髙橋史朗 27 – 古稀を迎えて心に残っていること
髙橋史朗
モラロジー研究所教授
麗澤大学大学院特任教授
●70年の人生を振り返る
今年、古稀を迎え、3月に麗澤大学大学院特任教授を定年退職し、4月からは同大学院客員教授として、引き続き「臨床教育と道徳教育」を担当することになった。3年間大学院でこの科目を教えて最も嬉しいことは、私が目指す「感知融合の道徳教育」を修士論文のテーマにして、脳科学等の科学的知見に基づく道徳教育の授業改善に取り組む大学院生が2人生まれたことである。研究・教育・実践の3本柱がみごとに実っていく姿に日々感動を新たにしている。また、大学の研究室を引き続き使用しても良いと許可していただいたことにも深く感謝したい。
70年の人生を振り返ると、いくつかの節目があったように思われる。30歳で米大学院に留学したこと、34歳で政府の臨時教育審議会の専門委員になり、3年間毎週3時間、総理府での教育改革論議に参画し、香山健一学習院大学教授(元全学連委員長)等と熱い論議を交わしたこと、39歳で神奈川県の登校拒否対策協議会の専門部会長になり、松下政経塾の講師として「志審査」という入塾審査を担当したこと、48歳で自治省(現総務省)の青少年健全育成調査研究委員会の座長、50歳で師範塾塾長(東京・埼玉・大阪・福岡で10年以上理事長を務めた)、52歳で「民間教育臨調」運営委員長、54歳で「感性・脳科学教育研究会」会長、55歳で親学推進協会理事長、56歳で埼玉県教育委員長、62歳で内閣府の男女共同参画会議有識者議員(4期8年)などを歴任してきた。
●フリースクール・少年院・教護院から学んだこと――「大人が変われば、子供は変わる」
「臨床教育と道徳教育」という私の専門領域のベースになったのは、神奈川県で登校拒否対策の根本的見直しに着手し、全国のフリースクールや少年院・教護院の現場を徹底的に行脚して、「目から鱗」の実践に学んだことにあった。とりわけ極悪非道の非行少年たちがみごとな立ち直りを見せている横浜の「仏教慈徳学園」で、「私は非行少年たちの人格を疑ったことはない。みんな良くなろうとしている。その内なる善性(道徳性)を親や大人が“観る”ことが大事だ」と語ってくださった花輪次郎先生との出会いが、「大人が変われば、子供は変わる」という信念となり、自治省の青少年健全育成施策の基本理念となってスローガン化した。
『臨床教育学と感性教育』という著書を玉川大学出版部から刊行して、同大学院の修士・博士課程で「臨床教育学」を長年担当し、杉並区の山田宏区長(現参議院議員)からの依頼で、杉並区生活マナー・しつけ読本編集委員になって、2年間道徳教育の副教材作成に深くかかわったことが、「臨床教育学」と道徳教育を関連付けて研究する契機となった。
道徳教育を脳科学から見直す問題意識を育ててくれたのは、日本財団で公開セミナーを連続開催してきた「感性・脳科学教育研究会」であった。同研究会を立ち上げるきっかけとなったのは、UIゼンセン同盟の幹部が「日教組に代わる新たな教員組合」を結成するための相談に来られたことにあった。
「時代が求めているのは労働組合ではなく、教師が元気になるエンパワーメント研修を行う教員研修団体だ」と説得して、UIゼンセン同盟が事務局を担ってエンパワーメント研修を行う「感性・脳科学教育研究会」が発足した。UIゼンセン同盟とのご縁を繋いでくださったのは、臨教審第1部会でご一緒した金杉秀信委員であった。
●教員・親向け研修プログラムの開発
同研究会で文部科学省の「情動の科学的解明と教育等への応用に関する調査研究会議」事務局の実質的責任者であった課長から最新研究状況について報告していただき、本格的な脳科学研究に着手した。これが平成24年に文科省「情動の科学的解明と教育等への応用に関する調査研究協力者会議」に格上げされ、10大学16教育委員会が連携して「子どもみんなプロジェクト」(いじめ対策など生徒指導推進事業「脳科学・精神医学・心理学等と学校教育の連携の在り方」)を5年間積み上げ、教員向けのいじめ、不登校、発達障害予防を目指した、科学的根拠に基づく研修プログラムが開発された。
この成果を家庭教育に活かし、親向け研修プログラムとして継承発展させていくことが今後の重要課題といえる。こうした問題意識から、この3年間「脳科学等の科学的知見に基づく道徳教育」の理論と実践について研究を深め、論文「脳科学から道徳教育を問い直す――新たな道徳教育学の樹立を目指して⑴――」(『モラロジー研究』第84号)、「感知融合の道徳教育についての一考察」(『道徳教育学研究』創刊号記念論文)作成と研究発表(日本道徳教育学会で4回)に打ち込んできた。
そして、昨年から「脳科学等の科学的知見に基づく家庭・道徳教育研究会」を立ち上げ、一流講師を招いて月例研究会を開催しているが、来年から科研費の申請も行う予定である。
モラロジー研究所創立百周年を迎える5年後までに「脳科学等の科学的知見に基づく道徳教育学」の理論と実践について世に問いたいと思っている。まず家庭教育についてまとめ、『家庭教育原論』(仮称)として、モラロジー研究所から出版する準備を進めている。
●幻の岩崎弥太郎記念「三菱総合学園」設立計画
ところで、70年の人生を振り返って一つだけ心残りなことがある。それは、臨教審専門委員時代に、三菱総合研究所の中島正樹社長・相談役が明星大学の私の研究室を訪ねてこられ、開口一番「髙橋先生にお願いがあって参上しました。三菱総合学園(幼稚園から大学まで)の設立計画書を持参したので、お目通しいただき、明星大学を辞めて「学園長」を引き受けていただけないか。すでに八王子の土地も用意している」と熱弁を振るわれた。
初対面であったが、そのお話しぶりから人格と識見の高さが伺われ、心を揺り動かされたが、34歳で政府の臨教審専門委員に選ばれ新進気鋭の教育学者ともてはやされ傲慢になっていたこともあって、設立計画書に一瞥もしないで、「申し訳ありませんが、私は三菱のために働くつもりはありません。お断りいたします」と即答してしまった。
早大大学院の指導教授で仲人でもある明星大学の児玉三夫学長の下で大学創立20周年記念事業として立ち上げた「戦後教育史研究センター」の研究事業を途中で放り出す訳にはいかないという想いから即答したわけであるが、今から思うと、設立計画書に一瞥もせずに断ったことは随分失礼千万であったと思う。「あなたが引き受けて下さらないなら、この計画は断念します」と言い残して退出されたが、古稀を迎え、もし岩崎弥太郎記念「三菱総合学園」が実現していたら……という想いが胸を去来する。
また、米留学の研究成果に最も早く注目されたソニーの井深大名誉会長から直接お電話があり、ソニーの幹部30人を集めるから、GHQの天皇処理政策と教育勅語の廃止過程について講演してほしいと依頼された。会場に着き、講演を始めようとすると、参加者全員が月刊誌に掲載された拙稿を予め読んでいるので、最初から3時間質問したい、と言われて驚いた。実に鋭い質問ばかりで、学会の質疑応答よりも緊張した。度肝をぬかれたのは、講演直後に井深氏が別荘に籠もられ、私の研究成果をベースにして、『あと半分の教育』という著書を書かれ、秘書の方がその原稿をチェックしてほしいと我が家に持参され、お礼はソニーの製品の中から自由にお選び下さい、と言われたことである。教育基本法と教育勅語は補完併存関係にあるという、教育基本法制定当時の日本側の立法者意思に反して、GHQが口頭命令で勅語廃止を強制したために、セットであった「法と道徳」の道徳が否定された結果、「あと半分の教育」になってしまったという趣旨である。
三菱とソニーの経済界のトップが戦後教育から不当に排除された道徳を取り戻す必要があることを力説した私の実証的論文に最も早く注目されたことは、「道経一体」の先覚者と言えるのではないか。道義国家から経済至上主義国家になってしまった原因についての根本認識を共有されていたからである。
●昭和天皇に手渡された拙著――田中龍夫文相からの手紙
もう一つ忘れられない出来事がある。昭和天皇の御在位60年のお祝いが皇居で行われた折に、田中龍夫文相が参内され、昭和天皇、侍従長、式部官長のために拙著を3冊届けたという、次のような毛筆の長文のお手紙をいただいたことである。私が在米占領文書の中から発見した、伊藤たかという杉並区に住むご婦人がマッカーサーに毎日血書を認め、「天皇を裁判にかけないでください。その代わりに私の命を差し上げます。天皇に戦争責任はありません」等と訴えた直訴状がマッカーサーに大きな影響を与えた事実を紹介した拙著を昭和天皇にも御覧いただくために参内されたわけである。このことは天皇・上皇両陛下に私がお目にかかった折に直接お伝えさせていただいた。
(前略)敗戦に際し筆舌に尽くし難い御苦労を遊され身を挺して戦後の青少年教育再建に心を砕かれて居られる陛下にも当時米軍側が如何なる考えを持ち、文書を往復して居りたるか御承知も給り度十一月十日御在位六十周年の御祝いに参内を致したる折、徳川侍従長及び安倍式部官長にお会い致し先生の御労作三部を差し上げ御覧頂く様にお願いして参りました。
教科書を考える会の会長の林健太郎氏に尊台の御労作の話を致したる時に流石彼は既にお読みになり居り大変に勉強され居ることを賞賛されて居られました。(後略)
十一月十五日
●18歳と81歳の違い
最後に蛇足になるが、ロサンゼルスで月刊誌『致知』の読者である木鶏クラブの創立記念講演をした折に、会食した寿司屋さんに貼ってあった、長寿番組『笑点』の大喜利コーナーで出されたお題への回答を記した『18歳と81歳の違い』という以下の文章に、思わず吹き出してしまった。81歳以上の参加者が多かったからである。
・道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳
・心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳
・偏差値が気になるのが18歳、血糖値が気になるのが81歳
・受験戦争で戦っているのが18歳、アメリカと戦ったのが81歳
・恋に溺れるのが18歳、風呂で溺れるのが81歳
・まだ何も知らないのが18歳、もう何も覚えていないのが81歳
・東京オリンピックに出たいと思うのが18歳、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81歳
・自分探しの旅をしているのが18歳、出かけたまま分からなくなって皆が探しているのが81歳
・ドキドキが止まらないのが18歳、動悸が止まらないのが81歳
・恋で胸を詰まらせるのが18歳、餅で喉を詰まらせるのが81歳
・早く「二十歳」になりたいと思うのが18歳、できることなら「二十歳」に戻りたいと思うのが81歳
明治天皇がウサギ狩りをされた聖蹟桜ヶ丘の地を離れ、通勤時間が半減(南柏駅まで1時間)する明治神宮の近くに2月に引っ越し、70代という人生の黄金期の新たなスタートを切るが、明治神宮の武道場「至誠館」では毎朝6時半から武道の朝練が行われているので参加しないかという。元オリンピックの女子マラソンランナーからはユニフォームが送られてきて、皇居1周ジョキングに参加しないかと誘われている。教え子の2人の小学校教師からは、コロナ騒ぎが収まり次第、ホノルルマラソンに夫婦で一緒に参加しようという熱い年賀状が届いた。哀れな81歳にならないように、夢と志と体力あふれる最後のご奉公に努めたい。
(令和3年1月13日)
※髙橋史朗教授の書籍
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