髙橋史朗 7 – 「科学的知見に基づく道徳教育・家庭教育」研究が課題
髙橋史朗
モラロジー研究所教授
麗澤大学大学院特任教授
●教育の不易と脳科学研究の関係――創造性を育む道徳教育
私が脳科学に関心を持つようになった直接的契機は、脳解剖の専門医で京大医学部長・総長・臨教審会長を歴任された岡本道雄先生との出会いであった。私は「21世紀の教育理念」「教育の不易と流行」等をテーマとする臨教審第1部会の専門委員として、3年近く毎週3時間に及ぶ審議に参画したが、当時は岡本会長が強調される脳の機能と教育の不易との関係が全く理解できなかった。脳科学研究は時代の「流行」にすぎず、脳の機能はコンピューターの機能であり、人間の心や道徳は「脳科学研究」によって解明されるものではないと考えていたからである。
しかし、その間違いに気付かせてくれたのは、岡本先生が『関西師友』昭和57年10月号に掲載された「幼児教育と創造性」に関する一文であった。岡本先生によれば、前頭前野(大脳新皮質=人間性知能)を「鍛える」ことが創造性の土台となり、自我が形成される時期に甘やかさず厳しい壁になって、正義と不正義を説く躾教育をすることによって「強い個性」が育ち、7歳以降は伸び伸びと創造性を育てることによって、道徳心を創ることができる。
脳の発達は刺激によって大脳辺縁系が促進的に働き、大脳新皮質が抑制的に働く。人間形成において促進性と抑制性のバランスが大事であり、岡本先生によれば、最初は模倣が大事で、愛情によって裏打ちされた教え込み、躾の時の叱責と称賛、忍耐の養成が必要であり、脳の発達の時期である臨界期に行うことが重要であること等が「教育の不易」な部分であるという
母性的な関わりの促進性(アクセル)と父性的な関わりの抑制性(ブレーキ)のバランスが大事であるという親学の基本原理は、この脳科学の不易な教育原理に立脚している。さらに、岡本先生は、「私が脳と教育の問題で注目しているのは、正常な脳機能の中で、教育の基本になるものは何かという点なのです。教育の不易な部分と脳科学の関係です」と述べ、「教育の不易な部分は二つあって、一つは古くから受け継がれてきた先賢・祖先の教えや伝承の中にあり、もう一つは脳の研究の成果にあると考えてきたのですが、この二つは通じるものがある」という。
●不登校・いじめ・不安予防の効果を立証
ところで、文部科学省の「情動の科学的解明と教育等への応用に関する調査研究協力者会議」提言に基づく文科省委託事業「子どもみんなプロジェクト」の5年間の研究成果が2月20日、千葉大学で報告された。10大学〈※1〉と8府県〈※2〉8市〈※3〉連携教育委員会が研究者と教育現場の共働・往還を積み重ねてきた画期的成果が発表された。
このプロジェクトが始まった背景には、不登校(小中)が16万5千人、いじめの認知件数が54万4千件、暴力行為が7万3千件という問題行動の深刻化があり、これらの問題行動と「情動発達との関連」などに関する脳科学等の科学的研究が不在で、科学的知見が教育に活かされていないという根本問題があった。
そこで文部科学省は平成27年度から「いじめ対策・不登校支援推進事業」の中に、「脳科学・精神医学・心理学等と学校教育の連携の在り方に関する調査研究」を位置づけ、その委託事業として同プロジェクトがスタートしたのである。
同プロジェクトの目的は、
⑴ 教育現場から研究者へ:子どもの情動発達の状況について、科学的な視点から明らかにする。(教育現場の状況を研究者が明らかにする)
⑵ 研究者から教育現場へ:これまでの子どもの発達に関する研究成果や⑴の取組からわかったことを教育現場に還元する。(研究者の持つリソースを教育現場に還元する)
⑶ ⑴と⑵を継続できる組織(プラットフォーム)の在り方を明らかにする、の3本柱である。
この教育現場と研究者が連携した「情動発達研究」と現場との往還による5年間の研究成果で注目されるのは、不登校・不安・いじめ予防(「子育て支援学」「メンタルヘルス支援学」を核とする早期発見、早期支援・介入による)プログラムが開発され、その効果がエビデンスとして明示され、立証されたことである。
【注】
※1: 大阪大・浜松医科大・千葉大・金沢大・福井大・弘前大・鳥取大・兵庫教育大・武庫川女子大・中京大
※2: 大阪府・静岡県・千葉県・石川県・福井県・鳥取県・青森県・兵庫県
※3: 池田市・浜松市・磐田市・千葉市・柏市・館山市・西宮市・大府市
●新たな道徳教育学・家庭教育学の樹立を目指して
文部科学省の担当者は、今後の課題はこの研究成果、とりわけ不登校、いじめ、不安等の生徒指導中心の予防教育と「情動教育」プラットフォームを教科教育と家庭教育において如何に展開していくかにあるというが、道徳教育と家庭教育に関しては、日本道徳教育学会(麗澤大学道徳教育学会)と日本家庭教育学会(日本学術会議協力学術研究団体として認定され、家庭教育の理論的実践的研究と普及を目的とする)がその中核的役割を担うことが期待される。
2月29日に開催された日本家庭教育学会の常任理事会において、「日本家庭教育学会への報告と提案」を行い、「脳科学等の科学的知見に基づく家庭教育」研究会(略称「脳家研」)を4月に立ち上げ、文科省関係者と専門家を招いて月例研究会を開催することになった。協賛団体は、日本家庭教育学会、倫理研究所、親学推進協会で、詳細については審議中であるが、同研究会の目的は、次の通りである。
<文科省の「情動の科学的解明と教育等への応用に関する調査研究協力者会議」提言に基づく文科省委託事業「子どもみんなプロジェクト」の5年間の研究成果を家庭教育に活用し、同プロジェクトの連携教育委員会(8府県8市)及び家庭教育支援条例を制定した教育委員会(8県6市)や家庭教育師・アドバイザー等の情報交換と交流を深めるプラットフォーム的役割を果たし、実践と理論の往還による家庭教育学の樹立を目指して、道徳性の芽生えとなる「情動」、乳幼児期の「非認知能力」「学びに向かう力」を育成する家庭教育の在り方について研究する>
8月22日に貞静学園短大で開催される日本家庭教育学会第35回大会のテーマとして、この研究テーマを取り上げ、講演とパネルディスカッションが行われることになった。また、8月28日に開催される日本PTA全国研究大会でも「脳科学等の科学的知見に基づく家庭教育」について問題提起する予定である。「脳科学等の科学的知見に基づく道徳教育」についても今秋から月例研究会を開催し、令和3年度の科学研究費申請を行い、本格的な研究調査に着手する予定である。
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