西岡 力

西岡 力 – 道徳と研究15 拉致を暴いた家族の愛

西岡力

モラロジー研究所教授

麗澤大学客員教授

 

●世界規模での拉致が明らかに

 北朝鮮による拉致問題は家族の愛とテロとの戦いだと、私は20年以上その渦中にいる中で感じている。平成18(2006)年1月私はマカオに行った。そこで、1922年生まれの今82歳になるマカオ人の拉致被害者孔令譻(コウ・レイイン)さんのお父さんに会った。1978年に娘である孔令譻さんがいなくなった。その時はお父さんは中国本土にいた。すでにその時、お母さんと弟さんとその孔令譻さんの3人は文革のひどい弾圧を避けてマカオに逃げたが、当時教員だったお父さんは逃げずに文化大革命下の中国本土に残った。マカオの3人家族はお父さんがいないため、弟さんを大学に行かせるためにお姉さんの孔令譻さんが大学進学を諦めて、宝石店に勤めながら、観光ガイドのようなこともやりながらおカネを稼いでいた。そこに日本人を名乗る男が2人現れて、チップを沢山やるからガイドをしてくれと言われ、海岸まで連れて行かれた。そこにボートがあって、「そのボートで海を見て回りましょう」と言われて、乗ったところを沖まで連れて行かれ、工作船に乗せられて、北朝鮮に拉致された。家族はその孔令譻さんのことを忘れることなく、ずっと探していた。

 その孔令譻さんの消息が最初に分かるのが昭和63(1988)年。大韓航空機爆破事件の次の年だ。実はその年に韓国と日本で一冊の本が出る。『闇からの谺(こだま)』という本だ。韓国人の拉致被害者で昭和53(1978)年に拉致されて、昭和61年(1986)に自力で逃げ出した映画女優がいる。崔銀姫(チェ・ウニ)さんという方だが、彼女を金正日が連れてこいと命令して拉致された。その女優と、やはり拉致された夫である映画監督の申相玉氏が1冊の本を書いた。その中で、崔さんがマカオでいなくなったその女性、ミス孔と一時期、隣の招待所で暮らしていた、と書いた。具体的な家族関係などがそこに書いてある。いなくなった孔令譻さんの情報と本に書いてある情報がぴったり一致して、拉致されたことがほぼ間違いなくなった。

 しかし家族は名乗りでなかった。日本の家族も実はその時は名乗りでなかった。日本でもマカオでもその時には家族会はできていなかった。同じ1988年、大韓航空機爆破事件で田口さんの拉致が明らかになったが、田口さんの家族は、当時、養子として育てていた田口さんの二人の子供たちが中学生で思春期だったため、お母さんがテロリストの助けをしたというようなことになって、マスコミにインタビューなどされたら可哀相だからと、表に出ないことを決めた。

 そして何も起きず、それから10年経って、平成9(1997)年に横田めぐみさんの拉致が明らかになって、日本では家族会の運動が始まる。5年間の運動の結果、平成14(2002)年10月、蓮池さん夫妻、地村さん夫妻と曽我ひとみさんの5人の被害者が帰り、平成16(2004)年にはひとみさんの夫のジェンキンスさんらが帰ってきて、翌17(2005)年ジェンキンスさんが本を書いた。

 その本の中にタイ人が拉致されているという情報が入っていた。ジェンキンスさんと同じ立場の脱走米兵が4人いて、その奥さんが全員拉致被害者だ。1人は曽我さんで日本人だが、あと3人はタイ人とレバノン人とルーマニア人だった。そのタイ人女性、アノーチャーさんについて詳しく書いた。それがタイのテレビに出た。そのタイ人女性の父がタイの田舎でずっと娘の帰りを待っていた。しかし、ジェンキンスさんの本が出る数か月前に亡くなってしまった。アノーチャーさんのお兄さんが名乗り出て、妹アノーチャーが1978(昭和53)年にマカオに出稼ぎに行っている途中で失踪していると証言した。私たちがタイを訪れお兄さんから詳しく話を聞いた結果、そのアノーチャーさんの情報と、ジェンキンスさんが本に書いた拉致されたタイ人の情報がぴったり一致していた。

 ところでマカオでアノーチャーさんが失踪した日に、マカオ人の女性も失踪している。同じ日にタイ人女性1人と2人のマカオ人女性が失踪していると当時の新聞などに出ていた。その失踪したマカオ人女性の1人が孔さんだったのだ。ジェンキンスさんの本が出てアノーチャーさんの存在が明らかになったことによってもう一度マカオで、韓国人拉致被害者の書いた著書によって明らかになった孔さんの拉致が問題になり、そこで家族が決断をして、平成17(2005)年11月に香港の新聞に初めて名乗り出た。お母さんは孔令譻さん拉致の後に亡くなっていて、その後、お父さんは本土からマカオに来ることができ、お父さんと弟さんが名乗り出た。

 そのニュースを知った私は、平成17年12月韓国に飛び、その映画女優の崔銀姫さんに会うことができた。実は金正日のテロなどを恐れて身を隠していたのでなかなか連絡が取れなかったが、探し出すことができた。そこで孔さんの具体的な情報、本に書いてあることや書いていないことを聞いて、それをもって平成18年(2006)1月マカオに行って孔令譻さんの家族に会い、失踪した孔令譻さんの家族だけが知る情報と崔銀姫さんから聞いた孔令譻さんに関する情報がぴったり一致することを確認できた。たとえば、崔さんは孔令譻さんから自分のカソリックの洗礼名はマリアだと聞いていた。それを私が孔令譻さんの家族にぶつけたところ、家族の中でカソリック信者は孔令譻さん1人だったため、その席では家族は孔令譻さんの洗礼名を知らなかった。後日マカオの家族から届いた連絡によると、孔令譻さんが通っていたカソリック教会に確認したところ、彼女の洗礼名はマリアだった。

 

 

●家族は、1日たりとも忘れず探し続けた

 こうやってパズルのような情報が1つずつ合わさって金正日の完全犯罪に近かったような世界規模の拉致が明らかになっていった。それを明らかにできた一番大きな理由は何かというと、いなくなった人を被害者家族が忘れていなかったということだ。蓮池さんたち5人の拉致被害者が帰ってきた直後、当時の美智子皇后陛下は、

「小泉総理の北朝鮮訪問により、一連の拉致事件に関し、初めて真相の一部が報道され、驚きと悲しみと共に、無念さを覚えます。何故私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません。今回の帰国者と家族との再会の喜びを思うにつけ、今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり、その一入(ひとしお)の淋しさを思います」

という御言葉を下さった。
 日本やタイ、マカオの社会全体は美智子皇后の御言葉どおり「この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかった」が、家族は違った。愛を持って1日たりとも忘れず探し続けていた。

 タイ人拉致家族もマカオ人拉致家族も口には出せなかったかもしれないが、いつも被害者のことを忘れていなかった。タイ人のアノーチャーさんの亡くなったお父さんは、亡くなる時までアノーチャーさんの大きく引き延ばした写真をベッドに置き、アノーチャーと言い続けていた。チェンマイ市から車で1時間くらいかかる農村にあるご自宅に伺うと、亡くなる直前までベッドに置いていたという大きく引き延ばされたアノーチャーさんの写真があった。だから、タイのテレビがジェンキンスさんの本を引用して「タイ人女性が北朝鮮に拉致されている」という報道をしただけで、家族はアノーチャーだということがわかったのだ。

 マカオの家族も、昭和63(1988)年に崔銀姫さんの本が出ていたから、孔令譻さんが拉致されたということについてある程度分かっていた。しかし、誰も助けてくれる人がいない。ただ忘れていなかった。弟さんにしてみれば、自分を大学にやるために、進学をあきらめてホテルの宝石店で働いてくれたお姉さんが今でも助けを求めているかもしれないのだ。忘れられるはずがない。崔銀姫さんは、マカオの孔さんと「どちらか1人が外に逃げられたらば、お互いのことを話して、助けよう」と誓い合ったと聞いた。だから、東ヨーロッパでの映画ロケで隙を見て脱出に成功した後、すぐ本にも孔令譻さんのことを書いた。その後も拉致について証言するというのは、金正日を批判することになるから、身辺の危険があるが、私にも会って証言してくれた。

 家族は拉致された被害者を絶対に忘れていなかった。必死で探し続けていた。だから、パズルのような情報が少しずつ集まって世界中で多くの無辜の民が拉致されているということが明らかになった。家族の愛は北朝鮮の拉致というテロに負けなかったのだ。私はその証人だ。

 

(令和3年1月28日)

 

 

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