山岡鉄秀 – 道徳二元論のすすめ13-モラロジーの創建者・廣池千九郎の平和論とは?
山岡鉄秀
モラロジー研究所 研究センター研究員
●戦中に世相に臆せず、平和への道を進言
モラロジーとはなんでしょうか。
道徳のモラルと科学を意味するロジーからなる学術語で、総合人間学モラロジーのことです。つまり、道徳科学の意味です。
モラロジーの創建者である廣池千九郎法学博士が1926年(大正15年)に著した「道徳科学の論文」に端を発します(1928年初版)。廣池千九郎は未開拓の学問分野「東洋法制史」の研究に尽力し、1912年(大正元年)に東京帝国大学から、独学で法学博士の学位を取得しています。
道徳は科学的に分析、解析できる! 膨大な文献を読み解き、人類の歴史を俯瞰した廣池千九郎はある結論に達します。
「道徳の実践なくして人間は幸福になれない。しかし、我々が日常的に実行しているところの普通の道徳は、究極的には自分を利するための道徳でしかない。つまり、利己心に基づいている。いかなる主義も、たとえそれが民主主義であっても、利己心に拘泥していては必ず争いを起こす。人類の真の幸福と世界の平和を実現するには、歴史上の聖人が実践したような、寛大さと慈悲、そして自己反省に基づくより高度な道徳を実践しなくてはならない」
しかし、廣池がモラロジー研究所の教育機関である道徳科学専攻塾を開設した1935年(昭和10年)、日本は坂道を転げ落ちるように戦争への道を突き進んでいたのでした。
1932年(昭和7年)には上海事変が発生。廣池は日本人居留民と日本軍の中国大陸南部からの全面的な引き上げを主張します。
当時の中国大陸では、アヘン戦争(1840-1842)以来、欧米諸国が利権を握っていました。そこで日本が勢力圏を拡大すれば、イギリス、アメリカを始めとする欧米諸国と衝突することは明らかでした。
廣池は当時の世相に臆せず主張します。
「日本政府は米英と戦争するつもりなのか? そんなことをすれば国が滅びてしまう。たとえ勝ったとしても、甚大な被害は免れない。今は大陸から撤退して、しばらくは国内で道徳心の開発に努めるべきだ」
病後療養中だった廣池は鈴木貫太郎侍従長に手紙を送り、要望があれば自ら出向いて説明すると訴えます。軍部を抑えて撤退を実現するには天皇陛下の勅命しかないと考えたのかもしれません。
また、廣池は斎藤実首相には手紙だけではなく、直接面会して思いを伝えます。他にも、大迫尚道陸軍大将、高橋是清蔵相、荒木貞夫陸相ら政府要人にも平和への道を進言しました。
昭和7年1月28日に始まった上海事変の際、廣池は鈴木貫太郎侍従長に数度に渡って書簡を発信。それは、軍部を痛烈に批判し、各国の軍略を見抜いた上、空論に走らず現実主義的に状況を見据えたものであり、当時としては命がけの提言であった。
破滅的な結末を予見し、自身が考える最悪のシナリオへと突き進む日本の姿に深く憂慮する廣池は、研究者として沈黙することを潔しとせず、反戦的なことを主張すれば非国民と糾弾されかねない世相にも臆しませんでした。
●絶えず「国のため」という思いをもって
実は廣池は、病弱な体ながら、50歳を超えたら国ために活動することを心に秘めていたのです。
しかし、廣池の必死の叫びは激動の時代の荒波の中でかき消されてしまいます。
1936年(昭和11年)二・二六事件勃発。廣池が思いを託した斎藤実が銃殺されてしまいました。
廣池の心痛はいかばかりだったでしょうか?
1937年(昭和12年)日本軍が南京を攻略。
1938年(昭和13年)6月4日、廣池は、日米開戦を見ることなく、この世を去りました。
道徳による人心の開発に心血を注いだ廣池は、理想主義的な思想家ではなく、現実的視点を忘れない実践家でした。
道徳的観点とは別に、中国大陸に深入りして米英と対決するのは絶対にまずいという現実的判断をして、時の有力者たちに勇気をもって語り掛けたのでした。
廣池は軍備を否定しません。たとえ人々の精神が、廣池が最高道徳と呼ぶ高度な領域に達しても、平和の保障に必要な軍備は重視するとしました。また、正しい軍隊教育は精神を健康にし、適当な軍備は、個人、国家、社会の発展に必要だと説きました。
その一方で、「聖人は、兵は平和の保障物にして殺人の利器にてはこれなしと教えられおり候」と述べ、軍事力の使用には慎重な姿勢を示しました。
●繰り返される歴史の中で……
廣池がこの世を去ってから82年の年月を経て、世界はまた動乱期を迎えています。そしてまたもや、中国大陸が発火点となっています。
廣池はかつて、中国大陸で利権を握る米英との対立を避けようとしました。21世紀の今、アヘン戦争後欧米列強に食い荒らされた中国が、復讐と帝国の復興を掲げて世界制覇を目指す覇権主義的政策を強行しています。時代が一転したのです。
今、中国大陸に日本軍は駐留していませんが、中国市場にのめり込む日本企業が大挙して進出しており、抜け出すのが困難になっています。
廣池が生きていたらなんと言うでしょうか?
「今は大陸から可能な限り引いて、自由民主主義陣営と足並みを揃えねばならない。中国市場に拘泥して米英と対立してはならない」
と言うかもしれません。まさに歴史は繰り返すのです。
世界に戦争が絶えることなく、世界覇権を狙う帝国が出現するのは、結局のところ、廣池が指摘するように人間の精神が十分に陶冶されていないからなのでしょう。
科学技術の発展は想像を絶するものがありますが、人間の精神は進化するどころか、むしろ退化しているようにさえ見えます。
この厳しい現実に際して、実践なくして平和を守れないこともまた事実です。
廣池は言いました。
「五十以上にて国事に奔走、死を致すも可なり」
私たちは平和を守ることができるでしょうか。現実的平和論を説いた廣池は、草葉の陰でどんな想いで私たちを見つめているのでしょうか。
(令和2年11月10日)
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