新田 均 – 皇位継承の伝統 ③
皇學館大学現代日本社会学部 教授
新 田 均
〈前項「皇位継承の伝統 ②」のつづき〉
10.神話に遡っても皇室は女系ではない
神話を重んじる人々にとって一番気になるのが、天照大神は女性だから神話に遡れば皇室はもともと女系だという主張だと思いますので、それについて簡単にお話します。
天照大神とスサノオノミコトの誓約によって、天孫降臨したニニギノミコトの父に当たる正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊〈まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと〉が誕生します。『日本書紀』には、このオシホミミの命を天照大神が「吾が子なり」と宣言して、子として養ったと書かれています。仮にこの神話を、人間の血筋と同様の視点で捉えるならば、オシホミミの父はスサノオノミコトなわけです。事実、中世以来、もっともまとまった権威ある皇室系譜とされてきた『本朝皇胤紹運録』では、忍穂耳尊を「素戔鳴尊第一子」と書かれています。
こうしてみると、神話を人間に血筋として捉えたとしても、イザナギノミコト→スサノオノミコト→忍穂耳尊→ニニギノミコトという父系は続いていることになります。そして、天照大神もイザナギノミコトの子ですから、この父系に属する女子ということになります。
11.側室なしでも父系継承は可能
側室制度がなければ男系継承は維持できないという主張もあります。しかし、かつて側室制度が必要だったのは、幼児死亡率が高かったためで、現代医学の下では必要ありません。事実、初代の神武天皇から今上陛下まで、父子-父子の継承で数えると73世代(代数は126代、北朝の天皇を加え、結婚しなかった天皇を引くと120人)ですが、これらの天皇の側室を除いて、正妻お一人からだけでも168人の男子が誕生しています。天皇の正妻お一人だけからでも、歴代天皇の数を上回る男子が誕生しているのですから、あと4つほどの宮家でもあれば、現代医学の下では十分すぎる数でしょう。
ちなみに、近代以前においてはどれほど子供が成人することが難しかったかを見ておきましょう。
*明治天皇子女 男子―1/5 女子―4/10 合計5/15 (成人数/誕生数)
孝明天皇子女 男子―1/2 女子―0/4 合計1/6
仁孝天皇子女 男子―1/7 女子―2/8 合計3/15
光格天皇子女 男子―1/10 女子―1/9 合計2/19
(竹田恒泰氏の調査)
12.占領政策がなければ皇統の危機は存在しない。
それにも関わらず、何故、現皇室は皇位継承者の減少に悩まなければならないのか。それは、敗戦の結果、旧宮家の臣籍降下を強要されてしまったからです。昭和22年、11宮家26名の男性皇族が降下を強いられました。この旧宮家には平成17年現在で35名の男性がおられました。現在でも、確認できただけで、20代以下に、少なくとも5名の男子がおられます。もしこの方々が皇族に留まっていたら、現在の危機は存在しません。
このような方々に皇族に戻っていただこうという案に対して、旧皇族は現皇室から血筋が離れすぎているという反対論があります。旧皇族は南北朝時代に現皇室と別れた伏見宮家の血筋だから、600年以上の時が経っており、時間的に遠すぎるというのです。
この点は既に述べましたが、氏に世襲感覚では本質的な問題ではありません。それに、旧皇族には敗戦まで皇位継承権が与えられていました。敗戦後もこの方々が皇族に留まっていたら、血筋が遠すぎるなどいう議論は起こらなかったでしょう。それに皇位継承権を失ってから、まだ70年しか経っていません。むしろ、何故500年以上も皇位継承権を持ち続けられたのかの方に注目すべきです。それこそ、氏の継承感覚があったからです。
さらに言えば、例えば、旧皇族の竹田家の生まれである竹田恒泰氏が、明治天皇の玄孫に当たるように、これら旧皇族の方々は、現皇室の系統の女性と婚姻関係を結んでいますので、「女系天皇」を肯定する人々が、血筋の遠さを言うのは矛盾です。一般人が知らないだけで、皇族と旧皇族は菊栄会という会を作り、親戚付き合いを続けておられます。
ところで、今、旧皇族の男子に皇族に復帰していただいたとして、この方々の血筋に皇位が移るのはいつのことでしょうか。それは、悠仁親王殿下が皇位に就かれ、しかも男子を残さずに崩御された場合です。それは、現在の日本人男性の平均寿命からすると60年以上は先のことになります。それなら十分な時間でしょう。
13.女性宮家に相応しい婿を探すことの困難さ
平成29年9月、秋篠宮家の眞子内親王殿下の御婚約が内定し、平成30年の11月4日に結婚式が行われると発表されました。ところが、その後、平成30年2月9日、この結婚式は突如延期となりました。その原因として、宮内庁は否定していますが、婚約相手の家庭環境などについて様々な報道がなされた結果だとの見方が強くあります。その報道が真実なのか、その報道が本当に延期の原因なのかは分かりません。
しかし、少なくとも、今回の出来事から、旧皇族出身の男子に皇族の身分を与えるよりも、女性宮家を立てる方が簡単だというわけではない、ということだけははっきりしました。
最後に、祭り主としての天皇が基本的に男性によって担われて来た理由について説明します。それは「祭祀の過酷さ」です。祭祀体験の無いものは、誰でも簡単にできるように思いますが、そうではありません。決められた日に決められた形で祭祀を続けていくことは容易ではありません。特に女性にとってはそうです。
一例をあげます。天皇祭祀の中で最重要の大嘗祭は古来厳寒の中で行われきました。近代になってから、この時に「皇后拝儀」が加わりましたが、明治4年11月17日の明治天皇の大嘗祭において皇后(後の昭憲皇太后)の御拝は行われませんでした。『昭憲皇太后実録』によれば風邪をひいておられたからです。大正4年11月14日の大正天皇の大嘗祭においても皇后の御拝はありませんでした。貞明皇后が妊娠しておられたためです。このように祭祀の厳修は女性には過酷な義務なのです。
皇室の最終的な存在根拠は伝統です。今日の国民の志向への配慮は大切ですが、それが一番大切なわけではありません。国民の志向を考慮するのであれば、国民の先祖の志向も含まれなければなりません。皇位継承の伝統を維持する方法がまだ残されており、それが国民を困らせるようなものでないならば、それをまず実行するのが、伝統を尊重する正しい道筋だと思います。
参考文献
〇藤森薫「皇位継承は『氏の論理』で行われてきた」神社本庁編『日本を語る』小学館スクウェア、平成19年。
〇吉田孝『歴史のなかの天皇』岩波新書。
同「Ⅲ 律令時代の氏族・家族・集落」『律令国家と古代社会』岩波書店、1983年。
〇岡野友彦「女系継承の挫折―道鏡事件」『Voice』2004年10月号。
同「皇室は『家』か『氏』か」『Voice』2004年12月号。
同「氏族・氏姓は変更可能か」『本郷』138号、2018年11月。
〇国立国会図書館 調査及び立法局『ヨーロッパ君主国における王位継承制度と王族の範囲―女系継承を認めてきた国の事例―』。
〇河内祥輔『中世の天皇観』山川出版、日本史リブレット、2003年。
○高森明勅『はじめて読む「日本の神話」』展転社、平成12年。
○谷田川惣『皇統断絶計画』チャンネル桜叢書、平成24年。
〇別冊正論『皇室の弥栄、日本の永遠を祈るー皇統をめぐる議論の真贋―』産経新聞社、2011年1月。
〇拙論「新旧皇室典範のおける『皇統』の意味について」『日本法学』第82巻第3号、平成28年12月、日本大学法学会。
同『皇位の継承』平成30年、明成社。
※本稿は、令和元年12月8日「第126代天皇陛下御即位をお祝いする大分県民の集い」における講演「皇位の男系継承の意味について」を修正加筆したものです。