髙橋史朗 20 – WGIP「陰謀史観」を論破した有馬哲夫の実証的反論
髙橋史朗
モラロジー研究所教授
麗澤大学大学院特任教授
拙著『WGIPと歴史戦』(モラロジー研究所)が増刷され、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)に関することが、徐々に言論界に浸透しつつある。WGIPをめぐる論争は、昨夏ジェーソン・モーガン麗澤大学准教授がニューヨークで開催されたアメリカの歴史学会でWGIPをテーマに研究発表し、拙著を紹介していただき、拙著の一部が英語に翻訳されて国際発信され、大きな反響を呼んでいる。
7月20日には、占領軍が日本人に戦争を起こした罪の意識を植え込む情報プログラムであるWGIPに関する注目すべき著書として、有馬哲夫・早稲田大学教授の『日本人はなぜ自虐的になったのか――占領とWGIP』(新潮新書)が出版された。
WGIPについては、「陰謀史観」にすぎないという批判がとりわけ左派論壇に根強く渦巻いているが、本書はその代表的著作の主張を紹介しつつ、WGIP文書の第一次史料に基づいて実証的に完膚なきまでに反論している。
●賀茂道子氏の主張と批判の五つの論点
その中でも朝日新聞と左派論壇が持ちあげて最も注目された著作は、賀茂道子『ウォー・ギルト・プログラム』(法政大学出版局、2018)であるが、賀茂氏は同書で次のように主張している。
「(WGIPは)いまだ学術的研究は進んでおらず、『GHQによる歴史観の植え付け』なる言説も、学術的な場とは別のところで独り歩きし続けている」「残念ながら『ウォー・ギルト・プログラム』という政策を対象にした研究は、江藤、有山のものにほぼ限定される」「江藤によって初めて世に提示された『ウォー・ギルト・プログラム』は、その後、学術研究とは別の場で脚光を浴びることになる。東京裁判で示された歴史観に異議を唱える一部保守派、さらには現代の歴史教育を批判する勢力から、現在の日本人の歴史観をGHQによる洗脳の結果とする根拠として支持され、現在に至っている」
WGIPに関する拙著は、『検証 戦後教育――日本人も知らなかった戦後50年の原点』(モラロジー研究所)、『歴史の喪失』(総合法令出版)、『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』(致知出版社)、『「日本を解体する」戦争プロパガンダの現在』(宝島社)、『WGIPと歴史戦』(モラロジー研究所)の5冊があり、WGIP文書の全和訳も共著の篠原敏雄先生追悼論文集『市民法学の新たな地平を求めて――法哲学・市民法学・法解釈学に関する諸問題――』(成文堂)に収められた拙稿「WGIPを実証する対日占領文書」として掲載し、一般に公開されている。
賀茂氏は拙著の先行研究で実証的に論証したWGIP文書の全体に目を通さず、「学術研究とは別の場で脚光を浴びることになる」と強調したいようであるが、この点に関連して有馬哲夫氏は、次のように述べている。
「髙橋は江藤と違ってWGIP文書をアメリカ国立公文書館分館から直接入手していました。したがって、彼の方が江藤よりもWGIP文書を多く紹介しています。このためか、江藤が検閲をメインにしてWGIPを従としているのに対し、髙橋は後者をメインにしています。この意味で、WGIPに関しては、髙橋の方が先駆者だったといえます」
と、「学術研究とは別の場で……」に対する反論に力点が置かれているが、そのうえで、賀茂氏への批判の論点として、以下の5点を示している。
まず第一に、「ウォー・ギルト」は「戦争を起こした罪、戦争責任」という意味なのに、「戦争の有罪性」と解釈し、東京経済大学の有山輝雄元教授から賀茂に伝わるうちに「突然変異」を起こして、意味不明のものになってしまった。
第二に、「WGIPの第3段階は実施されなかった」ので、「WGIPは一般の日本人に戦争責任を感じさせる上では効き目がなかったと述べている」が、当時の新聞、ラジオ放送を検証すると、明らかに実施されており、「賀茂が間違っているということは議論の余地がない」と断じている。
第三に、WGIPは「日本民主化政策の一環」で、「民主主義の啓蒙」活動だったと主張しているが、WGIP文書は、このプログラムの目的は、「日本人が極東国際軍事法廷の判決を受け入れる心の準備をさせること」だと明記しており、WGIP文書自体が反証になっている。第1次史料の裏付けのない「思い込み」で、「占領史について十分な知識を持たないために自分がWGIPマインドセットに陥っていることに気が付いていない」。
第四に、朝日新聞が同書に好意的評価を与えているのは、「WGIPの効き目はそれほどなかった。いやあれは意識改革だった。いや啓蒙だった」とする説が、頭抜けてWGIPに協力的だった朝日新聞の「免罪符」になっているからである。
第五に、先行研究への言及は学術論文では必要不可欠であるにもかかわらず、内容的に共通部分が多い有馬哲夫の著書・論文を出典にも参考文献にも挙げていないのは「研究倫理上大きな瑕疵」がある。
●史料的根拠の欠落した「陰謀史観」
有馬氏は、次に、若林幹夫『「GHQ洗脳説」は誤りである』(ムゲンブックス・デザインエッグ社、2018)と、山崎雅弘『歴史戦と思想戦』(集英社新書、2019)について、WGIP文書の第一次史料を踏まえた議論をせず、相手が拠り所としている史料をよく読み、その根拠を突き崩すような反証を示していないために、噛み合うことのない水掛け論になってしまっている、と批判している。
とりわけ前書は、日本側の史料に基づき、「敗戦直後から、日本国民の軍閥・官僚に対する強烈な非難・断罪・糾弾の世論が澎湃〔ほうはい〕として巻き起こっていたということが判明した」と述べているが、「戦前戦中の日本の指導者を非難すること」と、「日本が戦争で悪いことをして、それには自分も責任があると思うこと」を混同している点を批判し、日米双方の史料を踏まえた反証ではなく、「日本側だけを見てアメリカ側は見ていないこと」が致命的欠陥だと指摘している。
また、後書が「日本人は知能が低くないので、WGIPが70年たっても効いているなんて考えられない」というのも論理のすり替えであり、「反日」とは、言うまでもなく「反大日本帝国」という意味だと断言しているのは、「相手の主張を故意に歪曲し、本来はない論理の矛盾や根拠の脆弱性を作り上げておいて、それを攻撃し、論破したように見せる」論法にすぎないと反論している。
さらに、秦郁彦『陰謀史観』(新潮新書、2012)については、「江藤や高橋はこれでもかとばかりの公文書を積み上げて証拠固めをしていますが、対する秦は、公文書を引用するどころか、反証もあげず、ただネガティブな『印象』を述べているにすぎません」「WGIPマインドセット説を『空騒ぎ』と評しながらも、そう判断する根拠を示していません」と批判している。
●WGIP「コミンテルン・延安起源説」批判
次に、日本人洗脳計画の原点は中国共産党の本拠地であった延安にあるという「WGIP延安起源説」「WGIPコミンテルン起源説」は「牽強付会」で、「『歴史戦』を叫ぶ人々は、別の種類のマインドセットに陥っています。それには彼らの政治的スタンスのほかに、歴史資料と客観的事実の無視と基本的知識の欠如も与って力があったようです」と批判している。
同説は、1940年に中国の延安にコミンテルンから派遣された野坂参三(元日本共産党議長)の日本兵捕虜の洗脳教育の成果を参考にしたのがマッカーサーの「政治顧問付補佐官」のエマーソンで、WGIPのアイデアは延安にあったというものである。
この説を唱える代表格の産経新聞の岡部伸編集委員が、「GHQが延安で中国共産党が野坂参三を通じて日本軍捕虜に行った心理戦(洗脳工作)の手法を取り入れたことが英国立公文書館所蔵の秘密文書で判明した」などと報じた3つの記事は、「切り取りジャーナリズム」だと痛烈に批判している。
エマーソン証言録は米国立公文書館やスタンフォード大学フーヴァー研究所の公開文書だから「秘密文書」とは言えず、同証言録の都合のいいところだけを切り取って、都合の悪いところは「省略」して読者をミスリードする「テクニック」だと酷評している。
有馬教授の反論の根拠は、陸軍士官大学で「日本兵の心理」という論文を書き、1942年から1943年までアメリカの戦略諜報局(OSS)に在籍して心理戦を担当し、1944年6月からマッカーサー率いるアメリカ南西太平洋陸軍(終戦後は占領軍に発展した)で心理戦を陣頭指揮したフェラーズ(映画『終戦のエンペラー』の主人公)とダイク(元GHQ民間情報教育局長)がポツダム宣言と初期基本指令に基づいて計画、提案、実施したのがWGIPであり、エマーソンが延安に送られたのは1944年だからWGIPの起源ではないというものである。
●包括的研究が今後の課題
WGIPを領導したフェラーズやダイクは日本兵に対する心理戦について、野坂や中国共産党から学ぶ立場にはなく、「心理戦」の起源はアメリカの有名な政治学者のハロルド・ラスウェルの『世界大戦におけるプロパガンダ・テクニック』『心理戦』にあったと主張している。
ラスウェルは英タヴィストック研究所の前身の国際諜報機関の「敵の抵抗精神を弱める」心理戦研究会で、米戦時情報局(OWI)の外国人戦意分析課の責任者であった英社会人類学者のゴーラーとその後任に彼から指名されたベネディクトらと交流があったことや、そのことを立証するゴーラー文書、ベネディクト文書やGHQ民間情報教育局でWGIPを陣頭指揮したブラッドフォード・スミス文書には有馬教授は言及していないが、これらの文書も含めた包括的なWGIP研究が今後の課題といえよう。歴史認識問題研究会でモーガン准教授、有馬教授らとの共同研究を積み重ね、その成果を日英両語で発信していきたい。
(令和2年7月27日)
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