エッセイ

大野正英 – 新型コロナウイルスについて考える

大野正英

モラロジー研究所 道徳科学研究センター

社会科学研究室室長

 

 新型コロナウイルスの感染は全世界に広がり、多くの死者を出しています。わが国においても終息のめどは全く立っておらず、多くの人々が自粛を余儀なくされ、不安の日々を送っています。この問題をどう考えたらいいのか、私たち一人一人はどのような意識でどうこうどうしたらいいのか、道徳性という視点も交えながら考えていきたいと思います。

 

◎戦略はぶれていない

 まず確認しておきたいのは、今回の新型コロナウイルスは未知のウイルスであり、現在までのところワクチンも確実な特効薬もなく、各国が手探りで対策を進めている状態であることです。それゆえ状況がどんどん変化するために、各国政府の対応も「走りながら考える」ということになり、混乱が避けられない状態になっています。わが国も例外ではありません。
 その中で、日本は先進国の中では感染の始まりが早かったにもかかわらず、比較的感染の広がりを抑えており、特に死者の数については欧米諸国と比べた場合、2ケタ少なくなっています。欧米のような強制力を伴うようなロックダウン(都市封鎖)を行うことなく、自粛という緩い手段だけでこのような状態を維持していることは、海外から見ればまったく不可解だと思われますので、危惧する声も多数寄せられていましたが、少なくとも現在までの時点ではそのような事態にはなっていません。今後事態が落ち着いたときに、日本の成果は驚きを持って受け止められることは間違いないでしょう。
 さて今回のウイルスに対する日本政府は、当初から対策の目的を「医療崩壊を防いで重症者・死者の数を抑える」ことに置いてきました。そのために、感染者発生のピークをできるだけ遅らせて、感染者数のピークの山を低くすることを戦略の柱としてきました。この戦略は、
①感染者数、特に重症者数を医療の対応できる能力に抑えられること
②治療薬の開発までの時間を稼げること
③海外の先行事例をデータとして蓄積することによって、活用できること
といった点で、対策として有効性を持っています。現在までのところ、この戦略は成功しているといって良いと思います。もちろん、緊急事態の連続ですので、状況の変化に応じて具体的な対応策はどんどん変わっていきますが、戦略の根本部分は一貫しており、ぶれていません。
「走りながら考えている」わけですから、その時々において細かなミスや不備が生じることはどうしても避けられませんし、そのため個別のケースでは気の毒な事例も発生することがありましたが、全体としてはうまく対応できていると評価できます。これは政府と専門家の協力体制の成果であると考えられ、一例を挙げれば、クラスターを見つけ出してそこからの広がりを封じ込めたり、3密の状態をリスクが高いことを発見し、それを避けるよう広く周知したりという独自の方策も、感染の抑制に寄与しています。個々の政策に対してメディアや野党から批判が出ていますが、それらの多くは、政権に対する「批判のための批判」に過ぎず、全体として見た場合には、死者数を抑えてきたという実績からここまでの政府の対応は評価すべきであると考えます。怪しげな陰謀論やヒステリックな発言は、社会に不安と混乱を引き起こすだけで、有害無益です。国民に対するコミュニケーションという観点からは、政府の対応が十分とは言えず、国民に無用の不安を抱かせた点については、今後の反省点になるかと思います。

 

◎国民の自発的な協力姿勢が実を結ぶ

 日本政府がこのような自粛を中心とした比較的緩い手段を選択したのは、できるだけ社会・経済活動や日常生活を維持しながら感染を抑制しようとする、ぎりぎりの綱渡りの戦略でした。これが日本において成果を上げることができたのは、ひとえに多くの国民がその方針を受け入れて自主的に協力的な自粛行動をとったことにあります。こうした姿勢は東日本大震災のときに見られましたが、こうした戦略をとることができたのは、政府の側が国民の行動に対して信頼を持ち、国民の側がそれに対してきちんと応えることができたからです。一部には自粛要請に従わず勝手な行動をとる不心得者もいますが、それは一部の例外であり、全体から見れば、多くの国民が自制的な行動をしたことが、現在の状況の大きな理由だと思います。一方で「自粛警察」と呼ばれるような、自分が問題と思う行動に対して過剰に反応する事例もでてきていますが、それも自分の勝手な正義感の押し付けで、本来のモラルのあり方ではありません。こうした事例もまた一部の例外であり。多くの国民はこの点でも自制的な行動をしています。
 また厳しい状況の中でも、医療などの最前線で働いている人への感謝を示したり、互いの協力や連携を通じて絆を強めようとしたりする好ましい動きも起きてきています。困っている個人や事業者を寄付や購買行動などのさまざまな形で支援する行動も全国各地で見られています。事態が収束したときには、こうした思いやりある行動とそれが作り上げた人々の連帯がきちんと総括され、あらためて評価されるものと期待しています。

 

◎長期戦への備えを

 さて、今回のウイルスについてはいったん流行が収まったとしても、海外から再度流入する可能性があり、油断すると拡大が再発する危険性が指摘されています。これは過去のスペイン風邪の例などからも明らかであり、根本的な終息は、国民の相当数が感染して抗体を持つ「集団免疫」の実現か、有効なワクチンの完成と普及を待つしかありません。前者については相当な犠牲を伴うことになり、現実的でありませんし、ワクチンの開発・普及には1年以上かかるとの予測もありますので、いずれにしろ長期戦を覚悟せざるを得ません。大規模な自粛は少しずつ緩和されていくでしょうが、おそらく完全な終息を迎えるまでは、ブレーキとアクセルを交互に踏むように、規制の強化と緩和を繰り返し行うような政策が採られることが予想されます。
 今回の事態が長期戦・持久戦になることは安倍総理も繰り返し発言していますし、ノーベル賞学者の山中伸弥教授は、こうした状況について「ウイルスとの戦いではなく、共存である」と表現しています。そうした状況においては、警戒心を維持しながらも、経済活動や日常生活をできるかぎり維持していくことが必要になってきます。そこで私たち一人ひとりに対しては、何よりもまず今まで行ってきた感染予防対策を継続していくこと、例えば手洗いやマスク着用を励行する、感染リスクの高い行動を自制するといった行動が求められます。「新しい生活様式」を職場や家庭の中で模索していくことになるでしょう。
 またそれと同時に、長期にわたって心の平穏を保っていくことが必要になります。不安を煽るような情報に踊らされることなく、正しい情報に基づいて行動すること、周囲の人々とのつながりや協力を大切にするよう心掛けていくことが必要です。ようやく現在の波の収束の見通しが立ってきましたが、自粛が解除されたからといって、開放感から感染リスクが高い場所に出かけるといった急激な行動の変化が起きると、感染拡大が再燃する危険性は常に残っています。完全に終息するまでは警戒心を維持して自制的な行動をとり続けなければなりませんので、そのためにもやはり人々のモラルや自制心、公共心が重要な役割を果たすことになります。

 

(令和2年5月7日)

 

 

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