山岡鉄秀 – 道徳二元論のすすめ3 – 安易な謝罪の結末とは
山岡鉄秀
モラロジー研究所 研究センター研究員
●「いわゆる慰安婦問題」から考える
日本的「謝罪と融和」の美徳をそのまま海外に持ち出しても、全く通用しないばかりか、「罪を認めた罪人」とばかりに酷い目に遭わされてしまうことを説明してきました。極論すれば、私企業であれば、何百億円失おうとも、授業料として甘受してもらうしかありません。世界でビジネスを展開して成功したいのなら、避けて通れない道です。
しかし、これが外交となると話が違ってきます。政府が闇雲に謝ってしまうと、大きく国益を損なうことになってしまいますから、納税者である我々国民も他人事ではなくなってしまいます。
その典型的な例がいわゆる慰安婦問題です。
宮澤喜一という人は、東大法学部以外は大学ではないと思っていたらしく、早稲田大学出身の政治家の前で「早稲田大学って入学試験あるんですか?」と平気で言うような人だったそうです。
その宮澤喜一氏が首相だった頃に、それまで地下でくすぶっていた慰安婦問題が爆発しました。宮澤首相が初の外遊先として選んだ韓国訪問直前の平成4年(1992年)1月11日、朝日新聞は朝刊1面トップで、「慰安所の軍関与を示す資料」が見つかったと報じました。それまで日本政府は、慰安所は民間人が運営しており、軍の関与はないと説明して来ましたから、矛盾が露呈したことになります。
ただ、資料をよく読めば、軍の関与と言っても、衛生管理や悪質な業者の取締りなどの分野だったので、冷静に説明すればよいことだったのですが、なんとそのわずか2日後に加藤紘一官房長官が記者会見で、詳細な調査もしないまま軍の関与を認めて公式に謝罪してしまいます。
●ひたすら謝罪し続けた総理大臣
おりしも当時、「済州島で軍隊を動員して朝鮮人女性を村から拉致して強制的に慰安婦にした」という吉田清治という男の告白で韓国では反日感情の火が燃え上がりつつありましたから、そこに油を注ぐ形となってしまいました。すべて計画的に行われたと私は考えます。
その頃日本で仕事をしていた韓国系アメリカ人の知人は、その吉田清治の本を購入して読んだそうですが、すぐに嘘だと思ったそうです。そこに書かれていたことが、彼が少年時代を過ごした朝鮮の光景とかけ離れていたからです。
事実、後に吉田清治の証言は全て嘘であったことが証明され、日本では慰安婦強制連行説は信じられなくなりました。
しかし、宮沢首相は訪韓中になんと8回も謝罪してしまったのです。文字通り、ペコペコしてひたすら媚を売ったのでした。その時の報道を私もテレビでちらっと見た記憶がありますが、宮沢首相が「申し訳ございませんでした。反省しております」と言っていたのを覚えています。
●安易な謝罪は国際社会では命取り
こんな時、総理大臣としては本来どう対応すべきだったでしょうか?毅然として、「本件については責任を持って調査し、結果をご報告します」とだけ言えばよかったのです。そして、訪韓中はそれ以上話題にしない。これが常識です。
帰国したら、全力で調査し、一次資料に基づいた客観的な報告を行う。半年や一年かけても構いません。そうしたら、その当時でもかなり客観的な事実を確認できたでしょうから、それを淡々と韓国政府に対して説明すればよかったのです。
一国の総理大臣に正式に謝られた方はどう思うでしょうか?「総理大臣が謝るのだから、本当に違いない」と考えるのが当たり前です。
前述した韓国系アメリカ人の知人が私に言いました。「もし本当にそんなことをされたのだったら、ちょっとやそっとのお金をもらっても済まないと思っちゃいますよ。韓国人ならね」
良く調べもせずに、脊髄反射のように謝罪を連発した日本政府。あれから30年近くも経ち、慰安婦強制連行説は虚偽だとわかり、朝日新聞も関連記事を撤回したというのに、未だに日本は世界中からこの問題で非難され続けています。
結局、英語が堪能と言われながら、国際感覚がゼロだった宮沢総理。その安易すぎる謝罪は、日本と日本人の名誉を深く傷つけてしまいました。
国際社会では安易な謝罪は命取りになる、というお話です。日本人はビジネスでも外交でも、基本的に同じような失敗を繰り返しているのです。
そして21世紀に入って20年近くが経った今でも、日本人はその問題をよく理解できていないと思うのは私だけでしょうか?
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