エッセイ

押田絵里 – 道路交通法と道徳

 数日前、駅前のスーパーマーケットに買い物に出かけたときのこと。信号の無い横断歩道を渡ろうとしたとき、大通りから数台の車が曲がってきました。タイミング的に車を先に行かせたほうがいいかなと思い、私は横断歩道の手前で立ち止まりました。しかし、車の列も停止。先頭車両の運転手と目が合いました。私は頭を下げながら小走りで渡りきり、振り返るとつらなった車が通過していきます。私は、自分1人のために、最低3台の車を待たせてしまい、申し訳ない気持ちになりました。

 道路交通法では、歩行者優先が規定されています。でも、それを私が盾にとって車の流れを止めてもよい、と考えてしまったら、それはそれで違うだろうと思います。歩行者優先ではあっても、“歩行者が車に道を譲ってはならない”とする法規もありません。

 私はふと、以前読んだ雑誌に載っていた記事を思い出しました。40年以上、毎朝、通学路に立ち、交通指導員として活躍されている方が、こうコメントされていました。

「安易に車を止めず、車の通行を優先することが、子供の安全につながります。朝の忙しい時間、運転手さんの心に少しでもゆとりが生まれれば、自然と他の場所で事故を起こすことも減ると思うのです」

 また、『交通事故学』(石田敏郎、新潮新書)の中で、歩行者事故は死傷事故の5割、死亡事故の7割以上は歩行者側の違反だとするデータが紹介されています。

 社会は譲り合いで成り立っています。己の立場を声高に主張するのではなく、また自分と相手という括りのみで状況を見るのではなく、視野を広げて社会を俯瞰することも必要でしょう。そうすれば社会から多少なりとも摩擦が減り、過ごしやすい環境ができるのではないだろうかと、私は思うのです。

(「モラログ・ちょっといい話」より)

(令和2年7月7日)

 

 

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