髙橋史朗 18 -「死者」と向き合う教育を取り戻そう
髙橋史朗
モラロジー研究所教授
麗澤大学大学院特任教授
●『閉ざされた言語空間』――教科書検閲の基準
昭和21年2月4日、GHQは「教科書検閲の基準」を作成し、軍国主義、超国家主義のみならず、国家的英雄や愛国心につながる「我が国」、立派な皇族、神道や神社に言及すること自体を禁止した。『閉ざされた言語空間』の著者である江藤淳は、「かへる霊」という一文の検閲前と検閲後の文章を比較して、次のように述べている。
<検閲官はどのように作者の心を切り裂いたか。「かへる霊」の「霊」がまづいけないといふ。この詩の校正刷りをアメリカで見つけてコピーしてきましたが、「霊」の字のところに青鉛筆がひかれてデリート(削除)と書かれてゐる。…詩とは「人の心をたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける」ものでせう。言葉がズタズタに切り裂かれるならば人の心もズタズタになる。占領下の日本ではこういうことがなされたんです>
削除された文章は以下の通りである。
<わづかな家族に護られて野路をゆく。かつての日の光栄は、かつての日の尊敬すべき英雄は、いま骨となって故里へ還ったが、祝福する人もなく罪人のやうに…無言の人々に護られた英霊は、燃える太陽の光りの中で、白い蛾のやうな幻となって眩しくかがやき動いている。かへるその霊の宿はどこか。贖はれる罪とは何か? 安らかに眠れよ、ただ安らかに>
私はこの検閲資料が保管されていた米メリーランド州立大学の大学院に留学して教育心理学の授業を数名の博士課程の院生と受講しながら、マッケルディン図書館所蔵のプランゲ文庫の膨大な検閲文書の調査研究に約半年間没頭し、暗い書庫の中で、戦後日本人が失ったものは何かを探し続けた。今では同文庫はマイクロ化され誰でも閲覧することができる。
●「言葉狩り」で削除された『蛍の光』『蝶々』『われは海の子』
音楽教科書から消された「唱歌・童謡」の実態は目を覆うばかりである。唱歌『蛍の光』の教科書掲載から削除された3番と4番の歌詞はこうである。
<三 筑紫のきわみ 陸の奥 海山遠く へだつとも その真心は へだてなく ひとえに尽くせ 国のため
四 千島の奥も 沖縄も 八洲のうちの 守りなり 至らん国に いさおしく つとめよ わがせ つつがなく>
また、軍国主義のレッテルを貼られた『桃太郎』も「日本人の奸計と武力主義を象徴するもの」「大陸を蔑視し、侵略主義の根性を暗示するもの」と見なされ、4番の歌詞「そりゃ進めそりゃ進め 一度に攻めて攻め破り 潰してしまえ鬼が島」が問題視された。
「菜の葉にとまれ」でおなじみの『蝶々』は明治14年、わが国で最初に作られた音楽教科書に掲載された歴史的な曲であるが、「桜の花の 栄ゆる御代に」の箇所が「花から花へ」に書き換えられた。唱歌の父といわれる伊沢修二が、皇室の繁栄を桜にたとえて付けた歌詞が書き換えられたのである。
さらに中山晋平が作曲し、井上赳が作詞した『田植』では、「み国のため」が「みんなのために」に書き換えられ、“民主主義”的な歌詞となった。『われは海の子』の7番の歌詞「いで軍艦に乗り組みて 我は護らん海の国」も問題視され、3番までしか歌われなくなった。
削除された4~7番の歌詞は次の通り。
<四 丈余のろかい操て 行手定めぬ浪まくら 百尋千尋海の底 遊び慣れたる庭広し
五 幾年ここにきたえたる 鉄より堅きかいなあり 吹く潮風に黒みたる 肌は赤銅さながらに
六 浪にただよう氷山も 来らば来れ恐れんや 海まき上ぐる竜巻も 起こらば 起これ驚かじ
七 出で大船を乗り出して 我は拾わん海の富 出で軍艦に乗り組みて 我は護らん海の国>
●『赤とんぼ』『赤い靴』『里の秋』の問題視された歌詞
日本の代表作『赤とんぼ』も「十五で姐やは嫁に行く」という3番の歌詞が、民法が認める婚姻年齢は十六歳だから、十五歳で結婚するのはおかしいと批判され、「姐や」というのは「お手伝いさん」と呼ばなければならないという理由で、カットされた。
『てるてる坊主』も、首を切り落とすという3番が槍玉に挙げられ、「雨が降れば首を斬るというのは残酷だと、現場教師から批判が出た」と音楽教科書の出版社は説明するが、浅原の文学記念館「てるてる坊主の館」(長野県池田町)の中野幸子さんは、「子供はおもちゃを壊したり、虫を殺す残虐な一面を持っている。歌全体の優れた点を見ず、残虐といわれるのはおかしい」と反論する。
野口雨情・本居長世コンビで発表された『赤い靴』が教科書に掲載されない理由は、「異人さんに連れられて」の歌詞は、「外国人が女の子をさらうという意味に受け取られ、外国人への差別的ニュアンスがあるからだ」という。「船に乗って連れられる」のは「拉致事件」を連想させるというが、本間長世メモリアルハウス(三重県松阪市)の松浦館長は、「大正の曲だから、外国に十分開かれていない時代背景がある。いま差別的だと批判されるのだったら、本居が童謡普及のために全国旅行した苦労は何だったのか、ということになる」と残念がる。
昭和20年暮、NHKのラジオ番組「紅白音楽試合」で、少女歌手の河田正子が『兵隊さんの汽車』を歌おうとしたところ、ストップがかかり、題名と歌詞を差し替え、題名は『汽車ポッポ』、「兵隊さん」は「僕ら」、兵隊さんを見送る場面は、「スピードスピード窓のそと畑もとぶとぶ家もとぶ」と修正された。
戦地へ出征した父を思いやり、帰りを待ちわびた家族の歌だった『里の秋』は、昭和20年12月24日、南方から浦賀港へ入港する引き揚げ船を迎えるNHKの生放送のラジオ番組「外地引き揚げ同胞激励の午後」のためにつくられた。
元曲の『星月夜』の4番までの歌詞は、出征した父親を思いやる留守家族と、「いずれ僕も国を護る」という息子の決意(4番)が描かれていたが、「父さんのご武運」などの言葉が入っている3番の歌詞を改め、題名も『里の秋』に改めた。
作詞者の長女は、「父は口に出しては言わなかったが、『里の秋』の3番だけが歌われなかったり、戦後長く、教科書にも載せられなかったことを気にしていたようです。“戦争の歌”だからダメなのか、と」述懐している。
『里の秋』は単なる季節の歌ではない。愛する家族と祖国を守るために尊い命を捧げた「死者から」と「死者へ」の視線が『閉ざされた』ことによって、「死者へ」呼びかけた鎮魂歌は削除され、死者との心の絆が切り裂かれてしまったのである。
●外国人も感動した『水師営の会見』『海ゆかば』
乃木希典大将とロシア軍のステッセル将軍との唱歌『水師営の会見』は世界中が絶賛した「日本人の心」「おもてなし」の歌であるが、軍国主義の名の下に、墨塗り教科書(昭和20年)、文部省暫定教科書(翌年)の段階で削除された。
小学生向けの『はじめての道徳教科書』(育鵬社)は、「この話には、極限状態にあっても互いを敬う心を忘れないという道徳的な教えが描かれている。軍人の話というだけで排除するのはおかしい」と指摘している。
私が理事長・塾長を務めた師範塾で塾生を厳しく指導していただいた作家の林秀彦が、居住していたオーストラリアで創作したミュージカルの最後に『海ゆかば』のメロディーを採用した所、観客は皆感涙したという。芥川賞作家の阪田寛夫も、著書『海道東征』において、初めて聴いた時の感想を次のように述べている。
<私には讃美歌のように響いた。大伴家持の歌だのに、旋律も和声も堂に入って西洋風で、そのことが嬉しかった。……日本にもこんな歌ができるようになったのかと、心強く思ったことを覚えている>
『海ゆかば』は日本人の心のみならず、外国人の心の琴線も揺さぶったが、戦後は一転してタブー視されるに至った。『消された唱歌の謎を解く』(産経新聞出版)の著者・喜多由浩は、次のように訴えている。
<戦後75年、GHQの意向で“オクラ入り”にされた戦時歌謡や唱歌をひとくくりにしていつまでもアンタッチャブルにしておくのか。「消された歌」の封印を解くのは、誰でもなく日本人自身なのだ。唱歌・童謡は日本の大事な伝統文化である。次代に「残す」努力や工夫があって然るべきではないか>
西部邁・元東大教授は、衆議院憲法調査会(平成12年15日)で、「天皇の地位を支える国民の総意とは、現在の国民の多数意見ではなく、日本の伝統の精神に基づく国民の歴史の流れが示す総意である」と、参考人としての意見を開陳したが、戦後教育は「死者」が後世に託した願いや祈りを否定し、伝統精神に基づく「国民の歴史の流れが示す総意」を無視してきた。
歌人の三井甲之が「ますらをの悲しき命積み重ね 積み重ねまもる大和島根を」と詠んだ縦軸の国民道徳の伝統精神を伝えなければ、道徳科の授業で「生命に対する畏敬の念」や「生命の連続性」を説いても、「連続性」に対する畏敬の念を実感できないのではないか。
この国民道徳の伝統精神に「精神的武装解除」政策の狙いを定めて、「軍国主義」「超国家主義」の名の下に否定したGHQの洗脳(ウォーギルト・インフォメーション・プログラム――次回の拙稿参照)から脱却し、国民道徳の伝統精神を、今こそ教育の中に取り戻さなければならない。
(令和2年7月3日)
※道徳サロンでは、ご投稿を募集中!