新田 均 – 皇位継承の伝統 ②
皇學館大学現代日本社会学部 教授
新 田 均
〈前項「皇位継承の伝統 ①」のつづき〉
5.「家」の世襲観
さて、一般国民が抱いている世襲観が何に由来するのかを次に述べます。それは「家」という観念に基づく世襲観です。家(family)とは男女の婚姻を中心とした親子関係でのつながりを仲間・同族と捉える感覚です。日本では、特に中世以降の武家(領主)で強く抱かれるようになった観念で、この家感覚で継承されるものは、『広辞苑』でも書かれているように、財産・地位・職業でした。これを継承する集団が家で、それを表わす名称が「苗字(名字)」で、その多くは居住地や開墾地の地名に由来しています。したがって、結婚して同じ家を守ることになった男女は同じ苗字を名乗ることになります。つまり、夫婦同苗字です。この財産・地位・職業の継承を重んじる家の原理においては、血筋すなわち父系の継続は二の次で、むしろ、家を守っていけるだけの能力が重視されました。そのために、夫婦とも養子というようなことも起こるわけです。そして、それでも、家は続いていると考えるわけです。
実は、ヨーロッパの王族もthe Royal Familyと呼ばれるように、膨大な私有地を継承する領主の家族です。したがって、彼らの継承法をいくら研究しても、祭り主を本質的とする皇室を考える場合の参考にはなりません。ヨーロッパを例にして、皇統を女性宮「家」で継承してもいいではないかという議論は、古代からの氏の世襲感覚に基づいている皇室を、中世以降の武家の世襲感覚で捉える錯覚なのです。皇位継承は「家」の継承ではなくて「氏」の継承。家族による財産や職の継承ではなく、父系による祭祀の継承が本質なのです。
6.国民からの氏感覚の喪失
実は、近世までは皇室以外でも「氏(父系)」の観念が「家」の観念と併存していました。それは著名な人物の正式名を見ればわかります。徳川家康は「徳川 次郎三郎 源朝臣 家康」でした。徳川という家の、源という血筋の、家康という個人だったわけです。織田信長は「織田 上総之介 平朝臣 信長」でした。西郷隆盛は「西郷 吉之助 藤原朝臣 隆盛」でした。
このような氏と家の併存は、近代になって終止符が打たれます。明治3年9月19日、近代化・欧米化の一環として、姓も苗字もない庶民に苗字を名乗ることを認める「平民苗字許可令」が出されました。次いで、明治4年10月12日、 「姓尸〈せいし〉不称令」が出され、姓を持っていた人々が姓を名乗れなくなります。これによって、氏(父系)の観念は国民の間で消えていくことになりました。さらに、明治8年2月13日、「平民苗字必称義務令」が出され、日本人の名乗りは苗字に統一されます。これによって、国民の世襲感覚は家感覚のみとなり、娘しかいない家が他の家から婿養子を迎えても、娘を介して血はつながっているという感覚が形成されていくことになったわけです。
つまり、娘が家を継承しても血は繋がっているという世襲感覚は、近代以降の新感覚で、いわば「創られた伝統」なのです。女性宮「家」でもいいではないか、という世論調査結果の根底には、この近代的な感覚があるわけです。
7.「氏」感覚と「家」感覚との著しい相違
氏の世襲感覚と家の世襲感覚がどれほど違うものなのか、皇室系図からいくつか例をあげてみましょう。第25代武烈天皇から第26代継体天皇への皇位継承は、お爺さんの、お爺さんの、お父さんにあたる第15代応神天皇に遡って、孫の、孫の子に皇位を伝えています。しかもこの間に、天皇ではなかった男性が5人も含まれています。皆さんは、お爺さんの、お爺さんの、お父さんの、孫の、孫の子に会ったことがありますか。家の世襲感覚では、お爺さんの、お爺さんの、お父さんに遡って、孫の、孫の、子に継がせるなどということはあり得ないでしょう。それくらいなら、顔見知りの誰かの子供を養子にするのではありませんか。しかも、武烈天皇には女性の姉妹が複数いました。その女性に継がせないなどということは、家の感覚ではありえません。
もう一つ例を挙げます。南北朝合一の時、第99代後亀山天皇から第100代後小松天皇への継承の時は、もっと隔たっていました。お爺さんの、お爺さんの、お父さんである第88代後嵯峨天皇に遡って、孫の、孫の、孫の子に皇位を伝えています。このような継承でも正統だと感じるのが、父系の世襲感覚なのです。
家の世襲感覚では、継承者間の縁の近さ(親等や付き合い)と継承者の能力が大切ですが、氏の世襲感覚では、父系で繋がってさえいれば、継承者間の縁の近さは本質的な問題ではありません。能力も問題ではありません。何故なら、氏の世襲感覚では、世代の隔たりは関係なく、始祖に直結(直通)して、直接に祭り主の地位を受け継ぐと考えられているからです。
8.皇位継承、皇統維持の意義
以上の記述からお分かりの通り、皇位は日本でほぼ唯一、古代の氏(血筋)感覚によって継承されて来ました。そして、それは祭り主としての天皇の地位と密接に関係しているのです。この継承感覚は『広辞苑』で書かれているような近代以降の庶民感覚とは合いません。したがって、近代の感覚の中に居る国民に、率直な意見を聞いても、見当違いな答えが返ってくるだけです。皇族に伺ってみても適切な答えは得られないかもしれません。
従って、今問うべきなのは、近代の継承感覚、国民感覚に合わせて、古代から続く継承感覚、継承事実を捨ててしまってもいいのかということです。
日本古代の氏の継承感覚では母系(女系)という血筋は存在しません。あるのは様々な父系(男系)だけです。女性宮家が建てられ、その当主が、皇統に属さない男子と結婚して、その子供が皇位を継ぐことになった場合、それは母系(女系)による皇統の継続ではなく、別の父系への移行、皇統の断絶となります。
9.国民の意思の尊重の先に待っているもの
今は国民主権の世の中なのだから、皇位継承も国民感覚や感情に合わせるべきだという議論もあるでしょう。しかし、その先に待っているものは何でしょうか。祭り主としての天皇地位と不可分の父系継承を否定した次に待っているは「天皇の信仰も自由でいいのではないか」「祭り主である必要はない」「そもそも皇室祭祀は私事に過ぎないのだから、天皇個人の自由でいい」という皇祖の祭り主ではない天皇の容認論です。
さらに、その先にあるのは、もはや天皇も国民と変わらないのだから特別の地位として置く必要はないという天皇否定論です。女性宮家容認を主張する人々の中に、本心では天皇否定を考えている人が混じっているのはこのためです。
この点は、天皇制の廃止を狙っている共産党が、最近、女性宮家賛成を表明したことによってはっきりしました。共産党の賛成表明が女性宮家の創設、女系天皇容認論の本質を証明してくれたと言えます。
ちなみに、イギリスでは国王に対して国教会の信仰を持つことが義務づけられています。国教会の信仰を持たない王族に王位継承権は認められません。王位についたとしても、国教会から改宗すれば王位を失います。
天皇の固有の使命は天照大神を中心とした皇祖神や日本の神々を祀ることです。その祭り主の地位は初代の神武天皇の血筋に属する子孫にしか受け継げません。その子孫とは始祖の父系に属する者のことです。別の父系に属する者には祭り主の地位を受け継ぐ資格はありません。別の父系に属する者を皇位に就けたら皇祖神や日本の神々を祀れなくなってしまうのです。
人間社会に存在するものには二種類あります。一つは人工的に創られたもので、存在理由が明確なものです。議会や裁判所などがその例で、その適否の判断基準は合理性です。もう一つは自然発生的なもので、必ずしも存在理由は明確ではありません。王政や言葉などがそれで、その判断基準は時効、すなわち、時の試練に耐えて長く続いているかどうかです。明らかに不合理、有害でない限り、永く続いたものを尊重するのが、伝統主義、保守主義です。「祭り主の地位は父系によって継承される」という感覚・直観も自然発生的なものの一つでしょう。しかも、もう皇室の伝統の中にしか残っていません。この原型的な感覚を安易に捨て去ってしまって本当にいいのでしょうか。
皇室が父系主義を貫くことで、困る国民は誰もいません。そもそも、我々はすでに父系主義を貫きようがないわけですから。皇室を国民の価値観に合わせて考えよう思考がすでに間違っています。国民と違っているからこそ、皇室という特別な存在に価値があるわけです。国民の価値観に合わせるのなら、国の中心者は総理大臣でいいわけです。
皇位継承の本質は天皇という制度を継続させることです。天皇という制度は、皇統という特定の血筋に属する者が日本国および日本国民統合の象徴という公的地位に就き続ける制度です。つまり、「血統主義」と言われる原理に立っています。この「血統主義」は、そもそも「平等原則」とは相容れません。公的地位に就く者が特定に血筋に限られるということは、「平等原則」の上からは考えられません。つまり、天皇制度はそもそも「平等原則」の外にあるわけです。そして、それにともなって、この地位に就く可能性のある人々には、一般人には認められている人権が認められていません。職業、住居、政治、婚姻の自由などがありません。
このように皇位継承資格者に対して様々な制約を課してまで、日本の神々に対する祈りを国家の中心においているのが、日本の天皇制度なのです。そして、繰り返しますが、天皇陛下が国民のために祭祀を行い、皇室が父系を貫かれても、人権を制約される国民は誰もいません。
(「皇位継承の伝統 ③」につづく)