エッセイ

金子正人 – 慰安婦像(山岡研究員)の意見に思う

 令和2年10月7日投稿の「道徳二元論のすすめ12-下を向く日本人と横を向くドイツ人」を読んだ。ドイツ・ベルリン市の公用地にまたまた「慰安婦像」が設置されたとの事。私の住まいする東大阪市は同市ミッテ区と姉妹都市を結んでいる。早速、市の関係部署に友好都市として撤去要請の意見を送り、懇意の議員にも働きかけを行い、すぐに市長から遺憾のメッセージを発信してもらった。

 数年前カルフォルニア州グランデール市でも同様に設置され、これに対しても市長から撤去要請を続けている。
 グランデール市とはそれまで高校生の短期交流があったがこれがきっかけで中止となり、またミッテ区には10数年前であるが私の娘も青年交流員に加わり訪問し身近に感じている都市である。
 また昨年サンフランシスコを訪問のとき、以前噂に聞いた「慰安婦像」を確認した。
 観光スポットのひとつ「チャイナタウンゲート」を2ブロック進むと名物のケーブルカーが走る通りとの交差点に出る。そのすぐ横に「セントメリーズ スクエア」がある。6AM~10PMの間は誰でも利用できる公共施設で、日曜日はベンチでくつろぐ人が多くいた。中に進むと子供用の遊具があり、さらに進むとテラス状のスペースがある。傾斜地を利用した半地下駐車場の屋上部分が公園の一部として利用され、この中央に3人の少女とおばさんの像が置かれていた。

 設置の経過を確認すると……。

・2015年9月、当時の中国系市議により像の設置が提案される。
・2017年9月、像が設置される。
・2017年11月、民有地とセットで像がS・F市に寄贈され市の管理となる。

 S・F市と永く姉妹都市であった大阪市の吉村市長(当時)はこのことに抗議して、S・F市長に姉妹都市解消を通告しているが、先方は首長の判断事項ではないとして、中に浮いた状態である。
 4体の像の脇には5カ国語で、以下の説明文が置かれている。

<「私たちにとってもっとも恐ろしいことは、第二次世界大戦中の私たちの痛ましい歴史が忘れられてしまうことです」――  元「慰安婦」
 この記念碑は、1931年から1945年まで日本軍によって性奴隷にされ、「慰安婦」と呼ばれたアジア太平洋地域13ヵ国にわたった何十万人の女性と少女の苦しみを表しています。その女性たちの大多数は、戦時中囚われの身のまま命を落としました。この暗い歴史の大部分は、生存者が勇敢に沈黙を破った1990年代まで、何十年も隠されていました。生存者たちの証言が世界を動かした結果、戦争手段としての性暴力が人道に対する罪であり、加害国の政府が責任を負わなければならないと国際社会が宣言することとなりました。
 この記念碑は、これらの女性たちの記憶のために捧げられており、世界中での性暴力や性的人身売買を根絶するために建てられたものです。>

 私はこの碑文を何度も読み返したが、この像の目的が女性の人権、尊厳を訴えるのであれば、ことさら旧日本軍を加害者に決めつけ、世界各国の同様の罪を全て日本に転嫁するような標記は納得できなかった。周辺の状況から、我々旅行者が利用するような施設ではないが、米国社会における中韓の対日プロパガンダの象徴のひとつになったことは間違いない。

 お隣の国は、1体約300万円程度の像を世界中に増殖させて人心を混乱させている。本当にバカバカしい事であるが、やはり根気強く国際常識によるわが国の立場を官民それぞれ発信し続ける必要がある。

(令和2年11月20日)

 

 

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