山岡鉄秀 – 道徳二元論のすすめ11 – 天才作曲家・古関裕而氏の苦悩について
山岡鉄秀
モラロジー研究所 研究センター研究員
●「あの曲も古関さんの曲だったのか!」
古関裕而さん(こせき ゆうじ 1909~1989)の名前を知らなくても、古関さんが作った歌を知らない日本人はいないと言っても過言ではないでしょう。
実は私も比較的最近まで、古賀政男さんの名前は知っていても、古関裕而さんの名前をはっきりと認識していませんでした。
しかし、「あの曲もこの曲も古関さんの曲だったのか!」と気が付くにつれ、つくづく凄い才能の持ち主だったのだなあ、と思います。
古関さんといえば応援歌が有名ですね。阪神タイガースの応援歌(六甲おろし)を最高傑作だと思う人も(特に関西では)多いことでしょう。
大勢の人に勇気を与える曲をたくさん書いた古関さんですが、自責の念に悩んでいたといいます。
実は古関さんは、軍歌をたくさん作っています。それがまた傑作が多くて、多くの人の人生に影響を与えてしまったのではないかと悩んでいたそうです。実際、インタビューに応えながら辛そうな、寂しそうな表情を見せていました。
私がすごいと思うのは、戦後何十年も経って生まれた私でも、一度聴いたら忘れられないメロディーを含んだ軍歌がたくさんあることです。
軍歌を聞く機会なんて、普通はありません。しかし、どこかの街角か、テレビの懐メロか、どこで聞いたのか思い出せなくても、いつまでも耳に残る曲の数々。軍歌に興味が全くなくても、子供の頃にどこかで聞いて、そのまま大人になっても忘れられない旋律。
有名な古関軍歌に、「勝って来るぞと 勇ましく」とうたわれる「露営の歌」(作詞:薮内喜一郎)と、「ああ あの顔で あの声で」とうたわれる「暁に祈る」(作詞:野村俊夫)の二つの曲があります。
しかし、よく聞くと、兵士が故郷や家族を想う心情を歌っていて、哀愁を感じるメロディーになっています。戦時歌謡とは言えますが、戦意高揚が目的の軍歌とは割り切れません。それゆえに、子供の耳にも印象的に残ったのかもしれません。
一方、私が古関軍歌の最高傑作だと確信しているのが「若鷲の歌(予科練の歌)」(作詞:西条八十)です。
この歌は、1943年公開の戦意高揚映画「決戦の大空へ」の主題歌で、海軍飛行予科練習生(予科練)を募集するための宣伝目的で作られたそうです。「露営の歌」や「暁に祈る」とは違い、一回で覚えられる明るい高揚感のあるメロディーで、この歌を聞いて予科練に志願した少年(青年)も多かったと言われています。その多くが戦死したでしょうし、特攻隊として散った人も多かったでしょう。
あまりにも影響力のある軍歌を作ってしまった古関さん。長く自責の念にとらわれたそうです。
●その時々に、前向きな姿勢で生きる
その才能故に、戦争遂行と戦意高揚に大きく貢献した古関さんは、不徳なことをしてしまったのでしょうか?
私は違うと思います。敗戦後の価値観で当時の行動を批判することには限界があります。古関さんは時の指導者ではなく、戦争遂行責任者でもありません。戦争を煽ったジャーナリストでもなければ、ソ連の工作員でもありません。作曲家として、当時与えられた職務を全うしただけです。
むしろ、古関さんが戦後作った数々の曲に慰められた人も多かったでしょう。私は「長崎の鐘」(作詞:サトウハチロー)が古関さんの作だと知ってびっくりしました。この全ての戦争受難者に捧げる鎮魂歌(レクイエム)を聞いて感動しない人がいるでしょうか。
才能がある人ほど、時には期せずして、大勢の人の人生に影響を与えてしまうものです。それが結果としてマイナスに作用してしまうことあるでしょう。
しかし、その時々に、人のため、世の中のために、前向きな姿勢で生きることが、肯定的な影響を与えることに繋がるのではないでしょうか。
かく言う私も、古関さんの作とは知らずに、励まされたひとりです。
古関さんといえば応援歌。大学の応援歌では、早稲田大学応援歌の「紺碧の空」が有名ですが、個人的には、「ああ中央の若き日に」が最高傑作だと思います。
卒業して何十年も、古関さんの作曲とは知りませんでした。ただ、とびぬけてよくできた曲だなとだけ思っていました。
天に召されてからも、応援し続けてくれる古関さんにお礼を言いたいと思います。
(令和2年8月28日)
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