山岡鉄秀 ‐ 道徳二元論のすすめ5‐日本政府対外発信の二重構造
山岡鉄秀
モラロジー研究所 研究センター研究員
●感動を与えた安倍総理のスピーチ
去る1月19日、日米安全保障条約が安倍総理の祖父である岸信介首相とアイゼンハワー大統領との間で改定されてから60年が経過し、記念式典が東京都港区の飯倉公館で開催されました。出席したのは安倍総理の他、河野防衛相、茂木外相、麻生副総理、アイゼンハワー元米大統領の孫メアリーさん、ひ孫のメリルさん、ヤング駐日米臨時代理大使、シュナイダー在日米軍司令官。その他にも米軍と自衛隊の幹部が勢ぞろいしたそうです。当事者の孫同士が揃って60周年を祝い、思い出話を交えるという優れた演出でした。
安倍総理のスピーチも印象的な素晴らしいものでした。ゲストに語りかけるのは、オーストラリアの国会で行ったスピーチでも見せた手法です。
メアリー・ジーン・アイゼンハワーさん、メリル・アイゼンハワー・アトウォーターさん、ご来賓の皆さま。本日、日米安全保障条約調印60周年の、よき日を迎えました。
メアリーさん、私たちの祖父はゴルフで友情を育てました。1957年の6月、ところはベセスダのバーニング・ツリー・クラブです。
戦争が終わって、まだ12年しかたっていませんでした。日本の首相はワシントンまではるばるやってきて、一体どんなゴルフをするのかと、大勢の記者たちはじめ、みな興味津々だったと、のちに祖父は私にそう話しました。
「最初の一打に、日本の名誉がかかっている」。そう思うと、手に汗がにじんだそうです。ところが、それまでのゴルフ人生で最も緊張して放った一打は「生涯、最高のショットになった」と、祖父は自慢げに私に話していました。 どよめいた観衆は次の瞬間、盛大に拍手をした。「アメリカ人はフェアだ」とも思ったそうであります。
この導入は本当に素晴らしいです。すでにある種の感動を与えます。過去の美しい思い出から入りながら、中盤は東日本大震災時の米軍の支援への感謝にも触れ、終盤は日米安保条約の世界的重要性と将来へのさらなる発展を強調して締めていきます。
60年、100年先まで、自由と民主主義、人権、法の支配を守る柱、世界を支える柱として、日米同盟を堅牢(けんろう)に守り、強くしていこうではありませんか。
100年先を望み見た指導者たちが命を与えた日米同盟は、その始まりから「希望の同盟」です。私たちが歩むべき道は、ただ一筋。 希望の同盟の、その希望の光をもっと輝かせることです。
ありがとうございました。
会場で直に聞いていた人たちは全員感動したに違いありません。
●「謝罪ありき」でなく、深い教養と世界的な視野を持った言葉を
しかしここで、「あれ?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。前回まで、日本政府の対外発信のまずさを厳しく指摘していたのに、今回はベタ褒め?
実は、それには明確な理由があるのです。
安倍総理スピーチ原稿は、谷口智彦さんという天才的なスピーチライターが書いているのです。私は2014年にキャンベラの国会議事堂で日本の総理大臣として初めて安倍総理がスピーチした時の感動を忘れることができません。豪州のオリンピックレジェンドのドーンさんと「夜明け」を意味する英語のドーン(dawn)を引っかけるなど、大変ウィットに富んだものでした。翌年に米国連邦議会上下両院合同会議で行った「希望の同盟演説」は日米関係を劇的に向上させる歴史的な名演説です。今回はそれの続編といったところです。深い教養と世界的な視野を持ち、これまで何百回と海外メディアの取材を臆することなく受けてきた谷口さんならでのスピーチ原稿はいつも日本の名誉を高めてくれます。安倍総理の海外での評価の高さの一因はスピーチの素晴らしさであることは間違いありません。
一方、私がいつも懸念を示している「謝罪ありき」の対外発信は、外務省から直接出されていて、官邸にそれをチェックする機能がないのです。本来なら、谷口さんがヘッドを務めるチームを作って、外務省から上がってくるドラフトをチェックすべきなのですが、そうなっていないのです。外務省発信の英語表記を確認している人は官邸にも自民党にもひとりもいないのが現状です。完全な二重構造になっているのです。
それゆえに、安倍総理が海外で前向きでポジティブな素晴らしいスピーチをする一方で、外務省からは戦後70年以上も経っているのに、未だに「日本は悪いことをした、でも深く反省して心からの謝罪もした」とひたすら繰り返す発信がノーチェックで出され続けているのです。
何度もご説明したとおり、過去について真摯に反省する姿勢は重要です。しかし、国際的にはいつまでも謝罪から入る発信は効果が薄いばかりか、卑屈に見えてかえって軽蔑の対象になる恐れもあるのです。
この対外発信二重構造を何とか克服しないと、日本という国のアイデンティティは永遠にブレたままになってしまうでしょう。この統一感のなさがいかにも日本的弱点であり、機能的欠陥だということを、ひとりでも多くの方に気づいて頂きたいと願っています。
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