高橋 史朗

髙橋史朗 9 – 国語教科書・社会科教科書が危ない根因は何か

髙橋史朗

モラロジー研究所教授

麗澤大学大学院特任教授

 

 

●「日本の良さを自然と学べるいい教材が」

「国語教科書が危ない!」と危機を感じた教師から、新しい小学校5年生国語教科書の新教材として、ハングル表示の韓国語と中国語と日本語の表が加わり、この教材が入ったおかげで、「千年の釘にいどむ」という日本の和釘と職人さんを扱った教材が削除されたことを知らされた。
 参考文献として紹介された、日本の伝統工芸や職人をテーマにした本や、稲村の火で有名な浜口儀兵衛の伝記を掲載した「百年後のふるさとを守る」という津波を扱った教材も削除されたことが「一番問題だと思った」という。
 さらに、祖母と孫のほのぼのとするお話の「わらぐつの中の神様」も削除され、「日本の良さを自然と学べるいい教材が、ごっそり削除されて、代わりに中国語と韓国語。誰がこんな馬鹿な入れ替えをしたのかと怒りが込み上げてきた。自由社の6年社会科教科書も検定で不合格になったし、どこかで邪な力が働いているのではないかとの疑いが晴れない」と怒りをぶちまけた。
 この教師が言うように、この国語教科書の問題点と自由社の6年社会科教科書の不合格とは深い関連があると思われる。「どこかで邪な力が働いているのではないかとの疑い」の正体は一体何か。「邪な力」の正体は国民一般の目にはわからない厄介なところにある。

 

●アクティブ・ラーニングや「多面的・多角的考察」の名の下に

 それは平成29年3月に告示された新学習指導要領において、育成を目指す資質・能力の柱を次の3本柱にしたことに端を発している。
 ⑴ 知識及び技能が習得されるようにすること。
 ⑵ 思考力、判断力、表現力等を育成すること。
 ⑶ 学びに向かう力、人間性等を涵養すること。
 この改訂は、学力の構造を根本的に見直し、「何を知っているか」から「何を理解しているか」、「個別の知識、技能」から「生きて働く知識、技能」への転換に加えて、教科などを横断する汎用的スキルには、認知的・情意的・社会的の3側面と、「自己調整や内省等を可能にする」メタ認知があるとして、教科等の本質を拠り所に、内容と資質・能力の調和的実現を目指したものである。この改訂自体は「邪な力」とは無縁な真っ当なものである。
 この改訂の根拠となったのは、平成27年8月26日の教育課程企画特別部会の次のような論点整理である。「まずは学習する子供の視点に立ち、教育課程全体や各教科等の学びを通じて『何ができるようになるのか』という視点から、育成すべき資質・能力を整理する必要がある。その上で、整理された資質・能力を育成するために『何を学ぶのか』という、必要な指導内容などを検討し、その内容を『どのように学ぶのか』という、子供たちの具体的な学びの姿を考えながら構成していく必要がある」
 つまり「何ができるようになるのか」(思考力・判断力・表現力等)という目標論=学力論を上位に置き、「何を学ぶのか」という教育内容論と「どのように学ぶのか」という教育方法論を、その目的実現の手段として位置づける「学力構造の転換」を図ったわけである。
 ところが、その結果、「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」という平成20年の学習指導要領の歴史的分野の目標が、平成29年の改訂で、目標一「諸資料から歴史に関する様々な情報を効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする」、目標三「多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚…」と改められ、「我が国の歴史に対する愛情」「国民としての自覚を育てる」という歴史的分野の本来の目標がアクティブ・ラーニングや「多面的・多角的考察」の名の下に、軽視または矮小化されるという結果を招き、聖徳太子や坂本龍馬、神道や神話などの記述が「近年の学説状況を踏まえていない」等の理由で一発不合格になるという事態を招いたのである。
 例えば、文科省の「自由社・不合格理由に対する反論書」に対して文科省が「否」とした理由の第一は、「新学習指導要領の実施に伴い、諸資料の読み取りが重視されるようになったことを踏まえた指摘である」、第二に、「近年の学説状況を踏まえた記述になっていない」と書かれていることがそのことを物語っている。
 前述したように、平成29年の改訂で、「諸資料から歴史に関する様々な情報を効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする」ことを、歴史分野の目標の第一に掲げた影響がこのような検定結果につながった点に注目する必要がある。本末転倒も甚だしいといわざるを得ない。
 能動的学修への質的転換が必要だという大学教育改革のために用いられた「アクティブ・ラーニング」が唯一の学び方だと固定化され、ワンパターンの学びを押し付けようとする間違った動きが教育界に広がっていることを厳しく批判し、警鐘乱打している鈴木寛氏は、「いつのまにか、アクティブ・ラーナー(学び手)がアクティブ・ラーニングにすり替えられてしまっているような危惧を覚えます」と指摘しているが、その影響が教科書検定にも色濃く見られる。

 

●「伏魔殿」と化した組織を正常化させねば

 歴史的分野の目標の第三の「多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚」というのは、本道徳サロンで紹介した小学校4年生国語教科書の「ごんぎつね」の授業(「道徳教育が『育くんでこなかったもの』とは」参照)や、ジョナサン・ハイトが指摘した「道徳教育の深刻なあやまり」と全く同様の問題点があるといわざるを得ない。
 かつて小林秀雄は「歴史と文学」と題した一文で、「歴史は涙なくして読めない感動の物語の連続である」と書いた。「我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚」は、ジョナサン・ハイトが指摘したように、「乗り手(思考=頭で理解)」に働きかけるのではなく、巨大な「象(感情、情動、直観)」に働きかけねば育まれないものである。
 道徳科の目標の理論構造を感知徳一体の観点から根本的に見直す必要がある(拙稿「脳科学から道徳教育を問い直す―新たな道徳教育学の樹立を目指して⑴―」『モラロジ―研究』84号参照)が、歴史的分野の目標の理論構造についても根本的に見直す必要がある。この歴史的分野の目標三の問題点が、自由社の教科書の一発不合格にも影響した点を見落としてはならない。
 平成28年12月の文科省の中央教育審議会は「歴史用語を整理すること」と答申したが、これをリードしたのは中教審委員であった「高大連携歴史教育研究会」の油井大三郎会長で、同研究会が提言した「歴史用語の精選」案には、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、「シベリア出兵」等が含まれ、「従軍慰安婦」「南京大虐殺」等「日本軍の加害性」を強調する歴史用語が重視された。ちなみに、同研究会副会長の君島和彦東京学芸大名誉教授は、朝鮮日報のインタビューで「竹島は韓国領だという主張が正しい」と答えた反日学者である。
 ガラパゴス化(世界標準からかけ離れている)が深刻な日本の歴史学会や反日学者と癒着した文科省の審議会(教科用図書検定調査審議会を含む)や教科書調査官が水戸黄門の印籠のように振りかざす「近年の学説状況」そのものが偏向し、「日本を取り戻す」と宣言した安倍政権下の文科省が「伏魔殿」と化している現実に真正面から取り組まねば「教育再生」などできるはずがない。かつては外務省OBが教科用図書検定調査審議会に不当に働きかけ、外務省が「伏魔殿」と化していたが、今や文科省の屋台骨が侵食されつつあるといえる。
 5月5日(火)付「産経新聞」の「論点直言」欄(教科書に「従軍慰安婦」復活)のインタビューで、以上の見解(歴史への「冷たさ」感じた)を述べたので参照してほしい。

 

 

 

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