水野次郎 – 探究の行く先は~藤井新棋聖と地域探究科
道徳的・探究的キャリア教育を考える⑬
水野次郎
『こどもちゃれんじ』初代編集長
キャリアコンサルタント
モラロジー研究所特任教授
●藤井聡太新棋聖、「探究」の先にあるものは?
2020年7月16日、藤井聡太7段が史上最年少の17歳11か月で将棋タイトルを初獲得したニュースが、日本中を駆け巡りました。翌朝、大阪市の関西将棋会館で記者会見した際、揮毫した「探究」の色紙を掲げた藤井新棋聖の姿は、目に焼き付いて忘れられません。「将棋は本当に難しいゲームで、まだまだ分からないことばかり。これからも探究心を持って盤上に向かっていきたい」という決意にも、たいへん感銘を受けました。地元の瀬戸市はもとより、全国各地、藤井新棋聖の話題でもちきりになりましたので、もしかしたら「探究」は、今年の流行語大賞の最有力候補になるかもしれませんね。
本項は「道徳的、探究的キャリア教育」を標榜していますので、最年少記録はさておいても、こうした若者の出現は本当に心強い限りです。大偉業を成し遂げても、なお謙虚で爽やかさを発散する藤井新棋聖の生き方そのものを、こちらが探究していきたい思いにかられます。
さて藤井新棋聖にまつわる数ある仰天話はいろいろとありますが、「AIを超えた」という話題もその一つ。コンピュータ選手権で優勝し「棋士を凌駕した」と言われる最強ソフト「水匠2」の開発者、杉村達也氏のツイッターでのつぶやきが話題になりました。棋聖戦第2局の58手目に藤井聡太新棋聖が打った「3―銀」の妙手は、将棋ソフトに4億手を読ませても出てこず、6億手にして初めて「最善手」として出現したという逸話は、将棋ファンならずとも耳にしているのではないでしょうか。人が秘める能力の、測り知れない可能性を思わずにいられません。
藤井新棋聖は、かつて「ソフトと人の対局が話題になった時代から、今は共存の時代に入った」と評しています。そして「プレーヤーとしてはソフトを活用することで自分自身が成長できる可能性がある。見ていただく方にも観戦の際の楽しみの一つにしてもらえたらと思う。今の時代においても、将棋界の盤上の物語の価値は不変だし、自分としてもそういう価値を伝えていけたらと思う」と、その思いを述べました。人とAIとの関係の持ち方として、さまざまな分野にも敷衍できると、示唆深く感じずにはいられません。
他の先輩棋士の誰もが思いつかない手で周囲を驚愕させ、「異次元の強さ」を発揮し続ける藤井新棋聖。これから始まる新しい「探究の旅」は、どのような地点に到達していくのでしょうか、ますます楽しみになりました。
●もうひとつの「探究」にも注目したい
一方、藤井新棋聖誕生がマスコミをにぎわした2日前の7月15日、新聞各社のネットニュースでも、「探究」の文字が見られました。産経新聞社から配信された記事を見てみます。
「文部科学省が現行の高校普通科を再編し、新たに『学際融合(仮称)』と『地域探究(同)』の2学科を加える案をまとめたことが15日、分かった。文科相の諮問機関である中央教育審議会の特別部会で検討を進め、早ければ令和4年春の導入を目指す。再編が実現した場合、昭和23年の新制高校発足に伴う普通科創設以降、初めてとなる」
(高校普通科、3科に再編へ 「学際融合」「地域探究」を追加設置 令和4年春にも)
本項の第2回目に書きましたが、新しい高校の学習指導要領では「探究」が最も重要なキーワードになっています。そして今回の再編により、探究を冠に据えた学科が登場するというのは、かなり大きな意味があるのではないでしょうか。藤井新棋聖のタイトル獲得と同じ週の報道でしたので、高校教育の関係者にとっては、さしずめ「探究週間」とでも名付けたくなるような、立て続けの話題でした。
ただ、普通科に近似した学科の設置は、今に始まったことではありません。現在も全国各地の高校には、英語科(外国語科)もしくは国際の名称を冠した学科(国際文化、国際教養など)を擁する公立学校が120校、私立学校が30校ほどあります。たとえば私が勤務していた千葉県立松戸国際高校は、学校名そのものに国際の言葉がつけられ、普通科5クラスと国際教養科3クラスとも、それぞれ高倍率で生徒を集めていました。
実はこうした形で、両学科が拮抗・併存しているケースはかなり稀で、大半の公立高校は英語科、もしくは国際関係の学科は1クラスを維持するのが精一杯ではないでしょうか。理由は至って明瞭で、生徒及び保護者の「普通科志向」が強いためです。わけても保護者の意向が働く場合は少なくなく、英語が好きな子どもは専門学科に進学したいのに、保護者の反対で泣く泣く普通科にしたという生徒を、私は何人も目にしてきました。実際の授業の内容と、圧倒的に多い英語の授業時間数を考えると、子どもの選択を支持する道も悪くないと私は感じていたのですが。
この傾向は全国に共通していて、かなりの数の英語科、国際科を持っていた高校が、生徒募集が叶わず閉鎖をしています。私は全国高等学校国際科、英語科の理事長を2年間務めていたのですが、年々参加校が減っていく状況を、目の当たりにしていました。私が勤務していた千葉県でも、併設校が次々と普通科単独校に戻されています。
こうした英語科の歴史を思うと、どのように「地域探究科」の方向付けをするのかという焦点化が、成否を大きく分けることでしょう。言うまでもなく普通科が学ぶ内容の実態を何も表していないように、地域探究科も英語科や国際科とは違い、言葉そのものは漠然としています。探究は目的ではなく手段であり、地域の歴史や文化、経済活動、はたまた教育や行政など、何を探究するのかによって、まったく異なる教育環境が作られていくのは、言うまでもありません。それらすべてを探究するというのでは、高校生に対する教育の場として中途半端に過ぎるでしょう。もちろん中学生や保護者への訴求力も乏しく、生徒募集に苦労することは火を見るより明らかです。
藤井新棋聖が「将棋」を探究する目標が明確なように、一人ひとりの高校生の人生を左右する探究活動を支えていく、そのような教育の場づくりが望ましいし、突破口は必ず見つかることでしょう。今後の設置基準の明確化と、各地の教育委員会や各学校の取り組みに注目していきたいと思います。
(令和2年7月22日)
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