西岡 力

西岡 力-道徳と研究10 慰安婦の嘘と戦う韓国の良識派

西岡力

モラロジー研究所教授

麗澤大学客員教授

 

●「勇気あるジャーナリスト」

 前回の本欄で私は、元慰安婦の李容洙氏が30年間共に活動してきた反日運動体の挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会/最近、正義連に改称)とそのリーダーで4月の総選挙で国会議員に当選した尹美香・元挺対協代表を激しく批判したことの背景について解説して、次のように書いた。

〈2018年頃から、韓国の勇気あるジャーナリストがネットニュースで彼女の証言の矛盾を指摘し、昨年には李栄薫・前ソウル大学教授らが慰安婦は軍が管理した公娼で、強制連行説、性奴隷説は事実ではないとする内容の『反日種族主義』を出版した。ところが、挺対協は李容洙氏への批判に対して反論せず、むしろ李氏を運動家らから遠ざけた。それで李氏が今回、挺対協批判の会見に踏み切ったのだ。真実の力がついに韓国に及び、ウソをついてきた勢力が仲間割れを始めた。(略)ウソはいつかは通じなくなる。それが道徳の教える真理だ。今後の展開を注視したい〉

 ここで紹介した「勇気あるジャーナリスト」とは、保守ネットメディア「メデイア・ウォッチ」の黃意元・代表理事のことだ。黃氏は自身が運営する「メデイア・ウォッチ」に2018年4月、「『従北』文在寅のための『嘘つきおばあさん』、日本軍慰安婦李容洙」(1)から(3)までの長文の記事を掲載した。その内容が分かる副題をまず、紹介しておく。

     

  1. (1)李容洙と挺対協によって結局、国際詐欺劇に転落する危険に直面している我が国の日本軍慰安婦問題
     

  2. (2)日本軍将校のために霊魂結婚式まで行ってやった李容洙、年齢、結婚、職業まで全部が虚偽嫌疑
     

  3. (3)民主統合党比例代表国会議員まで申請して「従北」文在寅、「従北」挺対協といっしょに反米活動に余念のない李容洙

 黃記者が慰安婦問題に最初にかかわったのは2014年だ。前年に『帝国の慰安婦』という本を出版した朴裕河教授が2014年6月元慰安婦9人らから名誉棄損だと訴えられた。それをみて、言論への弾圧だと危機感を覚えた黃氏は尹美香氏をはじめとする挺対協幹部らは北朝鮮に近い活動家だという告発記事を書いた。黃氏は最近、慰安婦問題そのものに触れることはその時はまだ怖かったと率直に告白している。ところが、挺対協と尹氏が2016年に黃氏を刑事と民事で名誉毀損だと訴えた。黃氏は膨大な資料を裁判所に提出して事実関係で徹底的に戦い、今年2月、最終的に両方勝訴した。

 挺対協との裁判を続ける中、黃氏は慰安婦問題そのものの虚構性に触れざるを得ないと決断し、李容洙氏の嘘に関する上記の記事を書いた。やはり最近、黃氏は、そのときは勇気がなくて本名でなく女性記者の名前で記事を書いたという。それだけ大きなタブーがあった。

 

 

●「李容洙氏の公的な証言は一貫しているものが一つもない」

 この李容洙告発記事で黃記者は、李氏が1993年以来、様々な場所で行った証言、20を集めて、①慰安婦になった経緯、②時期、③年齢、④慰安所に連れて行った主体、⑤慰安婦生活をした期間、を比較した。それが全部異なっていて、でたらめであったと、次のように語る。

「全部、内容が違っている。前と後ろが一致するものは一つもない。代表的なものをあげると、最初は日本人に連れられてきたと言っていたのが、後には日本軍人にかわる。最初は赤いワンピースに革靴に誘惑されてついて行ったと言っていたのが、後には刀を背中に突きつけられて連れて行かれたと変わる。期間も自分が1944年に連れて行かれたと言いながら3年間慰安婦生活をしたという。話にならない。1945年8月に韓国は植民地から解放された。それで計算が合わないからあとで年度が1942年に変わった。ところが、また1944年になり、再び期間が8か月に変わり、このようなことばかりだ。

 2007年2月に米国議会に行って証言した。これが後日、『アイキャンスピーク』という映画にもなった。2018年3月にフランス議会に行って証言した。ところが、本当に深刻な問題は、米国議会証言とフランス議会証言が違っているのだ。国際社会でのもっとも公式的な証言が違っている。

 2007年2月米国議会証言では、1944年に連れて行かれたと言っている。その証言の中でも矛盾がある。そこでも3年間、慰安婦生活をしたと言っている。そしてそのときには連れて行った主体について話していない。ただ、連れて行かれたとしか言わない。日本軍という話も、刀という話もなかった。ところがフランス議会では、日本軍が自分の背中に刀を突きつけて連れて行った、という。

 93年には、赤いワンピースと革靴に誘惑されて日本人について行った、だった。証言が日本軍強制連行の方向に次第に過激になっていく。最初は日本軍強制連行ではなかったのに、次第に過激になっていって、2018年フランス議会証言では完全に日本軍強制連行だと断定した。それで私たちは到底彼女を信じられない、ニセ慰安婦だと見ている。彼女本人が自白をしない限り、本当のことは分からない。慰安婦証言は物証がない。第3者の証言さえない。目撃者もいない。唯一本人の証言しかない。それだからこそ本人証言の一貫性くらいはなければならないのに、李容洙氏の公的な証言は一貫しているものが一つもない。
 それで李容洙氏についてニセ慰安婦疑惑を提起しました」

 黃氏が同記事に掲載した李氏の証言の変遷に関する表を全訳した。すべて、公開資料を使った丁寧な仕事だ。

 

表・李容洙氏の慰安婦になった経緯に関する証言の変遷(黃意元氏作成)

 

●この戦いは日本と韓国の戦いではない

 黄氏は記事を挺対協と尹美香氏に送付し回答を求めた。挺対協は回答文書を送ってきたが、挺対協の名誉を傷つけるなという内容だった。李容洙氏について一切言及がなかった。また、そのころから挺対協は李氏を運動の前面に出さなくなった。挺対協は李容洙氏の名誉を保護する意思を示さなかったというのだ。
 李容洙氏が尹美香批判の会見を行ったとき、挺対協とも近い左派系の「ハンギョレ新聞」(5月9日)はその背景について次のように書いた。

〈正義連帯の内部事情をよく知っている関係者は「日本と保守陣営などで李容洙おばあさんについて『ニセ被害者』だなどの攻撃があったが、李おばあさんが公開的な席で『言われるとおり証言をしてきたのになぜ、保護してくれないのか』と正義連帯への不満を吐露したこともある」〉

 李容洙証言への批判では、挺対協が1993年に出した『証言集1』の証言が引用されている。そこで李氏は、軍の強制連行ではなく、家出して日本人女衒について行った、女衒から「赤いワンピースと革靴」をもらってうれしかった、と証言している。

 昨年7月には李栄薫教授らによる『反日種族主義』が出版され、慰安婦は性奴隷ではなく軍が管理した公娼だったという実証的な研究成果が韓国社会に広く知られるようになった。12月からは毎週、挺対協の日本大使館前水曜集会のすぐ横で、水曜集会中止と慰安婦像撤去を求める対抗集会が開かれている。対抗集会では、学者、ジャーナリスト、弁護士、左派運動家や多数の婦人らが集まっている。そこでは挺対協の証言集を読み上げ、「最初に名乗り出た金学順さんは親にキーセンとして身売りされた人だ。文玉珠さんは慰安所で貯金して故郷の家族に当時の物価で家を5軒買える多額の送金をしている。李容洙さんは93年には赤いワンピースと革靴に誘惑されて日本人について行ったと証言している」などという演説がなされている。

 李氏が挺対協批判に踏み切った大きな理由は、自身の証言について日本だけでなく韓国からも虚偽ではないかという批判が高まってきたが、挺対協や尹氏が自分を守ってくれていないという不満があったからだ。つまり、この間、日本と韓国で積み重ねられてきた慰安婦問題のウソを暴く努力がついに元慰安婦の挺対協批判という事件を生み出したといえる。

「被害者もウソをつく」。本コラムで取り上げてきた道徳の真理が、韓国の良識派によって表に出てきた。この戦いは日本と韓国の戦いではない。嘘と真実の戦い。道徳の戦いなのだ。

 

(令和2年7月2日)

 

 

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