髙橋史朗

髙橋史朗 -「道理」を心に響くように「識る」感知融合の道徳教育――「道徳性の芽生え」を育む

髙橋史朗

モラロジー研究所教授

麗澤大学大学院特任教授

 

 

1 世界的潮流に逆行する「心情主義的道徳教育」批判

 先進国においては、既に教育の重点が就学後から就学前にシフトしてきており、日本でもこの世界的な流れを受けて、科学的知見に基づく「子育て支援学」研究が進み、就学前の子供たちの家庭内外の育ちを支えていくために、子供の「発達の保障」という視点に転換し、科学的証拠に基づく幼児教育・家庭教育を再構築するために、東大大学院教育学研究科に「発達保育実践政策学センター」が設立され、研究と実践を往還させ橋渡しする画期的役割を果たしつつある。

 乳幼児教育の重要性については、「ルーマニアの棄てられた子供たち」を対象にした研究プロジェクトによって、アタッチメント(愛着)を剥奪されることによって、社会性の発達に長期的なダメージを受けることが判明した。

 また、シカゴ大学のヘックマン教授が、幼稚園に行けないアフリカ系アメリカ人の貧困層の子供を3歳から2年間、幼稚園に通わせるという介入を行ったところ、40年後の給料、持ち家率、犯罪率等に大きな差が見られたことが長期追跡調査によって明らかになった。

 このように剥奪研究と介入研究の長期追跡調査によって、乳幼児期に「非認知能力」「共感性」を育むことの重要性が世界的に注目されている中にあって、わが国の一部には、これに逆行する動きが見られる。

「考え、議論する道徳への転換に向けたワーキンググループ」(平成28年)の「審議のまとめ」には、「読み物教材の心情理解のみに終始する指導」と書かれ、中教審初等中等教育分科会教育課程部会の道徳教育専門部会でも次のように指摘されている。

「読み物教材の登場人物の心情理解に偏ったり、分かりきったことを言わせたり書かせたりする指導に終始しがちであった」「これまでの道徳教育では情意的側面を重視して登場人物の心情の理解を通して道徳的価値の自覚を深めることが多かったが、今後は、認知的側面も重視する必要がある」

 しかし、「心情理解に偏って」いるのではなく、「心情理解」が「認知的共感」に偏っているのではないか。これまでの道徳教育は「情意的側面を重視」して「登場人物の心情理解」をしようとしたのではなく、「認知的共感」という「認知的側面」を重視して「登場人物の心情理解」をしようとしたところに問題があるのであり、今後は「情意的側面も重視する必要がある」のではないか。

 6月9日に公表された日本学術会議哲学委員会哲学・倫理宗教教育分科会報告「道徳科において『考え、議論する』 教育を推進するために」の中で、次のように指摘している点にも同様の問題点があると思われる。

「『お母さんへの請求書』は母親の無償労働という伝統的役割、自己犠牲を押し付ける『古い価値観』「道徳の問題を心の問題にしてしまう『心理主義化』(政治的・社会的・経済的な問題を個人の心の問題にすり替える操作)や『心情主義』が問題」「心理主義化した道徳教育には、各人の利益を対話により調整するという政治的過程が欠落している」

 同報告の作成に関わった松下良平著『知ることの力――心情主義の道徳教育を超えて』は、「心情主義の(道徳)教育(つきつめれば<心の教育>)の幻想に取りつかれて、文部科学省のかけ声に合わせながら皆が一斉に同じ方向につきすすみ、誰も責任を自覚しないままに空虚で危険な試みが続けられている」と述べ、「知行不一致現象の拡大再生産」を行い、「『心』という空虚な実態 ――人々を魅了し肯かせるが、実際にはどこにも存在しないもの――に寄りかかりつつ繰り広げられてきた」「心情主義的道徳教育論の誤り」を指摘している。

 これらの「心情主義的道徳教育論」批判に対する最も鋭い反論が、ジョナサン・ハイトが『しあわせ仮説』で指摘した、人間を動かしているのは「情動(象)」であるのに、「思考(象使い)」に働きかけている「道徳教育の深刻なあやまり」である。詳しくは、拙稿「脳科学から道徳教育を問い直す――新たな道徳教育学の樹立を目指して⑴」(『モラロジー研究』84号所収論文、令和元年)を参照してほしい。

 

 

2 「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」と「道徳性の芽生え」

 平成29年の改訂によって、幼稚園、保育所、幼保連携型認定こども園が幼児教育施設として位置づけられ、幼児教育が小学校教育につながっていくことが明確になり、乳幼児期からの発達の連続性や「資質・能力」を中心とする考え方によって、幼児教育と小学校以降の学校教育で共通する力の育成をすることになった。

「幼児教育において育みたい資質・能力」は、⑴生きて働く知識や技能の基礎、⑵思考力・判断力・表現力の基礎、⑶学びに向かう力・人間性等、の3本柱であり、⑴⑵の<知的な力>と⑶の<情意的・協働的な力>を「相互循環していく必要」がある、と解説されている。

「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」が明示され、幼稚園などと小学校の教員が持つ5歳児修了時の姿が共有化されることにより、幼児教育と小学校教育との一層の強化が図られることが期待されている。

 道徳教育における保幼小の連携や家庭・地域社会との連携が求められている今日、「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」をどのように捉えて、道徳教育に活かしていくかについて考察する必要がある。

 この「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」の中に、「道徳性・規範意識の芽生え」が含まれていることが注目されるが、昭和39年の改訂から幼稚園教育要領に「道徳性の芽生え」という言葉が登場する。「道徳性の芽生え」の捉え方がどのように変遷してきたかについて歴史的に整理する必要がある。

 

 

3 「道徳性の芽生え」とは何か――「非認知能力」との関係

 そもそも幼児期における「道徳性の芽生え」とは一体何か。文部科学省が平成13年3月に作成発行した『幼稚園における道徳性の芽生えを培うための事例集』によれば、「幼稚園における道徳性の芽生えを培うための基本的な考え方」の4本柱は次の通りである。

 ⑴ 子どもを受け入れ、認める
 ⑵ 多様な人・生き物・ものと細やかにかかわる
 ⑶ 他者との交流・協力を大切にする
 ⑷ 集団生活のルールやきまりの意味に繰り返し触れる

 残念ながらこの基本的な考え方がどのような議論を経て決定されたかについての議事録も、昭和39年の幼稚園教育要領に「道徳性の芽生え」という言葉が登場した議論の経緯を記載した議事録も公開されていない。

 包括的な概念である「道徳性・規範意識の芽生え」を他の姿と区別して分類する理論的根拠は一体何か。そもそも「道徳性・規範意識の芽生え」とは何かについて、脳神経倫理学や「道徳脳」研究等の科学的知見に基づいた理論的考察が必要である。また、幼児期における道徳性の芽生えが、児童期以降の道徳性にどのような影響を与えるかについても考察する必要がある。

 

 

4 「非認知能力」=「自己と社会性」に関わる心をいかに育てるか

「非認知能力」とは、読み・書き・計算等の「認知能力」とは異なる数値化しにくい、IQでは測れない能力のことで、「社会情動的スキル」ともいわれる。

「非認知能力」の中核は「自己と社会性」に関わる心であるが、東京大学の遠藤利彦教授は、「自己」に関わる心とは、自尊心・自己肯定感・自制心・自立心・自律性であり、「社会性」に関わる心とは、「心の理解」能力、共感・思いやり・協調性・道徳性・規範意識であると指摘している。

 また、OECDによれば、「非認知能力」(社会情動的スキル)とは次の3本柱である。

⑴ 目標の達成(忍耐力・自己抑制・目標への情熱)
⑵ 他者との協働(社交性・敬意・思いやり)
⑶ 情動の制御(自尊心・楽観性・自信)

 

 幸福学研究の第一人者である慶応大学大学院の前野隆司教授は、幸福度を上げる『幸せの4因子』は、「やってみよう」「ありがとう」「何とかなる」「ありのままに(あなたらしく)」であると指摘しているが、「目標への情熱」「楽観性」等と合致している点が注目される。

 さらに、『非認知能力を育てるあそびのレシピ』の著者である玉川大学の大豆生田啓友教授は、「非認知能力を育む子育て」の6本柱を次のように示している。

 

 ① 親子のスキンシップや甘えなどを通して、心の安全基地を作る
 ② 子供の個性や主体性を大切にする
 ③ 子供の頑張っている姿をほめ、小さな成功体験を大切にする等、自己調整力を育む
 ④ 多様な遊び体験を通して、好奇心を持ったり、夢中になる体験をする
 ⑤ 外遊びを通して、多様に体を動かしたり、自然に触れたりする経験をする
 ⑥ 絵本の読み聞かせを通して、コミュニケーションや言葉への興味を大切にする

 政府の教育再生会議第2次報告は、「国は脳科学等の科学的知見と教育に関する調査研究等を推進し、そこで得られた知見の積極的な普及啓発を図り、今後の子育て支援に活用する」と明記しているが、科学的知見に基づく「非認知能力を育む子育て」支援が時代の要請といえる。

 さらに、「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)の視点が幼児教育に導入されたが、前述したように<知的な力>と<情意的・協働的な力>を「相互循環」していくためには、「感知融合」の6つの視点に立つ必要があり(拙稿「感知融合の道徳教育についての一考察」『道徳教育学研究』創刊記念論文、麗澤道徳教育学会、令和2年)、次のように実践化する共同研究を麗澤大学大学院の土屋康子さんと進めている。

  ① 「主体的な学び」の視点――「感じる」「気付く」「見つめる」
  ② 「対話的な学び」の視点――「深める」「対話する」
  ③ 「深い学び」の視点――「協力し働きかける」

 

 

5 今後の理論的・実践的課題――「道理」を心に響くように「識る」道徳教育

 脳神経倫理学等の科学的知見に基づいて、発達段階に応じて、道徳性の基礎となる「非認知能力」をいかに育み、道徳教育における保幼小の縦の接続と家庭・地域社会との連携をいかに図るかが今後の重要課題といえる。

 平成13年に示された「幼稚園における道徳性の芽生えを培うための基本的な考え方」の4本柱と、今回の改訂で提示された「幼児教育において育みたい資質・能力」の3本柱、「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」との関係、並びに、「道徳性の芽生え」と「認知的共感」「感情的共感」「道徳的実践意欲と態度」との関係を、脳神経倫理学・認知心理学等の科学的知見に基づいて明らかにする必要がある。

 fMRI実験(機能的磁気共鳴画像法 「道徳サロン」5月18日掲載の拙稿参照)で道徳的判断に関する感知の脳機能を調べたグリーンらの、感知を対立的に捉える研究を批判する「脳神経倫理学」研究の最新動向にも注目し、これまで科学的に考察されてこなかった、これらの関係を解明して、次期学習指導要領の改訂に向けて、道徳科の目標を再構成する必要がある。

『日本人は論理的でなくていい』の著者である元日本化学会会長の山本尚名古屋大学特別教授は、戦後日本で「意識的思考を排除する」教育が廃れ、「考える」教育が行われた点を批判し、「ソロバンの答えは『出る』のであって、答えを『出す』のではない。矢が的に『当たる』のであって、矢を的に『当てようとする』のでは当たらない」「道理という言葉は論理的思考では決して解釈できない」「道理を原点とする『自粛』という新型コロナウイルスに対する日本人の対応は、内向型、感覚型、非論理的な日本人の性格(民族性)で見事に理解できる」「単に情報を『知る』ことと、心に響くように『識る』ことは違う」と指摘している。

 いじめ防止問題を契機に「道徳の教科化」がスタートしたが、心に響くように「道理」を「識る」感知融合の道徳教育こそが求められている。松尾芭蕉は「格に入り、格を出でて初めて自在を得べし」と喝破したが、形から入って「以心伝心」で師匠から「伝燈」を受け継いできた日本の道の精神や伝統文化という「不易な縦軸の教育目的」(樹木の“芯”)と「流行の横軸の教育目標(樹木の”断面”)をいかに調和的・包括的(ホリスティック)に構造化するかが、今後の道徳教育の理論的課題といえる。また、主体的な活動や体験を通して、知的な力と情意的・協働的な力をいかに相互循環的に育てていくかが今後の道徳教育の実践的課題といえよう。

(令和2年11月11日)

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