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中山 理 – 終戦記念日に日本人と歴史を振り返る――他者を愛した佐久間勉艇長 その3――

中山 理

モラロジー研究所特任教授

麗澤大学・前学長

麗澤大学大学院特任教授

 

 

●家族愛を綴ったもう一通の遺書

 佐久間艇長の遺書を読んだ文豪の夏目漱石は、近年稀に見る崇高で誠実な感情を吐露した名文だとして称賛を惜しみませんでした。しかし、佐久間が残したのは、潜水艇で発見された遺書だけではありません。軍人として常に死を覚悟していた彼は、家族に宛てた、もう一通の遺書を、潜水艦の母船「唐崎」の引きだしに中に残していたのです。彼の胸ポケットにあったものが「公的」な遺書なら、これは「私的」な遺書といえるでしょう。

 この遺書は、諸行無常がこの世の常であるから、明日の我が身もどうなるか分からないという、仏教的ともいえる人生観の吐露で始まります。だからこそ、もしものことが自分の身に起こった場合、家族が路頭に迷わないように、あるいは財産の分配をめぐって家族間で争いが起きないように、自分の所有権内にある遺産の分配用途まではっきりと書き残したのでした。(*2)

 宛名は実父の可盛、弟の章、長女の輝子の3人です。一家の長男として、それぞれの身の上を考え、実父の扶養、当時大学生だった弟章の学費、長女輝子の養育、修学、結婚の諸費用まで、すこぶる具体的に記しています。

 さらに章と輝子へは、健康を第一に考え、誠心誠意、自分の職務を熱心に努め、高潔な心使いと清廉な行いで人生の義務を全うし、卑屈な依頼心を捨てて自営自活をするよう、人生の先輩としてアドバイスを贈っています。(*3)

 実父に対しては、「老いては子に従え」というように、頑固なまでに自分の意見に固執しないで弟章の意見に従ってくださいと、実の息子しか言えない言葉を残しています。(*4)

 そのどれを見ても、残された肉親や兄弟の平和と安寧を願う、深い家族愛から出た言葉であり、令和の時代を生きる私たちにとっても、家族の本来の在り方を改めて考えさせてくれる遺言ではないでしょうか。

*2 「諸業無常ノ世二処スル人世ノ 明日ヲモ計リ知ルベカラザル、 実ニ朝露ノ如シ、 サレバ人タルモノ予メ生前ニ於イテ 死後ノ善策ヲ講ジ置カザレバ、 一朝無常ノ嵐ニ誘ワルゝニ際シ、遺族ヲシテ徒ラニ路頭ニ迷ワシメ、 或ハ骨肉ヲシテ不義ノ争ヒヲ醸サシムルニ至ルコトアラン。我レ此ノ事アランコトヲ慮リ、我ガ所有権内ニアル確実ナル遺産ヲ予メ分配シ、以テ我が無き後、老父ノ養老、 舎弟ノ学費、遺女ノ養育、修学、 及結婚ノ諸費ニ充テシメ、 他日ノ争端ヲ未発ニ防ガント欲ス。夫レ各自宜シク人道義理ヲ重ンジ、 決シテ相犯ス勿レ。・・・」

*3 健康ハ人生ノ活動ノ要素ナリ。各自健康ヲ第一トシ、正心誠意、熱心以テ己ガ職務二尽粋スベシ。高潔ノ精神ト清廉ノ行トヲ以テ自ラ任ジ、人生ノ義務ヲ全フスベシ。自営自活ハ独立男子ノ本文ナリ、女子ノ本文ナリ、寸毛モ卑劣ノ依頼心ヲ起ス勿レ。

*4 父上ハ既二老境ノ御身ナリ、万事章ノ意見二従ハレタシ。決シテ頑説ヲ主張シ、吾ガ遺族ノ将来ヲ誤ラシクムルコトアリ給フ勿レ。

 

 

●先立った妻、次子への想い

 読者の中には、佐久間が既婚者であったにもかかわらず、夫人の名前が出てこないことを不思議に思われる方がいるかもれません。実は、この遺書の日付である明治43年1月には、彼女はすでに帰らぬ人となっていて、その約1か月後の2月11日には、亡妻の一周年祭が営まれていたのです。そしてその2か月後の4月15日、残された彼自身も潜水艇事故で愛妻の後を追うことになります。享年30歳でした。

 では、彼女への想いを知るすべはないのでしょうか。それは「遺言状」にさりげなく付け加えられた「追補」の一文から窺い知ることができると思います。というのも、その「我レ死セバ遺骨ハ郷里二於テ 亡妻ノモノト同一ノ棺二入レ混葬サスベシ」という一文の中に、夫人に対する佐久間の万感の想いが凝縮されているような感を覚えるからです。

 彼が糟谷次子と結ばれたのは明治41年でした。しかし、その翌年には、次子が富山の実家で長女輝子を出産した後に命を失うという不幸に見舞われました。一年たらずの短い結婚生活でしたが、思いやりのある佐久間のことですから、きっと夫婦の愛情は紺碧の海にも似て清らかで深いものだったのでしょう。この遺言どおり、彼の遺骨は、佐久間家の墓地で次子夫人の遺骨と同坑に埋葬され、二人は天国で永遠に結ばれることになりました。

「君死にたまふことなかれ」という歌は、皆さんもよくご存知ですね。日本の教科書では、反戦詩人として、よく取り上げあげられる与謝野晶子の作品名で、「旅順口包圍軍の中に在る弟」を歎き「君死にたまふことなかれ」と詠ったものです。その晶子も、夏目漱石と同じく、詩歌の力で佐久間勉の人間としての生き方を永遠に語り残そうとしたほど、彼の遺書には心から感動したのでした。

 十余首もの追悼歌が捧げられていますが、この終戦記念日に改めてその中の一首を味わいながら、筆をおくことにします。

「海底の 水の明かりにしたためし 永き別れの ますら男の文」

 

(令和2年8月15日)

 

 

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