西岡 力

西岡 力 – 道徳と研究 13 被害者もウソをつく、戦時労働者の場合

西岡力

モラロジー研究所教授

麗澤大学客員教授

 

●意図的なウソを喧伝する勢力――新著『反日種族主義との闘争』より

 私は本欄コラムなどで、元韓国人慰安婦の女性が自身の経歴についてウソをついていると見なさざるを得ないケースを紹介し、真の日韓友好のためには相手の言い分を鵜呑みにしてはならず、結論を先に決めず、事実に基づき是々非々で議論するしかないと強調した。また、その元慰安婦のウソを助長、利用してきたのが日韓の反日勢力であり、特に日本国内のいわゆる「良心派」学者や運動家らこそがウソを意図的に広めて日韓関係を悪化させてきたと主張してきた。

 韓国でも李栄薫・前ソウル大学教授らが昨年日韓でベストセラーになった『反日種族主義』で、慰安婦は「性奴隷ではなく軍が管理した公娼」という説を、様々な証拠を列挙して実証した。その『反日種族主義』は韓国で激しい非難と攻撃にさらされた。歴史学界は沈黙を守る中、左派運動家や職業的反日学者らが、李前教授らを招かず一方的な討論会をくり返すとともに反論本の出版も続いた。それに対して、李前教授らは反論に全面的に反駁するとともに、前著の議論をより深める新著『反日種族主義との闘争』(以下、『闘争』とする)を出した。その日本語版が9月20日に出版された。私は、前著に続き、日本語訳文の点検などで編集協力を担当したが、李前教授らの学者としての信念と勇気に心を揺さぶられた。

 ここでは『闘争』の中から、被害者がウソをつくことで日韓関係が悪化するという事例として戦時労働者のウソを取り上げている部分と、そのウソの背景には日本の「良心的」知識人の画策があり、そのような日本人は実は韓国を蔑視しているのだと厳しく批判している部分を紹介したい。

 

 

●原告の主張を緻密な論証によって捏造と断定

 まず、被害者のウソについてだ。李前教授は日本語版序文でこう書いた。

〈2018年、韓国の大法院(日本で言う最高裁判所)が新日鉄住金(現日本製鉄)に対し、戦時期に旧日本製鉄で働いた韓国人4名に慰謝料を支給するよう命じる判決を下したことは、1965年に日韓両国が国交を正常化し締結した基本条約(日韓基本関係条約)自体を否定する暴挙、と言うことができます。共著者である朱益鍾、李宇衍の両氏は、訴訟を起こした4名の原告の「強制連行され虐待を受けた」という主張の大部分が、捏造された嘘であることを実証的に明らかにしました。大変残念なことに韓国の大法院は、その嘘を“基礎的事実”として裁判の前提にし、両国間の関係を破綻に導く判決を下しました〉(2頁)

 ちなみに日本政府は、日韓間の過去の清算は1965年の条約と協定で完全に終わっているという立場から、大法院の判決は、条約は司法をも拘束するという国際法の原則を無視した国際法違反であるとして、文在寅政権にすみやかに国際法違反状態の是正を求めている。しかし、4人の原告が主張する「強制連行され虐待を受けた」という事実関係についてはほとんど反論をしていない。

 実は、私は大法院判決の出ることを予想して、安倍晋三首相の側近に4人の原告は法的強制力のある徴用ではなく、法的強制力のない募集か官斡旋によって渡日した、と伝えた。それを受けて安倍首相は判決直後の国会答弁で、4人を「徴用工」とは呼ばず「旧朝鮮半島出身労働者」と呼び、その後、政府の用語もその通りに統一した経緯はあった。しかし、彼らの渡日方法の実態や日本での待遇や暮らしについて、本人たちや日韓の支援者はもちろん日韓のマスコミの多くが「強制連行」「虐待」といった書き方をしていることについて、日本政府として反論を行っていない。その結果、欧米の一部メディアで「奴隷労働」という事実に反する用語が使われてしまっていると、私は折に触れて日本政府の対応の不充分さを指摘してきた。

『闘争』では、日本政府がまだ行っていない歴史的事実に基づく反論を韓国の学者らが実証的に行っているのだ。『闘争』第6章、第7章で李宇衍・落星台研究所研究委員と朱益鍾・李承晩学堂理事は、4人の原告が働いた3か所、八幡製鉄、釜石製鉄所、大阪工場の労務記録や日本と韓国での裁判記録などを分析して、「強制動員された」「働いても賃金が貰えなかった」という原告の主張を緻密な論証によってウソだと断定している。ぜひ、日本政府もこの学問的業績を国際広報に積極的に活用してほしい。

 

 

●目の前で被害者とされる人がウソをつく……

『闘争』で読むものの心を最も打つのが、李栄薫・前教授が渾身の力を込めて書いたと感じられる「エピローグ」だ。李前教授は、自身が2006〜08年に合計57人の韓国人戦時動員出身者に学術的なインタビューを行ったときのことから書き始める。軍人・軍属が20名、彼らは比較的学歴があり、記憶にも一貫性があったという。

 一方、残りの37名の労務者出身者は「たいていの場合、無学で」「記憶には一貫性がなく、時には虚偽や幻影が混じっていた」という。また「工場で朝鮮人をいじめる日本人監督官を同僚3人でたたき殺した後、川に放り投げた」というあり得ない話をする者もいたという。

 正直な人も幾人かいた。ある2名は「大変な時期でつらい労働ではあったが、大いに暮らしの足しになり、以後の人生にも大いに役立った」と話し、役所の職員が補償を前提に申告を勧めても「私が金儲けに行って来たことなのに、(補償の)申告なんて」と断っていたという。

 ところが、他の多くの証言は明らかにウソが混じっていた。少し長くなるが、李前教授が自国民被害者のウソを嘆いている部分をそのまま引用する。

〈彼らは、政府がくれるという補償を鋭く意識しながら、「賃金は、びた一文も貰わなかった」と主張しました。しかし、それに続く回顧では、その主張とは辻褄の合わない内容が必ず登場しました。「日曜日には何をされましたか?」と質問したら、「近くの町に出かけ、あずき粥も食べ、劇場にも行った」と言うのです。
 「そのお金はどこから出て来ましたか?」と訊くと、そこで初めて「そのくらいの金は貰ったさ」と是認するのでした。
 これとは違って、頑強に元の主張を貫徹する人もいました。例えば、蔚州郡のある方は、「2年契約で北海道の炭鉱に行ったが、契約を延長して3年6か月いた」と言い、そのあと、「お金は一銭も貰わなかった」と言いました。それで、横にいた同僚研究者が、「だったら、何のために契約を延長したんですか?」と責めるように問いました。すると、「あー、延長しろと強制するんだから、どうしようもなかったさ。苦労するだけして帰って来た」と答えました。私はその人の、証言に矛盾が生じないよう細心の注意を払っている姿勢に、感服せずにはいられませんでした。
 日本に行った経緯に関する記憶にも、矛盾がありました。ある人においては、インタビューの初めのほうでは、涙ながらに「強制的に連れて行かれた」と言っていたのに、後から話す内容は、それとはまったく違っていました。「日本に行きたくて密航船に乗ったところ、詐欺にあって失敗したことがある」と言うのです。ひと言で言って、三十数名の労務者たちが語った日本での経験にまつわる記憶は、今日我々の知る通説とは相当な乖離がありました〉(348~349頁)

〈ある人は言いました。「朴正熙大統領があの金で高速道路を造らなかったら、あの金は俺たちに来たんだ」「朴正熙があの金を国のために使ったというが、芸は熊がして、金は誰かが取るってことか」。私は事前に未払金供託資料で各人の未払金を把握しており、その人の未払金はゼロであることを知っていました。それで私は訊きました。「おじいさんが貰うお金で高速道路も浦項製鉄もできて、国がこれだけ豊かになったんだから、それで補償されたと考えてもいいんじゃないですか?」とです。そうすると、頑として否定しました。「そりゃできないさ、俺の金は貰わないと」。その言葉を聞いて、私は非常に悲しくなりました。こうやって自分自身と歴史を相手に噓をついてまでして金銭を追求する民衆の心性は、一体どうして生まれたのだろうかと。そうして、「国ができて60年経つのに、未だに国民は未形成なのだ」と嘆息しました〉(350頁)

 李前教授は多くの被害者が目の前でウソをつくことに接して、嘆息したと正直に書いている。私も最初に名乗り出た元慰安婦の金学順さんが経歴にウソを交えていることを発見したとき大きく嘆きの息を吐いた記憶を持つ。

 

 

●「日本の“良心的”知識人」から見えてくる「傲慢な姿勢」

 本コラムの前々回(11回)で書いたように、李栄薫・前教授、李宇衍氏、朱益鍾氏らは現在、元慰安婦や元戦時労働者とその遺族らに名誉毀損などで刑事告訴され、警察の取り調べを受けている。『闘争』では、李前教授は、自身がインタビューした数十人の元労働者のうち多数がウソをついていると明言し、4人の原告については実名を挙げてウソをついていると断定した。ウソをついているとされた当事者とその支援者らからかならず攻撃があるはずだ。日本語版序文で李前教授は「身に危険が及ぶかも知れない状況下にありながらこの本の刊行に加わった8名の共著者は、種族主義の野蛮性を告発することがこの国の発展に役立つ、という確信を共有しています」とその覚悟を書いている。その覚悟に心を打たれる。

『闘争』ではなぜ、このようなウソが大きく広がって日韓関係をここまで悪化させたのかについて、一部日本人の責任があることを明確に書いている。

〈当初彼らが起こした日本での訴訟は、日本のいわゆる“良心的”知識人によって企画され、支援されました。今日両国の関係がこれほど険悪になっているのにも、彼らの“良心”が大きな役割を果たしました。彼らの“良心”は、結局は韓国人の“非良心”を助長しました。彼らの“良心”を引っくり返せば、そこには、二等民族韓国人をいつまでも世話しないといけない、という傲慢な姿勢が根を張っていることが分かります〉

 日本のいわゆる“良心的”知識人こそが、韓国人を「二等民族」として蔑視しているというのだ。本質を突いた鋭い指摘だ。

(令和2年10月6日)

 

 

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