的」から枝分かれした「目標」は学校種別目標・教科目標・学年の目標・単元の目標・本時の目標・学習活動と細分化される有機的な目標構造を持っている。

 しかし、この「目的」と「目標」との最も基礎的な観点が教育の原点となって評価の尺度とならなければ、授業に生きて働く力にはならない。自己に内在する価値や意味を自覚し、幸福になっているか。私が求めているものは何かという人間の本質に対する探求心が道徳教育の課題になっているか。「文化の継承」(文化の持つ有意味性の探求)という観点が希薄になっていないか。主体的、創造的な現実に生きて働く力になっているか。精神的バックボーンとなって価値観を形成し、日本的な感性や共感性を育む道徳教育になっているか、を常に問い直すことが大切である。

 

 

●価値と意味を喪失させた国語教育

 かつて「ゆとり教育」の実施に伴って、教育内容が3割削減され、国語科では新たに「伝え合う力を高める」ことが目標に掲げられ、受信よりも発信、受け身よりも能動へということが重視されるようになった。そのため、能力中心から活動中心へと転換し、文字言語よりも音声言語を重視する傾向が強くなった。音声言語による表現が重視され、文字言語である文学的教材など、人間形成や価値形成、意味形成に役立つ内容が削減されたのである。

 従来の「表現」「理解」という能力主義の2領域から「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」の活動主義の3領域に改め、年間授業時数も大幅に削減し、文学教材などを「読むこと」よりも「話すこと・聞くこと」を重視するようにした。

 しかし、「読むこと」よりも「話すこと・聞くこと」を重視するというのは本末転倒である。人間形成に役立つ教材をじっくり熟読吟味し、その価値や意味への気づきを深めて自らの考えや価値観を形成することによって「話すこと」ができるようになるのであって、「読むこと」という国語教育の基礎・基本を疎かにしてはならない。

 従来のように人物の気持ちや場面の様子を読み取ることには重点を置かず、一人ひとりの子供が自由な学習活動を選択・工夫することによって、「自ら学び、自ら考える力」を高めることを意図したが、文学教材の価値や意味への気づきを深める指導を十分にしなければ、自分勝手な浅い読み取りに終わってしまう危険性が高い。

 このように子供の興味や関心、自由な学習活動を重視する児童中心主義が国語教育にも浸透する一方で、文化の継承という観点が非常に希薄になっている。学習指導要領には国語科で取り上げる教材を選定する観点がのように10項目示されているが、「我が国の文化と伝統に対する理解と愛情を育てるのに役立つこと」に該当する教材は2、3点にすぎず、「日本人としての自覚をもって国を愛し、国家・社会の発展を願う態度を育てるのに役立つこと」に該当する教材は皆無である。感性を育む「詩歌」の扱いは軽く、現代を象徴するともいえる表層的で浅薄なものが多い。

 

 

 

●梶田叡一氏の辛辣な批判

 三省堂の中学校国語の教師用学習指導書によれば、「指導ではなく支援である」授業を目指す、というが、指導と支援を二者択一的に捉える「新しい学習観」こそが問題なのである。指導した上で支援することが求められているのであり、教えない技術の方が教える技術よりもはるかに深くて高度なものであることを見落としてはならない。「教えない」ということは、教えることが完了してから始まることである。

 ちなみに、筆者と同様にこの「新しい学習観」を問題視する、梶田叡一中央教育審議会教育課程部会長は、次のように指摘している。

 子供の自主性自発性の尊重という美辞麗句を掲げて指導を放棄してしまった一部の浅薄で無責任な「ゆとり教育」の再来を許してはならない。「子供中心」という名目で「教え込みをしてはいけない」「指導を排して支援に徹しよう」ということが言われたりした。こうしたことを当時の一部の教科調査官が言って歩き、それに付和雷同する教育学者がまた言って歩き、それをまた教育委員会の指導主事が学校現場に対してうるさく言い、「先進的な」学校や教師がそうした実践を得々として発表する、という時期があった。学校教育に緩みと弛みをもたらした「ゆとり教育」は軌道修正が図られてきた。今回の学習指導要領の改訂は、こうした安易で浅薄な「ゆとり教育」の弊害を克服するという意味を持つものであったことも、決して見落としてはならない。

「主体的・対話的で深い学び」「考え、議論する」道徳教育についても、前述した人間学的視点から根本的に問い直し、道徳性の資質・能力、道徳教育の目的・内容・方法・評価全体を科学的知見に基づいて包括的に見直し、新たな道徳教育学を構築する必要があろう。

 

(令和3年2月18日)

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