山岡鉄秀 – 道徳二元論のすすめ4 – 外務省に埋め込まれた謝罪本能
山岡鉄秀
モラロジー研究所 研究センター研究員
●安易な謝罪はときに事態を悪化させることも
前述したように、宮澤喜一首相は、訪韓中に慰安婦問題について、何の検証もしないままに8回も謝罪しました。謝罪して誠意を示すことが事態の好転に繋がると信じて疑わなかったのでしょう。
しかし、朝日新聞によって拡散された「慰安婦問題」は、決して謝れば水に流してもらえるような些細な問題ではありませんでした。
なにしろ、日本の軍隊が直接韓国(朝鮮)の村々から若い女性を狩り出し、慰安婦になることを強制したというのですから、大変なことです。中には、泣き叫ぶ子供を引きはがして母親を連行した、などという話まで飛び出したのです。
ここで、謝られた方の気持ちも考えてみましょう。そのような重大な犯罪行為について、一国の総理大臣に謝られたらどう感じるでしょうか?
「謝ってくれてありがとう!」
と感じるでしょうか?いや、むしろ、
「謝るってことは、本当だったのか!」
と思うのではないでしょうか?
そして、前述したとおり、韓国人の場合は「本当にそんな酷いことをしたのなら、徹底的に謝罪して賠償してもらわなければならない」と考えてしまうのです。
安易に謝罪することがいかに無責任で、むしろ事態を悪化させてしまうことがある、ということをご理解して頂けると思います。
ところが、未だに「謝罪することが無条件にいいことだ」という考えを絶対に修正しないのが日本政府です。
最近、韓国人による「反旭日旗キャンペーン」が世界中で行われています。日本の旭日旗をモチーフにしたり、あるいは、連想させるようなデザインがあると、片端から苦情を言って止めさせようとするのです。
「旭日旗は日本軍国主義の象徴で、ナチスのハーケンクロイツに相当するから、スポーツ会場などあらゆるシーンで禁止されるべきだ」というわけです。
もちろん、これは単なる言いがかりです。
実は、韓国も2011年のサッカー・アジアカップ日韓戦までは旭日旗を問題にしていませんでした。
韓国人選手が日本人を馬鹿にする意図でサルの真似をして批判されると、とっさに「観客席に旭日旗が振られているのを見て、悲しくなってやった」と言い訳しました。それ以来、「旭日旗狩り」が韓国の国家的事業にようになってしまい、まさに病的な様相を呈しています。
●いきなり謝罪する日本の外務省
困ったことに、これに加担する西洋人学者まで出て来ます。徹底した反日で名高い、コネチカット大学のアレクシス・ダデン教授です。
ダデン教授は2019年11月1日付けの英ガーディアン紙に、次のような記事を載せました。
Japan’s rising sun flag has a history of horror. It must be banned at the Tokyo Olympics
日本の旭日旗は恐怖の歴史を持っている。東京オリンピックで禁止されなければならない
例によって、一方的に韓国の主張を擁護する内容で、日本は旭日旗の下で残虐な侵略行為を行ったのだから、韓国政府が東京オリンピックでの使用禁止を申し入れるのは当然のことだ、と書き連ねています。
これに対して、日本の外務省が反論の記事を寄稿しました。従来の「言われっぱなし」から少しは脱却したとして、評価する声も聞かれます。
しかし、私は一読して、思わず嘆息してしまいました。文頭からいきなり謝罪なのです。
「ダデン教授の意見は、日本が過去の問題を如何に誠実に扱って来たかを見落としている。閣議決定を経た安倍総理の戦後70年談話を見れば、日本が歴史と真摯に向き合い、戦時中の行為にたいする深い後悔の念と心からの謝罪を繰り返し表してきたことを認識すべきだ」
私は海外で外国人を相手に数多くの議論をしてきましたが、日本政府が未だにこのように謝罪から入ることが有効だと信じていることに驚きを禁じえません。
ダデン教授のロジックは次の構成になっています。
日本は戦時中に旭日旗の下で酷いことをした→だから旭日旗を禁止すべきだ
これに対する日本政府のロジックはこうです。
日本が戦時中に旭日旗の下で酷いことをしたことは本当である→しかし、すでに何度も謝罪している→だから許されるべきだ→旭日旗は元々軍隊の旗ではなく、民間で広くお祝いの意味で使用されてきた。
是非読者の皆様に考えて頂きたいと思います。これは反論として有効なロジックでしょうか?謝罪することで、むしろ相手の議論を補完してしまっていることにお気づきでしょうか?
私にとってみれば、これはineffective argument(効果の薄い議論)です。私なら、その部分はすっかり省いて、旭日旗の本来の意味と、現在も自衛隊の公式の旗として世界で受け入れられている事実に集中します。過去について反省しなくて良いと言っているのではありません。意味をなさない議論はすべきではない、という意味です。
しかし、エリート中のエリートが集う日本外務省では、21世紀も20年が経とうとしている今も、謝罪から入る低姿勢ですべての国々と仲良くするのが正しく、国益に資する、と真剣に信じられているようです。事情通の方からそう伺いました。
謝罪から入ることが逆効果になってしまうことがある、それをどうして理解して頂けないのか、私には不可思議で仕方ありません。
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