言論人コーナー

髙橋史朗 – 継承すべき文化と克服すべきものを見極めよ――伝統と創造のバランス

髙橋史朗

モラロジー研究所教授

麗澤大学大学院特任教授

 

 

●左右の対立はなぜ生まれ、エスカレートするのか

 アメリカの気鋭の道徳心理学者が「政治と宗教を考える新しい方法」を提示するために書いた『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』(紀伊國屋書店)が、左派と右派の対立が激化する構図を明快に解説したことで、全米ベストセラーになった。

 ニューヨークタイムズは、「人間性の理解に大きく貢献する重要な一作だ」と激賞し、イェール大学の認知心理学のポール・ブルーム教授は、「現役の心理学者の中で最も賢く創造的な一人、ジョナサン・ハイトのこの力作は、現代の極めて重要な問題の解明を試みる、輝かしく、勇敢で雄弁な書だ」と評し、ミシガン大学の社会心理学のリチャード・E・ニスベット教授も、「道徳の心理学的な起源と、それが政治的な対立の激化に果たしてきた役割について深くメスを入れる本書は、この無益な争いの緩和に必ずや役立つはずだ。これは過大な期待ではない」と高く評価している。

 同書は、⑴対立とはどういう現象なのか、⑵なぜ対立は生まれるのか、⑶なぜ対立はエスカレートしてしまうのか、⑷忘れてはならない希望、の4つの論点で構成されている。

 まず⑴については、脳科学、社会心理学、進化生物学の知見をフルに活用しつつ、「心は乗り手(理性=大脳新皮質)と象(情動的直観=大脳辺縁系)に分かれ、乗り手の仕事は、象の弁護人でしかない」と指摘する。

 人間は情動的直観に基づいて意思決定を行い、理性は、後付けの言い訳づくりを担うのが脳の基本構造であるから、理性によって論争を抑制することはできない。理性の引き出しが多い知識人ほど喧嘩は長引く。これが、世界を覆い尽くす根深い対立の基本構造だ、とハイトは鋭く分析する。

 

 

●対立の原因は6つの「道徳基盤」

 この深刻な対立の原因は、価値観、世界観を方向づける「道徳基盤」にあるという。彼は「道徳基盤」を⑴ケア、⑵公正、⑶自由、⑷忠誠、⑸権威、⑹神聖、に類型化し、米国のリベラルな左派は、⑴~⑶の道徳基盤は重視するが、⑷~⑹には重きを置かない。一方、右派の保守主義者はすべての道徳基盤をバランスよく調和させようとすると分析している。

 米国のトランプ現象、英国のEU離脱、欧州における極右政党の台頭など世界が保守化しているのは、直観に訴えることに長けた右派政治家が6つの道徳基盤のいずれかに響く直観的論争を志向するのに対して、左派は、3つの道徳基盤の受け皿にしかなれない理性的論争を志向しているからである。

 では一体なぜ対立がエスカレートするのか。この理由について、ハイトは進化生物学の知見に基づいて、「人間は、90%は猿であるが、10%はミツバチである」からであると説明する。人間の行動の9割は利己的であるが、人間の遺伝子に組み込まれた「ミツバチスイッチ」が入ると自己犠牲をいとわず集団に身を擲(なげう)つ利他的存在に変貌するという。

 

 

●「集団的沸騰」と「失敗の本質」に学べ――保守分裂の根因

 働き蜂が、巣の建設と維持、女王蜂の育成に一生を捧げ、一身を擲って侵略者(スズメバチ)と戦うように。彼はこのミツバチスイッチが入る条件を「集団的沸騰」と呼ぶが、他者と協調し、集団のために自己犠牲をいとわない、この「集団的沸騰」の利点は、排他的に強化されていくという弱点の裏返しであるという。

 この弱点によって対立はエスカレートし、ミツバチスイッチは戦争や集団殺戮を引き起こすこともある。これが人類が繰り返してきた「失敗の本質」にほかならない。

 中曽根政権下の臨時教育審議会は3年間に及ぶ教育改革論議を始めるに当たって、すべての委員・専門委員に配布された『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』(中公文庫)を熟読し、その教訓を生かすという共通認識に立ってスタートした。最年少の専門委員であった私には、日本軍の「失敗の本質」とは何か、という問題意識が鮮明に焼き付けられ、その歴史的教訓に謙虚に学ぶ必要があることを強く認識させられた。

 前回の拙稿で紹介した2007年のユネスコ国際会議で提起された「伝統文化の創造的継承」に関する「ホリスティック持続発展教育宣言」は、「伝統文化を、現代のグローバルな社会の現実を踏まえて創造的(交響的)に継承していくためには、その文化の最善のものと克服すべきものを見極めていく眼を持つことが大切である」と指摘している。

 平成18年に設立された自民党の保守系グループ「伝統と創造の会」が休止状態になり、退会者らによって新たな「保守団結の会」が今月発足するといった分裂が生じているのは、稲田朋美議員の夫婦別姓やLGBT(性的指向)問題などの最近の主張に、「伝統的な家族観を重視する党内保守層から疑問の声が上がっていた」からであると「産経新聞」は報じているが、退会者が出るのは、継承すべき文化と克服すべきものを「見極めていく研ぎ澄まされた眼」が失われたことによって、「伝統と創造」のバランスが崩れ、伝統文化の「創造的継承」が行われていないからではないか。

 

 

●古代宗教と現代科学の見識が必要――対立する相手は「味方」

 では、どうすればよいのか。ハイトは古代中国の陰陽論を紐解き、対立しているように見えるものが、実際には相互に依存し、補完的な陰陽の両側面を持ち、補完併存関係にあると説く。この陰陽論に立てば、対立する相手は叩き潰すべき「敵」ではなく、自らを相対化し、光を当ててくれる「味方」の存在にほかならない。

 左派と右派は文字通りの意味で対立し、お互いが相手を悪魔扱いして、団結するために純粋悪の神話を用いる。しかし、「世界を変化させるための弛(たゆ)まぬ努力を為すために集団として集まる時には間違いなく、人々は、徳、正義、神聖性に対するヴィジョンを追求し、道徳的に動機づけられている」という事実が、「道徳性に関する20年間の研究の中で私が学んだ最も重要な教訓」である、とハイトは結論づけている。

 ハイトは「反対がなければ、進歩はない」「愛と憎悪は人間が存在するために必要なものだ」と指摘したウィリアム・ブレイクの言葉を引用しつつ、「古代宗教と現代科学の両方の見識が必要」であり、「打開できない相違の領域は見逃して、互いに学び合おうと同意することで利益が得られる」と主張する。

 こうした伝統文化と現代科学の対立を克服して「未来への共通の道」を切り拓くために、国連、ユネスコを主導されたのが、ユネスコに21年間勤務し、事務局長顧問をされ、その後、麗澤大学教授に就任された服部英二氏である。

 

 

●リズム運動が「脳を育てる」

 1995年に開催されたユネスコ創立50周年記念事業シンポで服部英二氏は「近代合理主義の時代に、『通底の価値』が見失われた」ことを問題視し、『臨床の知』の著者・中村雄二郎氏は、空海の『声字実相義』を引用しつつ、「生命や意味の根源は<リズム振動>にあり、家庭の空洞化、学校教育の形骸化は生命リズムの減退や喪失として現れます。生命リズムを掘り起こし、強化することが必要でしょう。様々な<見えない制度>の障壁を取り除くことを急がなければなりません」と主張した。

 桜井進氏の著書『雪月花の数学――日本の美と心に潜む正方形とルート2の秘密』(祥伝社、2006)、『雪月花の数学――日本の美と心をつなぐ「白銀比」の謎』(祥伝社黄金文庫、2010)によれば、日本人の脳の基盤は数のリズムであり、ミロのヴィーナスやパルテノン神殿などに代表される、西洋の美を代表するのは「黄金比(5:8=1:1.6)」であるのに対して、法隆寺や雪舟の「秋冬山水図」、菱川師宣の「見返り美人図」などに代表される、日本の美を象徴するのは「白銀比(1:√2)」であるという。

『雪月花の数学日本の美と心をつなぐ「白銀比」の謎』より

 民家や寺社、城郭など日本の伝統的建築物に使われてきた大工道具「曲尺(かねじゃく)」は、その角目を使うと角材の1辺の長さが一目で分かり、丸目を使うと丸太の円周が一目で分かる、ということもなかなか興味深い。リズムを意味する「律」には、「法律、規律」や「旋律」のように硬軟両面が含まれており、「人として進むべき道が記された」手本、すなわち「道徳規範」の意味を持つようになった。

『雪月花の数学――日本の美と心をつなぐ「白銀比」の謎』より

 私が埼玉県知事に提唱して9年間取り組まれた「埼玉県発達障害支援プロジェクト」は、言葉と音楽と体操のリズム運動によって、発達障害の改善の目覚ましい成果を上げている大阪府貝塚市の木島幼稚園の先駆的教育実践に学んだが、リズム運動が「脳を育てる」ことが脳科学等の研究によって科学的に立証されたことは画期的成果といえる。

 論語の素読、百人一首、和太鼓、茶道、座禅、リトミック、体育ローテーション(16ビートの音楽が流れる中で、全力疾走、マット・跳び箱・鉄棒等を毎日行う)等のリズム体験活動が子供の「全人的な発達」を促し、「幸福脳」といわれるセロトニン神経を活性化していることが脳画像研究や光トポグラフィー検査等によって明らかになった。

 

 

●対立を越える「対話力」を磨き、「共感」を築き育てる「和」の実現

 埼玉大学の長谷川三千子名誉教授は、日米次世代の人材育成プログラムの慰安婦問題に関する論文に関連して、センシティブな問題については、まず基本的な議論を入口にして、「共感」を築き育てることに気長に取り組み、「対話」の土台を築いた上で、賛否両論の忌憚のない意見を出し合って、お手本となるような議論を和気あいあいの雰囲気の中で進める絶好の機会にする必要がある、という趣旨のコメントをされた。

 今日の国内外の未曽有の深刻な対立の危機を乗り越える「対話力」を磨き、「共感」を築き育てて「和」を実現することが果たしてできるのかが私達に厳しく鋭く問われている!

 

(令和2年6月22日)

 

 

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