言論人コーナー

髙橋史朗 -「対話」とは、「変容」であり、「通底する価値に身を投じる手段」

髙橋史朗

モラロジー研究所教授

麗澤大学大学院特任教授

 

 

●同和教育団体との建設的な「対話」

 2004年に北海道で開催された第52回日本PTA全国研究大会の人権教育分科会で、「感性を育てる人権基礎教育―人権教育のパラダイム転換」と題する基調講演を行い、その後、文部省の担当課長補佐、全国同和教育研究協議会委員長、北海道ウタリ協会理事とパネルディスカッションを行う機会があった。
 分科会参加者は、私と全国同和教育研究協議会委員長の高松秀憲氏とが激しく対立するのではないかと固唾をのんで議論を見守っていたが、同委員長が次のように発言されたので、衝撃が走った。
 <髙橋先生の話を聞きながら、人権基礎教育でおっしゃっている事柄は今まで大事にしてきたんだけれども、私たちの積み上げてきた同和教育の成果と教訓と、もともと上手く結び合うと、一層人権教育というのは発展するのかなと思っています。何を置いても皆さん方、やっぱり教師が変わると親が変わるとおっしゃったのは、僕はもう実感なんですね>
 「人権」をめぐる不毛なイデオロギー対立を乗り越える「人権基礎教育」という新たな地平を切り開くパラダイム転換によって、建設的な「対話」が行われたことは画期的出来事であった。

 

 

●「文化の多様性と通底の価値」

 2005年のユネスコ創立60周年記念国際シンポ「文化の多様性と通底の価値」の討論及び最終公式声明において、「和して同ぜず」の和の精神は「異なるものの調和を意味」し、「対話とは、思考のプロセスを再考し、確信されてきたものを再吟味し、新たなものを発見しつつ前進する手段であり、対話とは対決であり、試練であり、変容」であり、「通底する価値に身を投じるための手段」であり、「対話のための理想的な場としての『道』」の文化の意義が確認された。
 同シンポジウムをリードした服部英二氏(日本ユネスコ協会連盟事務局長、ユネスコ事務局長顧問、麗澤大学教授を歴任し、仏政府より「学術・教育功労賞」を授与)は、次のように述べている。
「2001年のユネスコ総会が満場一致で採択した『文化の多様性に関する世界宣言』の重要さは、異文化理解や寛容の対象とされてきた他文化の存在が自己自身の存在の必要不可欠の要因なのだ、と明示したところにある。自己は多数の非自己によって生かされている、との深い認識がここにはある」(服部英二『文化の多様性と通底の価値』麗澤大学出版会)
 今次の学習指導要領改訂のキーワードは、「多面的多角的」に「考え、議論する」「主体的対話的で、深い学び」であるが、「多様性」について「多面的多角的」に「考え、議論する」「対話」のポイントは何かを鋭く的確に示唆している点に注目する必要があろう。
「通底する価値」とは一体何か。文化や価値観の多様性を認める「寛容さ」にとどまらず、「対話」を通して、共有可能な新たな価値を探求し、違いを活かし合い、補い合い、高め合うという考え方が含まれている。
「普遍的(universal)」という言葉には、「一つにする」という意味があるので、「普遍的価値」ではなく、「通底する価値」という表現にしたのは、道徳教育を進める上でも極めて示唆的である。

 

 

●伝統的国民道徳と市民道徳との融合

 また、2007年のユネスコ国際会議で提起された「伝統と近代の融合」「伝統文化の創造的(交響的“syncretizing”)継承」「子供たちに伝える前に、大人たちは、そのような持続発展教育(ESD)文化を、自ら体現して生きなくてはならない。そのような大人の存在の仕方そのものが、子供の存在を育てる」という「ホリスティックESD宣言」にも注目する必要があろう。
 キーワードは「変容“transformation”」であり、自己と他者が「対話」を通して、“対決”する“試練”を通して「主体変容」するプロセスが、「主体的対話的で、深い学び」にほかならない。
 持続発展教育(ESD)の3本柱は、社会・経済・環境であり、それらを支える基盤が「伝統文化」であるという。道徳教育や人権教育についても、伝統的な国民道徳(文化・歴史)の継承という「不易な縦軸の教育目的」(樹木の“芯”)と社会的・政治的・経済的な市民道徳という「流行の横軸の教育目標」(樹木の“断面”)をいかに調和的・包括的(ホリスティック)に構造化するかが今後の課題である。

 

 

●ヤジと怒号の「第1回道徳教育公開講座」の結末

 従来の人権教育は「知識・理解」の段階にとどまり、自己の意欲・態度や行動に結びつかなかった。いじめ自殺事件が起きた大津市立中学校の道徳教育にも同様の問題点があった。この問題点を乗り越えるためには、幼少期から生命に対する畏敬の念や人の人たる道に気付かせる道徳的「感性」を培い、自己肯定感や自立心などの「非認知能力」を育てる「人権基礎教育」が必要不可欠であり、これが人権感覚・人権意識を形成する基礎になる。
 大阪府教育委員会はこの「人権基礎教育」に取り組んだが、東京都教育委員会は横田夫妻と私を招いて砂防会館で「人権教育シンポジウム」を開催し、拉致問題を人権教育の柱に取り入れた。また、都教委主催の第1回道徳教育公開講座に日教組が組織動員して反対行動を計画していることが明らかになったため、急遽予定していた講師を断り、私に講師を引き受けてくれないかという依頼があり、国立市で開催された同講座で講演をした。
 案の定、講演会場は組織動員された日教組の先生方で埋め尽くされ、ヤジと怒号の中で“数人の拍手”に迎えられて私の講演が始まった。講演中に「講演料はいくらもらってんだ?!」等と下品にやじられたのは百戦錬磨の私にとっても初めての経験であったが、テーマである道徳教育について、心を込めて話し終わると、会場全体から割れんばかりの拍手喝采が起こり、険悪な雰囲気は一掃された。
 後に校長先生たちが慰労会を開いてくれたが、「あの拍手喝采で道徳教育反対運動は完全に“一件落着”と思いました」「一番激しくヤジを飛ばしていたPTA会長が、あまりに無礼な行動を取った責任を追及されて解任された」という。
「出る杭は打たれる。出過ぎた杭は打たれない」とモラロジー専攻塾生や師範塾生たちに“檄”を飛ばし続け、自ら先頭に立って実践してきたが、今年11月に古稀を迎える年になったので、大学院の井出元研究科長を見習って、円熟さに磨きをかけたいと密かに思っている。

 

 

●沖縄とハワイの「楽しい」平和教育が日教組の原点

 日教組教育文化政策局編『もう一つの「平和教育」一反戦平和教育から平和共生教育へ』(労働教育センター)の表紙には大きなひまわりの写真が掲載され、次のように書かれていたので驚いた。
 <髙橋史朗氏は、「これまでの平和教育は『戦争のない状態』という消極的な平和の概念に閉じ込められていたが、これからの平和教育は積極的な平和の新しいパラダイムに立脚して行わなければならない」と指摘しています。…それは自己を変え、社会を変えてゆく楽しい実践の道であるはずです。同時に、それは日教組がもともと歩もうとしてきた道なのです。>
 明星大学通信教育部の大学院で指導した沖縄出身の学生から「平和を脅かす問題に積極的に立ち向かう主体形成を要請するようになってきた」と書かれた沖縄県教育委員会の『平和教育指導の手引』のコピーを手渡された。
 それが契機となって、沖縄県の平和教育研究指定校の全てを訪問し、さらに、学校・家庭・地域社会に暴力が蔓延したハワイのワイアナエ(横綱武蔵丸の出身地)の公立学校で始まった8レッスンで構成された「セルフ・エスティーム(自己尊重)からの平和教育」の現地調査を行った研究成果を、拙著『平和教育のパラダイム転換』(明治図書)にまとめたが、沖縄とハワイで実践されていた「楽しい実践」の平和教育が「日教組がもともと歩もうとしてきた道」だというのである。
「主体変容(自分が変わる)」の「感性を育てる人権基礎教育」は、今まで大事にして積み上げてきた同和教育の成果と教訓ともともと上手く結び合うという高松委員長の指摘と、自己を変え、社会を変えていく楽しい実践が「日教組がもともと歩もうとしてきた道」であるという指摘の共通性に注目する必要があろう、そこに「異なるものの調和」という「通底する世界に身を投じる」「対話」のヒントと課題が明示されているのではないか。

 

(令和2年6月15日)

 

 

※道徳サロンでは、ご投稿を募集中! 

道徳サロンへのご投稿フォーム

カテゴリー

Category

  • 言論人コーナー
  • 西岡 力
  • 髙橋 史朗
  • 西 鋭夫
  • 八木 秀次
  • 山岡 鉄秀
  • 菅野 倖信
  • 水野 次郎
  • 新田 均
  • 川上 和久
  • 生き方・人間関係
  • 職場・仕事
  • 学校・学習
  • 家庭・家族
  • 自然・環境
  • エッセイ

ページトップへ