水野 次郎

水野次郎 – 埋めるべきは誰の、どのような格差?

道徳的・探究的キャリア教育を考える⑧

水野次郎

『こどもちゃれんじ』初代編集長

キャリアコンサルタント

モラロジー研究所特任教授

 

●「学力格差」の椅子取りゲームが入学試験

 前回、新型コロナウイルスの問題に伴い、教育に対して問題提起された次の記事について触れました。「学校がいつ再開するかわからない中、子どもの学力について保護者たちの不安が増大している。このままでは学力格差が広がるばかりである。ではどうしたらいいのか?  実は、答えはすでに明らかになっている。それはオンライン授業だ」(東洋経済ONLINE・4月9日)。
『階層化日本と教育危機』(苅谷剛彦2001)により、家庭の経済力と子どもの学力の相関が示されて以来、話題になる機会が多くなった学力格差。そもそも「学力格差」とは、具体的に何を指すのでしょうか。そしてどのような対策が講じられるべきなのでしょうか。今いちど、この問題を取り上げてみます。
 学力格差を生む主因とされる経済格差においては、一般的に年収と貯蓄に焦点が当たります。いずれも明確に数字化される指標であり、課税の比率や減税措置、諸手当などが真っ先に議論されるところでしょう。反面、学力格差となると、その対象と指標はずいぶん複雑になります。

 

 ①対象の年代
 ②対象となる教科。美術や体育、道徳は学力格差の対象か
 ③評価指標はテスト学力の点数か
 ④平均点が高い学校と低い学校の学力格差
 ⑤点数が高いクラスと低いクラスの学力格差
 ⑥私立か公立か、設置主体の違いによる子どもの学力格差
 ⑦地域による学力格差
 ⑧塾に通える子どもと通えない子どもとの学力格差
 ⑨諸外国と比較しての学力格差
 ⑩母語の違いによる語学力の格差 

 

 こうした格差の問題を考えるにあたり、注目する格差によって、検討すべき問題と打つべき手立ては変わるはずです。たとえば②であれば、文系の高校生と理系の高校生の格差は、教科別に明確ですし、実業高校の生徒が持つ専門知識と普通科の生徒の格差。あるいは、スポーツや特殊技能で大学進学を目指す生徒と、そうでない生徒の学力格差などについては、誰も問題にしないでしょう。とすると学力格差は、主に義務教育段階の問題と考えてよさそうです。では格差が問題にするのは、高校進学に向けてのテスト学力なのか、もう少し幅広に考えるのか。論点次第で問題の性質が変わるので、格差の中身を明らかにしないと、対策のあり方を議論することはできません。
 仮にテスト学力に焦点を当てると、入学者を選抜する根拠は受験者の学力格差です。「偏差値輪切り」と言われるほど細かいその格差。大学進学まで目をやれば、頂点の東大から小刻みに格差がつけられています。東大には多額の税金で整備されてきた、国内最高の教育環境と手厚い指導陣の体制があり、高度な教育を求めて国内外から集まる学生の多彩さと優秀さ。そこへ求人の手を伸ばす官庁や企業、教育機関など、他大学とは明らかな格差があることは言うまでもありません。入試は、厳然としてある格差の上位を目指す椅子取りゲームであり、定員数が決められたゼロサムゲームともいえます。学力格差を問題にして改善を図っても、選ぶ側はより小さな格差に注目せざるを得ない、という矛盾を抱え続けてきました。こうした現実を、大学は社会とともに助長してきた歴史があります。およそ半分の子どもたちが、大学への進学を目指す今の時代。学力格差の上位に行き着くためには、テスト学力を合理的に伸ばす塾や予備校などに通わせることが有利であり、親の経済力の格差がそのまま人気上位校への進学につながるというのが、苅谷剛彦オックスフォード大学教授の指摘でした。

 

 

●学力格差に対する提言 ~ 文部科学省と日本小児科学会の視点

 今、文部科学省のホームページには学力格差に対する調査結果と提言内容が掲載されています。「学力格差にどう立ち向かうか(千葉県検証改善委員会)」と題し、苅谷教授を座長とした委員会が改善案を検討し、3つの施策が示されました。

 

 ①社会経済的に恵まれない地域への行財政的な支援 
 ②非通塾の生徒が多いような学校に対して、教員を増員するとともに、経験豊富な教員を厚く配置 
 ③各学校において、授業研究や放課後の学習サポートを積極的に実施する

 

 ここではオンライン授業への言及はされていません。格差を埋める方法という観点では、適切な対策ではないからなのではないでしょうか。そもそも家庭における利用環境には格差があり、学習能力を問う前に「学習環境格差」が大きいことが歴然としています。苅谷教授をはじめ改善委員会が手段ではなく、学習者が置かれた実情にまなざしを向けたのは、良心的な見識と深く共感しました。そもそも教育の原点は、教える側と学ぶ側、あるいは学ぶ側同士の体温と鼓動を伝え合う営みに他なりません。学校の先生方は、もとより肌身で感じていることでしょうが。
 冒頭記事を掲載した東洋経済新報社は、学力格差の問題について、学習塾に対する取材記事を続報しました。こちらではオンライン化によるメリットとデメリットが対比されていて、扱いの変化が見られ興味深いです(東洋経済ONLINE・5月7日)。学力格差は、オンライン授業で埋められるという単純な理屈ではないと考えてよいでしょう。
 5月20日には日本小児科学会が、ホームページで「学校や保育施設の閉鎖は流行を阻止する効果が乏しい上に、教育や社会交流の場を奪い、子どもの心身を脅かしている」という声明を発表いたしました。「子どもが感染源となった集団感染は、国内外ともにほぼ見られない」といった知見も併せ、教育行政に対する提言を示しています。この指摘こそ、専門家も市民も大いに耳を傾けるべきではないでしょうか。もちろん、オンライン授業が秘める可能性を否定するつもりはありません。学習内容もさることながら、コミュニケーションツールとしての価値は見過ごせないでしょう。しかし日本小児科学会が指摘する、学校閉鎖により生じる家庭内暴力や抑うつなど、子どもと保護者の心の問題。加えて食生活の不安は深刻であり、優先順位を真剣に論議しなければならないことを痛感いたします。
※日本小児科学会の医学的知見
http://www.jpeds.or.jp/uploads/files/20200520corona_igakutekikenchi.pdf

 

 

●「やさしさの格差」や「思いやりの格差」にも目を向けたい

 改めて学校教育の目的に立ち返ると、一つは個人が人生の充実と幸福を得るために、学習する機会を提供すること。一つは社会秩序を保つため、構成員である個人に、修得してもらいたい学びを提供することです。総じて学びの成果は社会の発展に還元される面が強く、受験のためのテスト学力に矮小化されることは望ましくないでしょう。
 そこで健全な社会を維持する個々人の良識に目を向けると、新型コロナウイルス発生を機に、多くの騒動が発生しました。政治レベル、行政レベル、市民レベルと、マスメディアやインターネットを通して、不道徳な行為が指弾される話題は尽きません。為政者から一人ひとりの生活者に至るまで、行動の倫理基準を問い正す内容の報道が、毎日のように流れています。これらはまさに、生きた教材と言えるのではないでしょうか。義務教育の目的に立ち返ると、公正や正義感、あるいは社会規範など、共同体を構成する人としての自覚を育てる、絶好の機会とも言えます。学力格差とともに、一方で日本人が伝統的に大切にしてきた誠実さ、やさしさ、思いやりといった心情の格差にも、目を向けるべきなのかもしれません。
 格差が作る社会の階層について、思想家の内田樹は「学校教育をつうじて身に付いた教養、知識、技能、感性」を、「幸福に生きるための知的資本」と称しました。そして若者に対し、教養に基づく人と人との交流の意義を説いています(内田樹著『街場の現代思想』2004) 。 最近では数学者の藤原正彦が、欧米の豊富な事例を紹介しつつ、やはり教養の価値を力説しました(藤原正彦著『国家と教養』2018)。
 教養とは敷居が高い言葉ですが、テスト学力に代表される「認知能力」だけではなく「非認知能力」。それを育てるための「感受性の格差」や「読書力の格差」など、周囲の大人は多様な指標を意識して子どもに向き合い、啓発していくべきではないでしょうか。そこで次回は、非認知能力の根本とも言える「好奇心格差」という概念について触れたいと思います。

 

(令和2年5月26日)

 

 

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