菅野倖信 – 日本を手本に――マハティール首相の談
マレーシアでは2018年の5月、92歳のマハティール氏が約15年ぶりに、中国寄りだった前政権から転換し、首相に復帰されました。
1925年生まれのマハティール氏は、1981年から2003年まで22年間マレーシアの首相を務め、その間、日本を手本にという「ルックイースト政策」を実施、マレーシアの国力を飛躍的に発展させました。そして、1992年10月の香港でのスピーチ「もし日本がなかりせば」が大変有名です。
今回は、そのスピーチの一部と、著書『立ち上がれ日本人』(新潮新書)の一部をご紹介します。
【もし日本がなかりせば】
ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していただろう。欧米が世界基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界の国はその価格を押しつけられていただろう。
多国籍企業が安い労働力を求めて南側(アジア・アフリカ)の国々に投資したのは、日本と競争せざるを得なくなったにほかならない。日本との競争がなければ、開発途上国への投資はなかった。
また、日本のサクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸国は模範にすべきものがなかった。東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国は、同じ黄色人種である日本を模範として挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げたのだ。東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。
もし、日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側は益々貧しくなっていたと言っても過言ではない。
【立ち上がれ日本人】
日本は、いつまで自虐史観に囚われ続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古き良き心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。
日本人には、先人の勤勉な血が流れている。現代日本に過去の栄光を取り戻させるのは、強いリーダーと愛国心だ!
発展途上国であるマレーシアは、日本から多くのことを学びました。
私が首相に就任した1981年、私は「ルック・イースト政策(東方政策)」を国策として採用しました。これは第二次世界大戦で焼け野原となった日本が、たちまちのうちに復興する様から学ぼうとした政策です。
かつて読んだソニーの盛田昭夫元会長の本に描かれた、日本国民の強い愛国心と犠牲を払っても復興にかける献身的な姿は、私に深い感銘を与えました。労働者は支給される米と醤油だけで一生懸命働き、近代的な産業を育てるため寝る暇を惜しんで技術を磨いていったのです。
日本人の中でも私がとりわけ尊敬するのは、戦後の日本を築いた盛田昭夫氏と松下幸之助氏です。いずれも先見性を持ち、パイオニア精神と失敗を恐れずに挑むチャレンジ精神、そして独自の考えとやり方で技術革新を生みました。
さらには日本の経済成長を助けるマネージメント能力を兼ね備えていたのが、彼らの素晴らしいところです。
私が初めて日本を訪れたのは1961年、家族旅行でのことでした。当時の日本はまだ復興途上で、あちらこちらに爆弾による破壊の跡が残されていました。それでも、大阪では水田の真ん中に建つ松下の工場が私の度肝を抜き、オリンピックの準備中の東京では、日本橋の上に高速道路が建設されつつあるのを目にしました。
このとき、私は日本と日本人のダイナミズムを体感したのです。人々が国の再建と経済を発展させるために献身的に尽くす光景は、今もまぶたに焼きついています。
その後も訪れるたびに発展していく日本の姿を見てきたからこそ、首相になったとき私は日本と日本の人々から学ぼうと思ったのです。
もっとも注目したのは、職業倫理観と職場での規律正しさによって、品質の高い製品をつくりあげるという姿勢でした。
品質の高い製品を次々に生産し、日本は国際社会で大きく成功しました。
労働者は職業倫理観が優れていて、管理能力も高い。多くの国民が戦争で命を落としましたが、残された者が立ち上がり、新しい産業を興し、日本はすばやく発展していきました。
電子産業の革命を起こしたソニーもその一社で、素晴らしい技術でテープレコーダーを生み出しました。
松下は戦後再建し、多くの大企業が次々と復活しました。米占領軍は財閥を解体したけれども、新しい形態の会社が次々と生まれていったのでした。
日本の大企業のシステムは、欧米の会社のシステムとはずいぶん違っていました。会社同士は競争しても、社内で従業員による混乱は少なく、労働組合によるデモも就業時間外に行われたため、生産活動には支障はなかったのです。
多くの製品が生まれ、輸出され、外貨を稼ぎ、結果として日本は大きく発展しました。私たちが日本からコピーしたかったことは、日本型システムなのです。
国を発展させるための政府と民間企業の緊密な関係を、私は「日本株式会社」と呼んでいます。私たちはこの日本から学ぶことで、他の発展途上国に比べて早く発展することができました。
東南アジアをはじめとしたアジアの近隣諸国もまた、日本とともに働き、日本の繁栄と技術から学びたいと思っているのです。
日本の新しい技術を学ぶことによって、域内全体が繁栄することは間違いありません。
「実は、敗戦後の我が国を中国と韓国、北朝鮮以外のアジア諸国はこのように日本を肯定的に見ていたのです……」
あらためて、我が国の先人たちが復興に一丸となって努力されたことに感謝し、日本人に生まれたことに誇りと勇気をいただきました。
このような東南アジアや親日の諸国からの、やさしさの輪が、日本中に世界中にもっともっと広く広く広まるように皆様と共に日々努めることができたら良いですね。
(菅野倖信メールマガジン:「特選やさしさ通心№034」より)
菅野倖信(すがの よしのぶ):㈱オリエンタルプロセス代表・モラロジー研究所特任教授
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