西岡 力 – 道徳と研究4 被害者のウソ
西岡力
モラロジー研究所教授
麗澤大学客員教授
●経歴を暴かれ、失った説得力
前回の本欄コラムで「自称被害者もウソをつくただの人間に過ぎない」として、私はこう書いた。
〈道徳上の謝罪は自称被害者、弱者にするものではなく、いいかえると彼や彼女たちの主張に対してするのではない。ただ、自分が道徳的罪を犯したと自覚したとき自発的に心の底からわいて出てくるものだ。
そこで突き当たるのが自称良心的支援者はもちろん、自称被害者もウソをつくただの人間に過ぎないという真理だ。キリスト教とユダヤ教の共通する経典である旧約聖書に「あなたたちは不正な裁判をしてはならない。あなたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない。同胞を正しく裁きなさい。」という言葉がある。正しい裁きは弱い者を偏ってかばわない、という教えだ〉
私は月刊『文藝春秋』平成4年4月号で、最初に名乗り出た元慰安婦の金学順さんについて、『朝日新聞』が書いたような「女子挺身隊として戦場に連行され」慰安婦にさせられた被害者ではなく、親が前借金をしたことによって慰安婦になった貧困による被害者だと書いた。その論文は関係者の間で静かに、しかし、強い衝撃を与えた。T弁護士ら運動家らは金学順さんを「説得力がない」として表舞台にあまり出さなくなった。それに対して金学順さんは不満だったようだ。
一つのハプニングがあった。時間が経つので詳細は思い出せないが、たしか、このようなことだった。北朝鮮出身の元慰安婦が初めて日本に来て反日集会が開かれ、金さんは客席に座っていたが、呼ばれもしないのに勝手に舞台に上がって、他の韓国人慰安婦を押しのけて北朝鮮慰安婦と抱き合い、カメラのフラッシュを浴びるということがあった。
また、『文藝春秋』に論文を書いた直後に、韓国の太平洋戦争遺族会の幹部が訪日し、支援者を通じて私に面会を求めてきた。殴られるのかなとも思ったが、都内の喫茶店でお会いしたところ、「先生の論文は素晴らしい。これはみな事実です。金学順はキーセンであって強制連行の被害者ではありません。私は数日前、彼女に会っておまえはキーセンだから引っ込んでいろと怒鳴ってやりました。慰安婦の強制連行はありません。徴用で強制連行された私が言うのだから間違いありません」と語り、持参した『文藝春秋』に私のサインがほしいというのだ。
●付け加えられた経歴
韓国では平成4年1月の宮沢喜一総理の訪韓の頃から、慰安婦問題への関心が急に高まり、名乗り出る人が増えた。そのころ、ソウル大学の安秉直教授が、反日運動団体の挺対協(挺身隊問題対策協議会)と共同で名乗り出た元慰安婦について学術的な聞き取り調査を行った。その調査結果の証言集が平成5年2月に韓国で出版された。私はその本をすぐ入手した。まだ日本語版は出ていなかった。
まず、金学順さんの聞き取りを読んで、驚いた。訴状に書いていない新しい経歴が付け加わっていたからだ。本コラムの2回目に引用したように、彼女は平成3年12月に日本政府を相手に戦後補償を求める裁判を起こした。そのときの訴状で自身の経歴について、「金泰元という人の養女となり、14歳からキーセン学校に3年間通ったが、1939年、17歳(数え)の春、「そこに行けば金儲けができる」と説得され、(略)養父に連れられて中国に渡った。(略)何度も乗り換えたが、安東と北京を通ったこと、到着したところが「北支」「カッカ県」「鉄壁鎭」(の日本軍慰安所だった)」と書いていた。
ところが、証言集では、養父に連れられて中国に行ったという部分まではほぼ訴状と同じだったが、北京で降りたことになっていて、そこで日本軍によって強制連行されたとして、こう話していた。
「北京に到着してある食堂で昼食をとり出てくる時、日本の軍人が養父を呼び止めました。数名いた中で階級章に星二つをつけた将校が、養父に『お前たちは朝鮮人だろう』と聞きます。養父は私たちは中国に稼ぎに来た朝鮮人だと話しました。すると将校は、金儲けなら自分の国ですればいいのになぜ中国に来たと言いながら『スパイだろう? こっちへ来い』と言って養父を連れて行きました。
姉さんと私は別の軍人たちに連行されました。路地一つを過ぎると無蓋のトラックが一台止まっていました。それには軍人たちが40人から50人ぐらい乗っていました。私たちはそのトラックに乗れと言うので乗らないと言いましたが、両側からさっさとかつぎ上げられて乗せられてしまいました」(韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編『強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たちの証言集Ⅰ』韓国語・図書出版ハンウル93年2月、なお、日本語版があるが翻訳に難点が多いのでここでは原版を西岡が翻訳した)。
被害者もウソをつく。私は少し大げさに言うと魂を揺さぶられる思いがした。私が『文藝春秋』論文を書いたから金さんは経歴を加えたのだ。
このことを発見した私は、テレビの深夜討論や月刊誌、単行本でそのことを明らかにした。貧乏の結果、親に売られて慰安婦となり戦場で日本兵士に売春をし、日本人弁護士らに利用されてあたかも強制連行の被害者だったかのようにふるまって日本政府を糾弾し、その結果、私にその隠した方が良い経歴を暴かれた。強制連行でないと脚光を浴びないと考えて、突然、訴状にも書かなかった北京での強制連行経歴を付け加え、また、その矛盾を私に指摘された。
単純な同情では正しい道徳的な判断を下せない。道徳を守って生きることは容易ではない。
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