言論人コーナー

髙橋史朗 –道徳科の目標「道徳性」の3本柱の関係を見直せ

髙橋史朗

モラロジー研究所教授

麗澤大学大学院特任教授

 

 

●空回りする「道徳教育の質的転換」

 道徳教育の研究指定校でいじめ自殺事件が起きたことは、道徳教育を根本的に見直す必要があることを示唆している。深刻ないじめ問題が契機となって、道徳が「特別の教科」となり、従来の指導が「読み物教材の登場人物の心情理解」に偏ったり、分かりきったことを言わせたり書かせたりする指導に終始しがちであった点を反省し、自分自身の問題として「あなたならどうするか」を問う問題解決的な学習や、「多面的多角的」に「考え、議論する道徳への転換」を目指してきた。
 平成28年11月に、「いじめに正面から向き合う『考え、議論する道徳』への転換に向けて」と題する文部科学大臣メッセージが発表され、文科省は「考え、議論する道徳」の授業づくりのための実践事例集や教材を公開して、各学校の取組の後押しをしてきた。
 情意と認識・判断と行動をバランスよく授業展開することを意図した「主体的・対話的で深い学び」によって、自らが問題を解決する「主体的な学び」、考えの違いを交流する「対話的な学び」、言葉に関する新たな気づきを促し、「言葉の力」に関して深く省察する「深い学び」の実現に向けた「道徳教育の質的転換」が求められているが、教師の意識改革は進まず、授業改善の高邁なスローガンが空回りしているように思われる。
 その原因は一体何か。教科化された道徳科の目標について、学習指導要領は次のように規定している。「よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考え、自己の生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる」。
 つまり、道徳科の目標は「よりよく生きるための基盤となる道徳性を養う」ことにあり、道徳性の資質・能力の3本柱として、⑴道徳的判断力、⑵道徳的心情、⑶道徳的実践意欲と態度が挙げられている。

 

 

●「認知的共感」と「感情的共感」

 また、道徳科における指導の特質は、「児童一人ひとりが、ねらいに含まれる一定の道徳的価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考え」「道徳的価値に関わる考え方や感じ方を交流し合うことで」「自己の生き方についての考えを深める学習を通して、内面的資質としての道徳性を主体的に養っていく時間」であり、「児童が道徳的価値を自覚できるように指導方法の工夫に努めなければならない」と示され、更に「指導計画の作成と内容の取扱い」において「言語活動を充実すること」を強調している。
 脳神経倫理学・認知心理学の知見によれば、道徳的判断力は、他者の感情や表情をしぐさから推測したり、他者の立場に立って感情を理解する役割取得を含む、他者の感情を想像する「認知的共感」に近く、道徳的心情は、他者の感情を自分のことのように感じる「感情的共感」に近い概念である。
 島根県立大学の山田洋平准教授によれば、「認知的共感」だけでは向社会的行動が阻害されたり、他者の感情理解(認知的共感)を巧みに利用した攻撃的行動につながる可能性があるという。それ故に、適切な向社会的行動を行うためには、発達初期に萌芽的に内在し、環境要因や生育要因などによって形成される「認知的共感」と「感情的共感」という道徳性の芽生えを家庭でいかに育み、道徳の授業でこの二つの共感性をいかにバランスよく育成するかが重要課題といえる。

 

 

●「脳神経倫理学」の道徳的判断研究

 前述した「読み物教材の登場人物の心情理解」は「認知的共感」に偏っており、「感情的共感」の育成が欠落または不足していたといえる。fMRI(機能的磁気共鳴画像法)の実験によって、人間の道徳的判断に関する脳神経倫理学研究が飛躍的に進展し、認知心理学的研究でも、「道徳的判断は、情動的な直観によって下される」ことが、ジョナサン・ハイトによって明らかにされ、「情動的な直観」に働きかけてこなかったことが「道徳教育の深刻な誤り」であると指摘された。
 この点を踏まえ、「感情的共感」すなわち「情動的な直観」に働きかける具体的実践に取り組む必要がある。学習指導要領解説によれば、「読み物教材等を活用した場合には、その教材に登場する人物等の言動を即興的に演技して考える役割演技など疑似体験的な表現活動を取り入れた学習も考えられる」とあり、ロールプレイの活用が求められている。役割演技を通して、いじめる側の気持ち、いじめられる側の気持ちを自分に引き付けて感じる「感情的共感」を深める必要があろう。
 情動の身体的知覚説をオクスフォード大学出版の著書で展開したジェッシー・プリンツは「道徳的判断は、状況の知覚とそれに伴う情動により構成される」と主張している。また、道徳的判断における「感知の役割」を探求したグリーンらは道徳的ジレンマ実験によって、道徳的判断においては、感知が対立・競合するという二重プロセス説を唱えたが、感知を融合的に捉える最新の研究に東大の信原幸弘教授らは注目している(『脳神経倫理学の展望』勁草書房、参照)。

 

 

●「自粛」の率先垂範が最も大切な道徳教育

 こうした脳科学等の最新の科学的知見に基づいて、道徳科の目標である道徳性の3つの資質・能力である「道徳的判断」と「道徳的心情」と「道徳的実践意欲と態度」との関係を根本的に問い直す必要がある。二つの共感性と実践意欲・態度とがどのようにつながっているかを明らかにし、「感情的共感」と「認知的共感」を発達段階に応じてバランスよく育成していくことが道徳教育の今後の課題といえる。
 コールバーグの認知発達理論に基づくモラルジレンマ授業は「認知的共感」の育成に効果的であるが、役割演技等の「感情的共感」を深める実践の深化によって補い、「感知合流」の道徳教育の創造が時代の要請である。
 今回の非常事態宣言下で、「自粛」という我が国の民度の高さが実証された国民道徳の伝統文化の価値を「感じ、見つめ、深め、自覚させる道徳教育」も必要であろう。国連サミットで193カ国が全会一致で採択した持続可能な開発目標の3本柱は社会・経済・環境であるが、その土台が伝統文化であることを忘れてはならない。
 ユネスコの国際会議は「子供たちに伝える前に、大人たちがその持続可能な文化を自ら体現して生きなくてはならない」という宣言を発表したが、大人が率先して自粛する伝統的な生き方を示すことが、今日家庭・地域・学校が一体となって推進すべき最も大切な道徳教育といえよう。

 

(令和2年5月18日)

 

 

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