エッセイ

安藤延晃 – 記憶型、受け身、洗脳教育をやめて、能動的な教育を

 

 私が少年時代に受けた日本での英語教育は、中学校からでした。
日本語を勉強するように、読み書きそろばんのようなシステムでした。

 現在は小学校で英語の教育が行われている話を聞きます。

 英語で話す際は、リズムと音が特に重要視されます。

 日本は戦後からアメリカの影響をかなり受けてましたので太平洋側だけ。

 アメリカだけと仲良くすれば日本は安泰だ!
そういったような、風潮が当時はありました。

 気づいてなくても、それが、さも当たり前のように日本の中学生は疑問なく英語を真面目に勉強していました。

 それから、10年近く経ち22歳のときに単身渡豪しまして、高校合わせて6年も英語を勉強したにも関わらず、語学留学含め、最後は国際貿易を専攻しました。

 当時、在籍したクラスには日本人もいましたし、私より遥かに英語力のある日本人や海外の生徒がいました。

 日本人の生徒はアメリカ英語を英語(?)として話し、文章でも書いており、意識は全くしておりません。

 オーストラリアの国語の先生はあまり厳しく咎めませんでしたし、指摘をしませんでした。
しかし、私への対応は甘いものではありませんでした。

 あるとき、授業で国語の先生が、私にこう言いました。
「それは、本当の英語ではないアメリカ英語です」。

 私は、先生の言葉を読んで
『英語ではなく、アメリカ語だ!』
という受け取り方をしました。

 そのときに、英語であっても国も文化も違えば、様々な英語があるんだなと思いました。

 例えば、それは日本語の文章で改行する、キャピタル(※大文字)をつけるところ。
because→Becauseというのも、アメリカ語というらしいです。

 同席した、アイルランド移民を先祖に持つ先生も
「え? そうなの? それは知らなかった……」といってました。

 私は、こうして徹底的なクイーンズイングリッシュという発音及び、文法を徹底的に叩き込まれた記憶があります。

【TOEICで、英語力を測られたら堪ったもんじゃない!】

 国語の先生がハッキリといいました。

 日本のTOEICは、日本人が英語が苦手なので、アメリカのTOEFL(Test of English as a Foreign Language 略)の関係機関に簡単なテストを作成して欲しい、との依頼でできました。

 マークシートで、予め回答を用意されて選択できる受験者に、考えさせない愚かな戦後の日本教育です。

 国際貿易も、ちょろっと勉強した私も、少しばかり自信がついた頃。
英国ケンブリッジの英語検定のIELTS(International English Language Testing System )を受けました。

 スコアは、永住資格を得られるギリギリのような低い点数でした。
自分の英語力には、がっかりしましたが……。

 その試験の内容は面白いものです。試験なのにワクワクするのです。
ご紹介したいのが、話す能力をテストする分野の事です。

 当時、「トレインスポッティング」という映画が流行っていたものを題材にしたのかわかりませんが……。

「コレクターは良いものか? 悪いものか?」という質問に対して、自由に意見を発言できる機会をもらえました。
そのとき私は、鬱積した思いと、意見をハッキリと、試験官にぶつけたのです。

 日本人は、英語が話せなくても日本語さえ話せれば良いのです。
日本は記憶型、受け身、洗脳教育をやめて、能動的な教育を。

(令和2年7月9日)

 

 

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