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中山 理 – 終戦記念日に日本人と歴史を振り返る――他者を愛した佐久間勉艇長 その2――

中山 理

モラロジー研究所特任教授

麗澤大学・前学長

麗澤大学大学院特任教授

 

 

●「人間」佐久間勉の人となりを伝える遺書

  当時の新聞が最初に大々的に報道したのは、「公人」としての佐久間の生き方でした。命の尽きるまで艇長として職務を果たし続けた佐久間は、まさに武士道の鏡であり、その偉業は敬服すべきものだというのです。

 しかし、このような新聞報道にどうも合点のいかない人物がいました。佐久間の遺言の中にも名前があがっている恩師、県立小浜中学校教諭の成田鋼太郎もその一人です。教え子の性格や人柄を熟知していた恩師の目から見ると、ただ職務に忠実で殉死したというだけでは、他の乗組員と変わりなく、教え子らしいところが何も見えてこない、というのが納得のいかない理由です。新聞がいかに大騒ぎをしても、成田は「予は甚だ物足らぬ心地せり」と言わざるを得なかったのです。

 ひとりの「人間」として教え子を見ていた成田は、他者と比べて佐久間が一段と優れて見える点は一つもないのか、どうして普段の佐久間らしいところがないのか、と嘆いたそうです。

 その後、遺留品の中から発見された教え子の遺書を新聞で読んだ成田は、「これを読みて、予は感極まりて泣けり。今泣くものは、その死を悲しめるにあらざるなり。その最後の立派なりしに泣けるなり」と言って感涙にむせんだのでした。

 私も教員のひとりとして、この気持ちには共感するところが大いにあるのです。教師にとって何よりも嬉しいのは、「出藍の教育」というように、教え子が教師よりも立派になってゆくことです。教え子を心から愛おしく思うからこそ、「さぞかし苦しかっただろうが、本当によく頑張ったな、本当に立派に成長して生を全うしたな」と感極まって心が震えたのでしょう。

 では、その遺書に一体何が書かれていたのでしょうか。まず、佐久間は、潜水艦の安全性の低さが事故の一因だったにもかかわらず、自分の不注意により、部下を死なす結果になったことをすべて自分の責任として受け止め、謝罪しています。部下の不手際を指摘するどころか、立派に職務を果たしたとして、その働きを評価することも忘れていませんでした。現代でも、えてして上から目線になりがちなワンマンなリーダーは、大いに見習うべきマインドセットといえるでしょう。

 さらにこの事故で潜水艇の研究開発が中断するのを憂慮し、この事故を他山の石として、さらに潜水艇が進歩すれば、何も思い残すことはないとまで言っています。事実、その言葉を裏付けるように、艇長は、呼吸もままならない絶体絶命の状況で、死と直面しながらも「沈没の原因」や「沈据後の状況」を沈着冷静に記録しているのです。(*1)

*1 「小官(しょうかん)ノ不注意ニヨリ 陛下ノ艇ヲ沈メ 部下ヲ殺ス、誠ニ申(もうし)訳(わけ)無(な)シ、サレド艇員一同、死ニ至ルマデ 皆ヨクソノ職ヲ守リ 沈着ニ事ヲ處(しょ)セリ、我レ等ハ国家ノ為(た)メ 職ニ斃(たお)レシト雖(いえど)モ 唯(ただ)々遺(い)憾(かん)トスル所ハ 天下ノ士ハ 之(これ)ヲ誤リ以(もつ)テ 将来潜水艇ノ発展ニ 打撃ヲ与フルニ至ラザルヤヲ 憂(うれ)フルニアリ、希(ねがわ)クハ諸君益(ます)々勉励(べんれい)以テ 此(こ)ノ誤解ナク 将来潜水艇ノ発展研究ニ 全力ヲ尽(つ)クサレン事ヲ サスレバ 我レ等一(いつ)モ 遺(い)憾(かん)トスル所ナシ」

 

 

●最後まで感謝報恩の心を忘れなかった佐久間艇長

 艦内は真っ暗なので、その記録を書くには、司令塔のピープホールから差し込む海底のわずかな光を頼りにするしかありませんでした。そのような極限状態の中で、最後の力を振り絞って書き残したのが、次の遺言の最後のくだりです。この部分だけは原文を引用しておきたいと思います。

「謹〈つつし〉ンデ 陛下ニ白〈もう〉ス、我〈わが〉部下ノ遺族ヲシテ 窮〈きゅう〉スルモノ無カラシメ給〈たま〉ハラン事ヲ、我ガ念頭ニ懸〈かか〉ルモノ之レアルノミ、 左ノ諸君ニ宜敷、(順序不順)一、斎藤大臣 一、島村中将 一、藤井中将 一、名和少将 一、山下少将 一、成田少将 (気圧高マリ鼓マクヲ破ラルル如(ごと)キ感アリ)一、小栗大佐 一、井出大佐 一、松村中佐(純一)一、松村大佐(竜)一、松村少佐(菊)(小生ノ兄ナリ)一、舟越大佐、一、成田鋼太郎先生 一、生田小金次先生、十二時三十分呼吸非常ニクルシイ 瓦素林〈がぞりん〉ヲブローアウトセシシ積リナレドモ、ガソリンニヨウタ 一、中野大佐、十二時四十分ナリ」

 ごく短い文章ですが、ここから伝わってくるのは、自分の命が絶望的状況にあっても、他者を気遣う心根の優しさと思いやりです。自分のことは一切述べず、運命を共にする部下はいわずもがな、その家族も困窮しないよう配慮を願い出ているのです。

 そして私が何よりも感動するのは、これまでお世話になった上司や恩師の名前をできるかぎり書き綴っていることです。きっと今まで受けた指導や薫陶に対する感謝の気持ちがあったからこそ、その名前を書き残すことで、少しでもそのご恩に報いようとしたのではないでしょうか。

 自分の命が燃え尽きるまで感謝と報恩の心を忘れなかった教え子の品格、すなわち死を迎える最後の瞬間まで立派に行動し燃え尽きた教え子の生き方、これこそ恩師の成田の心を激しく揺さぶり、感動の涙を誘ったものでした。

 そういう私たちも、いつ死が訪れるのか、誰にも分かりません。また、誰も、死から逃れることはできません。普段はまったく意識しなくとも、死に直面せざるをえない瞬間は必ずやってくるのです。その時、絶望的なまでに無力な私たちは、そのあまりにもあからさまな現実に圧倒され、誰もが底知れぬ恐怖や不安に襲われるかもしれません。

 しかし、そのように刻々と死が迫りくる時でさえ、佐久間は、呼吸困難の苦しみの中で喘ぎながらも、最後まで感謝の気持ち表すことを忘れませんでした。同じ人間として、その精神力の偉大さと集中性に心から頭の下がる思いがするのです。

〈写真協力:福井県若狭町教育委員会〉

 

(令和2年8月15日)

 

 

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