水野 次郎

水野次郎 – 好奇心格差の解消に向けて

道徳的・探究的キャリア教育を考える⑨

水野次郎

『こどもちゃれんじ』初代編集長

キャリアコンサルタント

モラロジー研究所特任教授

 

●デジタル機器が、子どもの好奇心に与える影響とは

 今回のコロナ問題に伴い、文部科学省が1人1台タブレットの実現を急ぐと報じられました。すでに教科書のデジタル化も打ち出されていて、学校教育のICT(高度に発達したテクノロジーを利用し、より効果的に教育を行おうとすること)化はより進んでいくことでしょう。私自身、今回の学校休業期間中に、小学生の世話をする時間を持ちました。プリントにせっせと取り組む一方、スマートフォンで漢字検定の対策学習をしている子どもの姿に、私自身の受験体験を思い返したものです。というのも私が高校に勤務していた時ですが、定年退職直前の2017年に「キャリアコンサルタント」の国家資格に臨みました。単純記憶すべき内容が多い一次試験を突破するために、私にとっても対策アプリは必須の道具だったのです。いわば反射神経的な対応力を鍛えるうえで、デジタル教材の有効性は、私もこの上なく感じていました。一方、これからの学びの主眼である子どもの探求心を育てるうえで、デジタル教材の方が紙の教科書より有利なのでしょうか? そして本稿がテーマにしている道徳教育に鑑みると、「考え、議論する道徳」への質的転換に向けて、タブレットの活用場面はどのように広がっていくのでしょうか? 少なくともデジタル教材の方が有利であるとは実証されていないと思うので、これから可能性を開いていく作業であることは間違いありません。今回は、教科書のデジタル化の問題と、子どもの好奇心について触れてまいります。
 イギリスのノンフィクション作家であるイアン・レズリーは『子どもは40000回質問をする』(2016)という本で、さまざまな切り口から好奇心を論じました。その中の一つ、アメリカの推理小説作家のベン・グリーンマンが『ニューヨーク・タイムズ』に投稿したエピソードは、デジタル化が好奇心に与える影響について示唆しています。すなわち小学校3年生のわが子が、学校から出された課題で、ヘビについて調査した時のこと。子どもは提出したレポートを父親に披露し「世界一大きなヘビはオオアナコンダだよ」と言いました。そこでグリーンマンが「では2番目は?」と聞くと言葉に詰まりながら、直ちにキーボードを叩いて正解を答えたというのです(私が調べたところ、1分でアミメニシキエビと判明しました)。そのさまを見て、グリーンマンは「後日、百科事典を調べても2番目に大きなヘビのことは書かれていない。自分の子ども時代だったら、もどかしさを感じながらも、やり過ごしていただろう」と、この学びが子どもにとってどんな意味があるのかを考えたのです。
 グリーンマンは「あらゆる疑問に徹底して効率的に答えを提示するインターネットは、その答えよりもっと貴重なもの。すなわち生産的フラストレーションをもたらす機会を断ち切ってしまう。私の理解が正しければ、情報の扱いに慣れた子どもを育成することが教育の唯一の目的でもなければ、最大の目的でもないはずだ。教育とは時間を費やすことで純粋な興味へと発展するような疑問で子どもたちを満たすことである」と述懐し「あまりにも答えが早くわかると、好奇心は根を張ることなく枯れてしまう」と警告しました。引用したレズリーは「苦労して学ぶ方が習熟度は高い」というエイブラハム・リンカーンの回想も追記していますが、私も体験的に深い共鳴を禁じ得ません。子どもが疑問を解決するプロセスは「何だろう?」から始まり「こう考えたらどう?」と少しずつ間合いを詰めて到達していく、発問者とのコミュニケーションを楽しむプロセスでもあると思うからです。

 

 

●情報化時代における好奇心の育て方

『子どもは40000回質問をする』には、子どもの知性を育てていくうえで、いかに好奇心が大切であるか。その認識に基づき、子どもを取り巻く情報環境についての問題が提起されています。思い返せば、私が『こどもちゃれんじ』の編集を担当していた時、「子どもの好奇心を育てること」を最上位の判断基準にして、幼児雑誌作りを進めていました。創刊当時の32年前、私たちが提供していたのは、絵本とカセットテープとワークブックなどすべてアナログ教材。キャラクターの問いかけによって、子どもの疑問を顕在化しながら増幅させる努力を重ねていました。動画全盛の今からすれば、隔世の感がある景色でしょう。毎号、作成した誌面を幼稚園に持ち込んでは、子どもの知的な世界の広がりを観察していたことも懐かしい思い出です。
 レズリーは好奇心を、人が原初的に持つ拡散的好奇心と、共感的好奇心に分けて論を進めていきます。後者は言葉通り、相手の立場に立って気持ちに寄り添おうとする時に生まれると言い、周囲との関係作りに心を砕く幼児の親を思うと、極めて常識的な考えと言えましょう。さらに「人の知的好奇心が開花したのは近代以降であり、印刷機の登場と産業革命によって余暇時間が膨大に増えて、新しい事に挑戦する余裕が生まれたからだ。インターネットの発展でさらに飛躍の時代を迎えてもよさそうだが、そうはならない。好奇心旺盛な人と無関心な人との間の格差が開き始めている」とも断じます。「どのような世界も、好奇心がずば抜けている人が活躍をしている」ことを引き合いに、好奇心格差は経済格差につながるという暗示は、現実に進行していると得心しました。メディアの発達により、逆に人が備える原初的な能力が弱体化する、皮肉な現象とも読めるかもしれません。レズリーが通っていた学校では、課題が与えられなければ本を読む学生はいなかったと振り返ります。日本も同じ事情であることは、書物の売れ行きや読書時間調査などのデータでも示されてきました。世の中の出来事に対して好奇心を展開し、新しい価値の創造を期待される時代。再びレズリーの言葉を借りれば、「認知欲求が高い人は、洞察力を要し、常識を揺さぶり、難問を突き付けてくるような経験や情報を、自分から求める傾向が強い」と言います。共感的好奇心を発揮して、絶えず未知の旅を模索している状況を創り出させるのは、今の時代に求められる最も大切な大人の役割かもしれません。では未知の旅をするための教材を、どのように提供するべきでしょうか。子どもがデジタル機器に慣れ過ぎることは、あたかも便利さに頼ることによる健康障害などと同じ危険を秘めているのでしょうか。

 

 

●デジタル教材とアナログ教材の使い分け ~ 考え、議論する道徳への質的転換

 教育現場におけるデジタル化について、早くから警鐘を鳴らしていた研究者の一人が、東大の酒井邦嘉教授です。言語と脳の研究を進め『脳を創る読書』(2011)などの著書で、文部科学省が示した電子教科書の全面導入の方針に疑問を呈していました。酒井教授は「PC、タブレット、スマートフォンでも本を読むことはできますが、紙に印刷された本を読む場合、重さや手触り、装丁、ページをめくった際の音、本の香り、読み進めた位置、気になった文字と紙との位置関係など、視覚的・触覚的・嗅覚的・聴覚的、そして空間的な情報を、無意識のうちに記憶しています。こうした紙の本の特性が、大いに脳を刺激し、想像力を養うのは言うまでもありません」とし、読書が五感を活用する側面に注目していました。さらに早稲田大学・文学学術院の宮田裕光教授の調査結果を引き合いにして、読書習慣と心理状態との関係性も述べています。読書を通して、瞑想による自己観察・注意持続に近い体験が得られ、それらが望ましい心理状態に役立つ可能性が示唆されたとのこと。宮田教授は、心的資質質問紙調査や自律神経計測という方法を用い、瞑想に関する心理や生理機能の変化を説明しました(日本生涯学習総合研究所の客員研究員として調査・2017)。紙の読書が、心理状態を望ましい方向へ導くことや、免疫力を向上させ、記憶力もよくするという指摘にも、注目してよいでしょう。
 改めて1人1台タブレットは、これからの教育現場にどのような地平を切り開いていくのでしょうか。たとえば道徳教育において、グリーンマンの子どもの行動を重ねてみると、「考え、議論する道徳」の理念が「調べて、受け売りする道徳」に留まる懸念が生じはしないでしょうか。そもそも道徳本来の目的に立ち返ると、議論する段階で終わっては不十分であり、いじめ防止の目標に照らしても「感じて、受け止め、行動する道徳」へと発展するべきです。こうした質的な転換を果たすためには、デジタル依存による危険を周囲の大人が意識し、あえて不自由な学習場面を創り出すこと。それが知的な体力を育てる術であり、共感的な好奇心の養成につながっていくと考えます。そもそも物事には目的と手段があり、道徳にはデジタル教材は馴染みにくい面があるように思えてなりません。
 次回は『流れる星は生きている』(藤原てい・1949)という本を道徳の教材として活用したエピソードから、道徳科の価値項目の一つ、「家族愛」について触れてまいります。

 

(令和2年6月8日)

 

 

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