髙橋史朗 28 – 知情意のバランスのとれた道徳教育とジェンダーについて再考する
髙橋史朗
モラロジー研究所教授
麗澤大学大学院特任教授
●修士論文「感知融合の道徳教育」の画期的成果
私の問題意識を貫いている3本柱は、道徳・家庭・歴史教育である。4月から本研究所は「モラロジー道徳教育財団」として新たなスタートを切るが、創立100年に向け、「道徳で人と社会を幸せに」するための新たな時代の要請に応える役割の一端を担いたい、と密かに決意している。
2月13日に開催されるモラロジー都道府県青年代表研修会で「家族の絆と男女差別について考える――『選択的夫婦別姓』論議の問題点と思想的背景――」、2月27日に開催される麗澤道徳教育学会で「感知融合の道徳教育」、翌日に開催されるモラロジー生涯学習講座の講師研修会で「道徳教育の今日的課題」について、この3本柱の視点から講演させていただく予定である。
「感知融合の道徳教育」については、日本道徳教育学会で麗澤大学大学院生との共同研究も含めて2年間で4回発表し、理論と実践の両面から掘り下げてきた。このテーマで修士論文を書き上げた土屋康子さん(小学校長・幼稚園長を歴任し、大学や保育士養成学校で教鞭をとりながら研究)は、研究の成果を次のようにまとめている。
第一に、「知情意のメカニズムと道徳性の発達調査から、知は、情や意を伴って初めて生きて働くものである」ことが明確になったこと、第二に、感知融合の道徳教育には体験が重要であること、第三に、体験の設定にはカリキュラム・マネジメントの構築が有効であること、第四に、「体験の重視・活用」「自己統制力の涵養」「対人関係能力の育成」を道標として、私が提唱する「6つの視点」(感じる・気付く・見つめる・深める・対話する・協働し働きかける)を意図的に設定することで、活動や授業の狙いが明確になったこと、第五に、「感謝」や「感動する心・畏敬の念」を深める、「学校オリジナルカルタ」の画期的な取り組みによって、「日本人の内なるリズムを体験する活動が、道徳規範(律)を高める」ことを明らかにしたこと、などである。
●「情動研究会」で学んだ知情意の関係
「知は、情や意を伴って初めて生きて働くものである」ことを私が最初に学んだのは、平成18年に開催された第1回日本情動研究会であった。この研究会は京都大学の船橋新太郎教授を座長として開催され、平成23年から「日本情動学会」に発展した。
脳における知的な処理は大脳新皮質において行われているものと考えられてきたが、近年の情動研究によって、「情」と「意」がマスター(主人)で、「知」はスレイブ(従僕)であることが判明したという。「意」の要件としては、「行動を反映した活動」であること、「選択された活動」であること、「ある程度の持続性」が保障されていること、さらに、「行動の実行を促進する作用」があること、が列挙され、「意」は気持ちの状態なので、「意」に基づいて行動の実施のタイミングは画一的に決まるのではないことが研究会で確認された。
知情意の関係を情動学・脳科学的に考察すると、大脳新皮質主導で「意」の処理が行われ、経験と共に「情意」に沿った「知」が形成され、「知」に基づいて「意」の形成手法が獲得される。
私が「感じる・気付く・見つめる・深める・対話する・協働し働きかける」という「6つの視点」を提唱したのは、こうした情動学研究の最新の研究成果を道徳教育に活用し、道徳性の3つの資質・能力の3本柱である「道徳的心情・道徳的判断力・道徳的実践意欲と態度」の3側面(認知的・情意的・行動的側面)を構造的に捉えて学習指導過程の中に位置付け、知情意のバランスのとれた道徳教育の実践化を図る必要があると考えたからである。
土屋さんが同修士論文において、体験の設定とカリキュラム・マネジメントの構築の重要性に注目して、ロールプレイ(役割演技)を取り入れた道徳授業の重要性を強調しているのも、これらが児童生徒の「道徳的実践意欲と態度」に直結するからといえよう。同じく「感知融合の道徳教育」のテーマで修士論文作成を目指している1年生の林修也さんは「動作化」を道徳授業に取り入れることによって、知情意のバランスのとれた道徳の授業改善を目指している。
いずれも道徳教育の理論と実践の今日的課題に取り組む先駆的研究として画期的意義があると思われる。昨年発足した「麗澤道徳教育学会」の若き研究者の新たな道徳教育学の樹立に向けた共同研究を今後もサポートしていきたい。
●「時速320キロ」で世界に広がった森喜朗失言
ところで、『正論』4月号(3月1日発行)には「フェミニズムに狙われる歴史教科書」、『歴史認識問題研究』第8号(3月末発行)には30頁に及ぶ「日本学術会議の歴史認識・歴史教育・ジェンダー分科会提言の今日的影響と問題点」というテーマで論文を書いた。
フェミニズムやジェンダー問題に切り込むことは、産経新聞でも部落問題と同様にタブー視されていると元論説幹部から伺ったことがあるが、「ジェンダー平等」に無神経な森喜朗氏の失言の波紋が海外に「時速320キロ」のスピードで急速に広がっていると外国メディアは報じている。
男尊女卑の悪しき風潮は制度・意識の両面で断固として排除しなければならないが、埼玉大学の長谷川三千子名誉教授が『正論』平成18年3月号「ジェンダーなんか怖くない!」で指摘しているように、「『ジェンダー』という言葉を、そろそろフェミニスト達から奪い返す時が来た」といえる。詳しくは、拙稿(『歴史認識問題研究』第8号論文)を参照されたい。
「ジェンダー」とはいうまでもなく、「社会的・文化的に形成された男女の性差」を意味する。「セックス」に基づく「自然的、生物学的な性差」は解消できないが、「ジェンダー」は後天的なもので社会的に解消できると考えられている。ここに男女の性差を「常に男性が支配し、女性は抑圧・搾取・差別される構造を持つ」というマルクス主義に根差した発想が加わると、人間社会にある「男女の性差」、つまり「ジェンダー」は、すべて指弾の対象であり、解消されるべき対象と捉えられてしまう。男女の関係が一律に「支配」「被支配」の対立関係と規定され、ジェンダーは階級闘争の具と化してしまうのである。
●犬養道子の本質的な問題提起
最後に、犬養道子『男対女』(中公文庫)を引用して、本稿を締めくくりたい。
<家族主義的ものの見方や考え方においては、「母」「女性」は大きな評価を受けるものであり、……イザナギ・イザナミの伝説に示されたような、男女差別をしない同格視の伝統……ユネスコ図書館の修める世界古典文学大系中、唯一の日本代表作品として訳され……小説の起源が女性によって創造され、エッセイの最古最高のものがこれまた女性を作者としている国は、他に一つもないからである。……日本人が女性を特別視する性情を最も深い心底において持っていなかったことの一つの証明でもある。古来、人間の体験と知恵が「より女性に適する」としてきた任務のいくつかが、新しい価値を帯びて浮かび上がるように思われる。育児。その前提である妊娠と出産。教育。食事を整え、居心地よい住み家をつくり上げる仕事。ウイメン・リブの一派は、それらを女性のハンディキャップと見做して、そこからのリブ(解放)をとなえる。……いのちを胎内にはらみ、新しい人間をひとりこの世に送り出し、その人間を育て上げ、日々食べさせて生き永らえさせ、内的生命をも開花させるということの、何と恐ろしいまでに大きな仕事であることか。……永遠に女性的なるものの讃歌はそこに含まれている。そしてそれは実在の讃歌でもあるのである。……女性の社会への進出や、社会的地位の向上、差別なき賃金等を論じるにしても、ただ、男性を標準として『戦いを挑む』のではなく、男性と異なる女性の特質をよりよく引き出す、もっと積極的具体的な発想法を打ち立てねばならない>
(令和3年2月9日)
※髙橋史朗教授の書籍
『日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質』
『家庭で教えること 学校で学ぶこと』
『親学のすすめ――胎児・乳幼児期の心の教育』
『続・親学のすすめ――児童・思春期の心の教育』
絶賛発売中!
※道徳サロンでは、ご投稿を募集中!