西岡 力 – 道徳と研究14 北朝鮮による日本人拉致問題と私の関わり
西岡力
モラロジー研究所教授
麗澤大学客員教授
●平成3年、拉致問題について執筆
前回まで「道徳と研究」という大きなテーマの下、主として日韓関係、特に慰安婦問題などに関する私の研究遍歴を振り返ってきた。
今回からは私の研究におけるもう一つの大きなテーマである「北朝鮮による日本人拉致問題と私の関わり」について、道徳と研究という観点から振り返りたい。
私は日本人の学者として一番先に、日本人が多数拉致されているという論文を書いた。だから、拉致問題の専門家と言える。私がその論文を書いたのは今は廃刊になった『諸君!』という文藝春秋から出ていたオピニオン雑誌の平成3年(1991)3月号だった。今回はその時のことを書く。
そのころ私は現代コリア研究所という民間研究所で、そこの機関誌である『現代コリア』の編集長をしていた。同研究所は、韓国と北朝鮮の問題についてどちらかの立場に立つのでなく、あくまでも日本人の立場で是々非々で論じるという方針を立てていた。そして、大変貧乏で年間10冊の機関誌を出すのが精一杯、それも原稿料を払うことができない状態だった。
私が編集長していた時代の編集部は、東京都内の地下鉄駅から歩いて10分程度の古いビルの3階部分だった。1DKの狭い間取りの中、かたづけることをしない怠け者の私がテーブルのかなりの部分を占領し、床や棚に未整理の資料とごみがまき散らされていた。
平成3年、私は拉致問題に関する原稿を書くため、当時の編集部に泊まり込んだ。めぐみさんの拉致が判明して家族会・救う会が結成される6年前のことだ。そのとき、編集部の棚にあった1970年代の資料ファイルをひっくりかえしながら、私は日本人拉致被害者が少なくとも16人いることを明らかにした。
●30年後の今でもほとんど事実関係に遜色なし
同論文のその部分を引用しておく。
ここで実名を出していない方が多いのは、当時、家族らが北朝鮮にいる被害者の身の安全を考えて、実名公表をしていなかったなどの事情による。
① は1963年に近海で漁業操業中に拉致された寺越昭二、寺越外雄、寺越武志さん。
② は、1978年7月に福井県で拉致されて2002年に帰国を果たした地村保志さん、浜本富貴恵さん。同じく78年7月に新潟県で拉致され2002年に帰国した蓮池薫さん、奥土祐木子さん。78年8月に鹿児島県で拉致されまだ帰国できない市川修一さん、増元るみ子さん。
③ 小住さんは北海道から1960年代に上京した後、消息不明になっていたが、北朝鮮工作員崔スンチョル(自称)が1979年に小住さんになりすまして旅券と運転免許を作ったので、そのころ、拉致された疑いが濃厚。警視庁公安部は1985年に「西新井事件」として崔スンチョルらを摘発したが、崔は国外に逃亡した。なお、政府は現段階で小住さんを拉致被害者として認定していない。
④ 1977年9月、久米裕さんは北朝鮮工作員の手下となっていた在日朝鮮人李秋吉にだまされて石川県の海岸で拉致された。李秋吉は現場近くの旅館で逮捕され、自宅から北朝鮮との連絡に使った暗号解読表などが押収されたが、検察により不起訴処分になった。
⑤ 1980年6月、原敕晁さんは当時勤めていた大阪の中華料理店の経営者らにだまされて宮崎の海岸で拉致された。
⑥ 1978年6月頃、拉致された田口八重子さん。拉致当時、2歳の娘と1歳の息子がいた。大韓航空機爆破事件犯人の金賢姫の日本人化教育の教官をさせられた。金の証言で拉致が明らかになる。
⑦ 1980年代初め、北朝鮮に逃亡したよど号ハイジャック犯人の日本人が朝鮮労働党の手先になってヨーロッパで日本人留学生を拉致した。1980年松木薫さんと石岡亨さんがスペインで拉致され、1983年イギリス留学中だった有本恵子さんがデンマークで拉致された。
現在、日本政府は17人を拉致被害者として認定している。私が1991年の時点で書いた、この16人のうち、12人がそこに含まれている。①と③の合計四人がまだ認定されていないが、①は拉致されたことが間違いないし、③は殺人か、病死の可能性が残っているので拉致に認定に至っていない。つまり、私の1991年の論文は今の時点で読んでもほとんど事実関係に間違いのないものだった。
この論文を書きながら私は、さまざまな情報を総合すると、日本人を拉致して工作員を日本人化し、その工作員に航空機爆破などのテロを行わせて、北朝鮮の国家犯罪を隠蔽しつつ日韓関係を悪化させるという残虐でずる賢い拉致工作を命令したのは、当時、後継者に指名されて工作機関を掌握した金正日ではないかという結論に到達した。それで論文に次のように書いた。
●自らの命の危険も顧みず……
当時はパソコンどころかワープロも一般化しておらず、私は鉛筆で原稿用紙に論文を書いていた。ちょうど、深夜の3時頃だった。締め切りを過ぎているので翌朝までにファックスで送らなければならない。そのとき、恥ずかしいことだが、拉致というテロが金正日の命令によって起きたと書いたら、書いた私が日本国内でテロに遭うかもしれないと本気で怖くなり、手書きの原稿のその部分を消しゴムで消した。確かに、当時、拉致問題を告発することは大きなタブーだった。
この論文が世の中に出た後、完全に世の中からは無視された。しかし、北朝鮮問題を担当している公安関係者、防衛関係者、外交関係者などから真面目な顔で身の危険は無いですか、という質問を何回か受けたことを覚えている。また、匿名の「殺してやる」と書かれた脅迫状を受け取りもした。
消しゴムで金正日の命令部分を消した直後、現代コリア編集部の天井をネズミが大きな足音を挙げて走っていった。当時の編集部が入っていたビルは大変古く、天井にネズミが住んでいた。そのネズミの足音を聞いて私は「俺は一人ではないのだ」と思い直し、消しゴムで消した部分をもう一度元に戻した。現代コリア編集部の天井に住んでいたネズミは、私が目の前に悪を見ながら、見てみないふりをする卑怯者にならないですんだ恩人(?)なのだ。
拉致問題に関わり続ける中、人間の力を超えた何か大きな力が、このような悪を見過ごしてはならない、知った者が先に戦えと後押ししているとしかいいようのない不思議な体験を何回もした。そのような体験の中で私は、この世でなすべき善がある、戦うべき悪があると感じざるをえなかった。これが私にとっての道徳だ。これから何回か、その体験をお伝えしたい。
(令和2年12月10日)
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