川上和久 -「自助・共助・公助」のスローガンにあらためて思うこと
川上和久
麗澤大学教授
●菅義偉氏が掲げた自助・共助・公助のスローガン
安倍晋三首相が辞意を表明し、菅義偉、岸田文雄、石破茂の3氏が自由民主党総裁候補として名乗りを上げた。
本稿を執筆している8月末の時点では、菅義偉官房長官が大多数の自民党議員の支持を得て9月14日に自由民主党総裁に選出され、臨時国会で内閣総理大臣に選出されるのが確実な情勢となっている。
病気の再発と戦いながら7年8か月という歴代1位の連続在任日数を全うした安倍首相には感謝の念を捧げると同時に、菅新首相の、困難な中での我が国の舵取りを引き続き期待したい。
その菅義偉氏は、総裁選の際、しきりに「自助・共助・公助」を強調していた。この言葉は、これまで、防災の基本的な重要事項として行政広報などで周知されてきた言葉だが、あらためて考えてみると、「自助」は単に自分でできることをやる、ということだけではなく、「何のために」という目的もともなうことなのだ、ということにあらためて思い至る。
今回は、「何のために」の例として、私の忘れ得ぬ思い出を記したい。
●小学生の時に見た海戦スペクタクル映画の中で
私が小学生だった昭和30年代から40年代は、まだ、テレビもほとんどの家庭で白黒テレビだったということもあり、映画はそれなりに娯楽の地位を保っており、街にはいくつもの映画館があった。私が生まれ育った調布市には日活など映画の撮影所がいくつもあった関係で、映画館が3,4館はあったろう。
そんな中、小学校の頃の記憶に残る映画に『日本海大海戦』があった。東宝が「8.15シリーズ」として昭和42年の『日本のいちばん長い日』、昭和43年の『連合艦隊司令長官 山本五十六』に次ぎ、昭和44年(1969年)夏に公開した映画だ。
日露戦争を描いた作品で、円谷英二特撮監督による海戦スペクタクルが圧巻だったが、その中で、多くの観客が涙していたシーンがある。
ヨーロッパから回航されたロシアのバルチック艦隊を迎え撃つため、三船敏郎演じる東郷平八郎連合艦隊司令長官は、全国各地に哨戒所を作るのみならず、日本海軍が開発した無線電信基地を設置し、バルチック艦隊を発見次第、出撃できる体制を整えた。
事実、哨戒艦信濃丸がバルチック艦隊を発見し、無線電信で報告するのだが、信濃丸がバルチック艦隊を発見する前に、5月23日の時点で宮古島の漁師がバルチック艦隊を発見し、宮古島に戻って26日に駐在所に報告していた。バルチック艦隊を発見し、急いで宮古島に戻る漁師たちだが、映画での、宮古島に戻って村人たちが集まったときのシーンが印象的だ。
田崎潤演じる駐在所の所長が「宮古島には無線がないので、無線電信局がある一番近くの石垣島まで船を仕立てるしかない」と言い、一人の若者がすぐに進み出る。所長は「なんだ、お前は、気が早い」と言い、「おまえは女房のおなかに子供がいるだろう、やめとけ」と他の漁師から言われるが、女房が進み出て、「止めるな」という漁師に対し、「私は嬉しいんじゃ、いい主人を持って誇りに思うぞ」と応じる。子供ながらに忘れ得ぬシーンだった。映画館の中では泣いている人たちが数多くいた。
結局、5人の屈強の若者たちが選ばれ、船足の速い船を仕立てて、荒波の中を約100キロの行程を15時間ぶっ通しに漕ぎ続け、さらに船が石垣島に着いてから30キロの山道を走って八重山郵便電信局に到着、28日午前7時頃に、八重山郵便電信局からバルチック艦隊発見の電信報告がなされた。映画では、「この報告がなされたのは、信濃丸の発見報告からわずか1時間後のことだった」とあったが、実際には八重山郵便電信局からの電報のほうが早かった、体面上信濃丸の報告を先にした、との説もある。
いずれにせよ、当時、これは軍事機密の扱いだったので、この5人の若者たちは自らの行動について語ることはなかったが、後に、多くの人たちが知るところとなり、その責任感、使命感が新聞や教科書で掲載されたりして、「久松五勇士」と称せられるようになった。
●何のための自助か
「久松五勇士」については顕彰碑も建てられ、いつか宮古島を訪れた際には、「久松五勇士」に感謝の念を捧げたいと思っていたが、たまたま、内閣府の沖縄振興に関連した仕事で宮古島に出張する機会があり、久松五勇士顕彰碑に赴いて手を合わせることができた。
しかし、残念なのは、戦後の一時期、久松五勇士は、「軍国主義に協力した」という理由で、左翼勢力から不当な批判も受けたという。
安倍首相の退任を残念だと言ったミュージシャンの松任谷由実を「死んだほうがよかった」とまで罵った大学講師がいたが、自分と考え方が違うから、という理由ですべてを否定する左翼勢力は、いかに危険かをあらためて世の中に知らしめることにもなった。
久松五勇士に対する批判は、同根のものがある。「自助」は、自分がやりたいことを好き放題に行って、自分と考え方が違う存在に対してそれを抹殺する「自分勝手」ではない。自分が持っているものを、できる範囲で公のために用いる、国のために用いる、そのような道徳心がなければ、共助も公助も成り立たない。
「自助、共助、公助」のもととなる自助の在り方を、久松五勇士の尊い思いと行動の中から、あらためて考えたい。
(令和2年9月7日)
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