山口耕治 – エール――苦しくても前を向いて
中学時代、野球部の夏の大会であっさりと敗退してしまった私は、悔しくて悔しくて、高校受験などどうでもよく(勉強は得意じゃなかった)、自転車で行ける家から一番近い高校で野球をやるのだと心に誓いました。
高校に入学、そのまま野球部の門をたたくと、あろうことか、野球部は前年12月に2年生(私が入学したときの3年生)が問題行動を起こし、県高野連から対外試合1年間の謹慎処分を受けていたことを知らされました。
入部したときは、3年生はほとんどが退部、2年生も最初籍を置いていたものの、顔を出すことは一切なく、1年生部員だけで活動するというありさま。5月までには2年生は皆、退部してしまいました。
「1年も試合ができないのだから練習に参加しないのは仕方ない」と思う反面、2年生に対して、「どうしてもっと頑張ろうとしないんだ」という気持ちを抱いたものです。
そんな中でも私は野球をやりたいという一心で入学したのですから、自分なりに頑張りました。技術はあまり上達しませんでしたが、体力はそれなりに向上したと思います。納得の3年間でした。
コロナ禍で中学校や高校の大会が「自粛」というニュースを目にするたび、私は数十年前の出来事を思い起こさずにはいられませんでした。今となっては辞めた先輩たちを責める気は毛頭ありません。それよりも、そのときの状況を受けとめ、「やるんだ」という気持ちを持ち続けたことが当時の自分を支え、今の自分の心の持ち方にも何かしらの影響を及ぼしているのではないかと思っています。
渡部昇一・中山理共著『読書こそが人生をひらく』(モラロジー研究所刊)には、日本最初の林学博士・本多静六先生(1866~1952)のことが紹介されています。
本多先生は国立公園や日比谷公園をつくった人。もともと裕福な家庭に生まれましたが、子供のころに父親が急逝し、生活が苦しくなります。その後、多くの人に支えられ、当時、新しくできた山林学校に入学します。授業料がタダになるということで選択した道でしたが、1学期に落第。そのため、支えてもらった人たちに申し訳ないと、井戸に飛び込み自殺を図りますが、たまたま木に腕がひっかかり助かります。そこから本多先生は死んだ気になって努力し、猛勉強をして、主席で大学を卒業、日本最初の林学博士となるのです。先生のモットーは「人生即努力・努力即幸福」だといいます。
だれもが本多先生のようになれるわけではありませんが、その歩みは「努力に勝る天才なし」の証左でもあります。思いもしないショックに直面し、立ち止まってしまうこともあるかもしれませんが、今までやり続けてきたことを認めて信じて、努力することの大切さを胸に、未来へと歩んでいってほしいと願うばかりです(最近、野球をはじめ、さまざまな競技において、自粛一辺倒から新たな活動へと転換しようという動きが表れていることはうれしいことですね)。
(令和2年6月24日)
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