山岡 鉄秀

山岡鉄秀 – 道徳二元論のすすめ8 – コロナ危機の中で見直すべき国のあり方

山岡鉄秀

モラロジー研究所 研究センター研究員

 

●要請無視に対する最高の罰則とは

 日本では辛うじて感染爆発は起きていないものの、感染拡大は続いており、医療現場はすでに疲弊しているようです。院内感染も複数個所で発生し、物資も不足しています。まだピークアウトには時間がかかりそうです。

 

 一方で、休業要請を無視して営業を続けるパチンコ屋と、そこへ列をなして通う客が後を絶ちません。地方の観光地も人や車で溢れ、知事が「来ないでくれ!」と叫んでいます。

 

 海外の人からすると信じられない光景です。緊急事態宣言が出されるのはもちろん有事ということですから、海外では平時とは全く異なるルールで厳しい制限が敷かれます。オーダー(order)と呼ばれる要請に違反すれば刑事罰の対象となり、高額の罰金が科され、懲役刑もあり得ます。著しく私権を制限することになりますが、それが有事であり、緊急事態宣言の目的ですから、それ自体に異議を唱える人はほとんどいません。全体の生存が危機に晒される戦争状態だからです。

 

 ところが、日本では総理大臣以下、お願いしてばかりです。要請が無視されたら指示ができる、というのですが、いずれにしても法的強制力がありません。パチンコ店には公然と無視されたりします。そこでどうするか? 店名を公開するというのです。

 

 これ、ため息が出るほど日本的です。最高の罰は、名前を晒して世間様に恥を晒すことだというのです。さすがは恥の文化の国です。しかし、パチンコは中毒性の高いギャンブルです。店名を公開したら、「お、あそこはやっているのか?」と客が殺到することにならなければいいのだが、と懸念していたら、案の定そのとおりとなってしまって……。

 

 日本は災害の多い国で、これまで多くの苦難を国民の民度の高さ、勤勉さ、協調性で乗り切ってきました。大災害の後でも暴動や略奪が起こらない稀有な国として称賛を浴びてきました。だから、日本人は危機管理能力が高いと思われてきました。しかし、今回のもたつきぶりは海外から奇異の目で見られています。幸い死者数が少ないからいいものの、いったい何をやっているんだ? という感じです。

 

●今こそ、“普通の国家”を目指すべき

 ある意味、地震や津波はわかりやすい災害です。局地的で、誰の目にも明らかな災害です。しかし、感染症のアウトブレイクは見えない敵との闘いです。特にコロナウィルスは感染者の半分は無症状で、発症しなくても他人に感染するステルス性が最大の特徴です。油断しているうちにどんどん広まってしまい、ある日感染爆発を起こすと短時間で医療崩壊が起こり、死亡率が急上昇してしまいます。あっという間に重篤化して亡くなってしまうケースも多くあります。

 

 この新しいタイプの危機に瀕して、個人まかせの危機管理には限界があることが明らかになったということです。

 

 全国一斉休校や外出抑制要請など、法的根拠のない「お願い」を繰り返し、いよいよ追い詰められたら緊急事態宣言を出すも、それですら法的強制力を持たないという驚きの顛末。先の戦争で大敗北した日本は、私権の制限は全体主義につながり、全体主義は戦争につながると思い込み恐れるあまり、有事における危機管理という発想が希薄のままここまで来てしまったのです。

 

 それでも、日本人全般の道徳心の高さと協調性でなんとかここまでやってきました。しかし、全国規模で長期にわたる見えない敵との闘いでは限界を露呈してしまいました。

 

 この機会に、普通の国家になることを目指すべきです。そもそも、私権の制限には慎重にならなければならないと言いながら、法的根拠もなく私権を制限してはいけません。大きな矛盾です。私権の制限に憂慮するなら、なおさら法律を整備しなければなりません。その法律を担保する憲法の改正も必要でしょう。危機対応のための私権制限は、明確な法的根拠を持って、できるだけ早く始めて早く終わるのが鉄則です。

 

●人格教育を意識的におざなりにしてきた結果……

 個人まかせで対応することの限界を指摘しましたが、同時に、道徳心の向上を目指すことが大切です。これは全く矛盾していません。

 

 登山家の野口健さんが4月21日、緊急事態宣言下で登山家に登山自粛を呼びかけるツイートをしたところ、IT実業家のHさんが「頭悪すぎて笑う」とコメントしました。山登りでの感染リスクは低いのに自粛する奴は馬鹿だというわけです。特殊なキャラの人ではありますが、気分が悪くなりました。SNSが発達して、各人の人格や素養がストレートに現れるようになりましたが、高学歴で頭がよくても、意見の違う相手をすぐ「バカ、クソ」と言い放ち、その違いを容認して議論することができない、子供じみた人が多くなったという印象を受けます。

 

 これはやはり、戦後の教育が知力優先で、人格教育を意識的におざなりにしてきた結果ではないかと思います。公共心が希薄で平気で人を罵倒するような自己中心的な人間が増えたらどうなるでしょうか? ますます、厳しい法律でコントロールしなくてはならない社会になるのです。息苦しい管理社会に住みたい人は多くないはずです。

 

 個人の道徳心を当てにせず、有事に際しては強制力を持ってしっかり対応できる法整備をすると同時に、各人の道徳心を養う教育にも力を入れるべきです。バランスが大切だということです。

 

 ちなみに野口さんの「頭悪すぎて笑う」への返答は素敵でした。

 

「笑いを求めた呟きではなかったのですが、しかし、笑いが少なくなりつつある今日において、お一人様にでも笑いを提供できたのはよかった」

 

 

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