山岡鉄秀 – 道徳二元論のすすめ2 – 日本的道徳心と国際社会
山岡鉄秀
モラロジー研究所 研究センター研究員
●曖昧さは国際社会では通用しない
私たち日本人は、日本語で話したり、書いたりしながら、その趣旨が字面の意味とは異なることがあることをどれだけ理解し、また、意識しているでしょうか?
特に謝罪の言葉は、あくまでも相手を慰めたり、その場を丸く収めたりするのが目的で、必ずしも自分の責任を認めているとは限りません。また、責任という言葉を使う際も、必ずしも自分に問題を起こした責任があると認めているとは限りません。大体において曖昧で、真の目的は「相手に誠意を示して、良好な人間関係を築くこと」だったりします。
この曖昧さが、日本人同士では有効に機能するのですが、国際的には重大な誤解を招くことになり得ます。誤解どころか、莫大な損失を招くことにすらなり得るのです。
●ブリジストンに見る事例
日本人なら、ブリジストンというタイヤの会社を知らない人はいないでしょう。そのブリジストンが、ミシュラン、グッドイヤーといったライバルに対抗して世界プレーヤーとなるために、1998年に米国のファイアストン社を買収しました。
ところがその後、タイヤの不良が原因ではないかとされる事故が多発してしまいます。2001年2月時点で、ファイアストンのタイヤを装着したフォードのエクスプローラー(4輪駆動車)の事故による死者は174人、負傷者は700人にも達していました。原因がわからず、タイヤと車のどちらが原因なのかという議論が沸騰しました。
その後、テレビ局が、タイヤの表面が剥がれ落ちることが原因だと報道したことで、米国高速道路交通安全局も本格的に原因究明に乗り出しました。
ファイアストンとフォードは長い付き合いなのですが、ここで対応に大きな違いが出てしまいます。
ブリジストンによる買収によって日本企業になっているファイアストンは、「自分たちにも責任がある」とした上で、「フォード車の欠陥の有無を調査する必要があるので、全体の責任を負うわけにはいかない」との声明を出しました。
私がブリジストンの広報責任者であれば、このような声明を出すことは絶対になかったと思います。このような状況で、「自分たちにも責任がある」というような発言をすることは極めて危険です。自分たちに非がある、少なくともその可能性があることを認めていると取られかねないからです。
実は渡米したブリジストンの海崎洋一郎社長は、極秘にフォードのジャック・ナッサー社長と会い、次のように提案し、合意していました。
「一緒に原因究明しよう。広報活動も足並みを揃えよう。公聴会まで対外的に何もいわず、ブリジストンが先走るようなことがないようにする」
日本的な協調の精神です。
●日本的道徳心が招いた莫大な損害
ところが、フォードは社内に「戦争室」という対策本部を設け、公聴会で証言台に立ったナッサー社長は、まだ原因不明の段階であったにもかかわらず、「自分たちの車にはなんら欠陥はない。すべてタイヤが悪い」と言い放ったのです。
一方、やはり証言台に立ったブリジストン本社の副社長で米国法人の会長兼CEOの小野正敏氏は、「製造工程や品質管理など、あらゆる側面から徹底した調査を実施しているが、現時点では原因の解明には至っていない」という、非常に控えめなコメントをした上でさらに、「自分のつとめは、事故で家族を亡くされた方に謝罪し、一連の問題に責任を持つこと」と明言してしまいました。
小野氏にとって、「謝罪し、責任を持つ」とは、「自分たちのせいとは限らないが、亡くなった方々へのお見舞いの気持ちと同情の気持ちを表現するために謝罪する、また、責任をもって原因究明に努める」という意味だったでしょう。まさに、前述の「空飛ぶタイヤ」のシーンを彷彿とさせます。日本的美徳です。
しかし、米国メディアはこの小野氏の発言を「品質問題に対する謝罪」と解釈し、「ファイアストン側は非を認めた」と大々的に報じてしまいます。巻き起こる囂々(ごうごう)たる非難の嵐のなかで、「タイヤだけの問題ではない」とするファイアストン/ブリジストン側の主張に耳を傾ける人はもはやいなくなりました。
結局、ファイアストンは当局から命じられたとおり76万8000本のタイヤの無償交換に応じ、フォードには274億円を払って和解しなくてはなりませんでした。
日本的道徳心が国際ビジネスの世界において、全く通用しなかったばかりか、莫大な損害へと繋がってしまった例のひとつです。
(経緯は『海外大型M&A 大失敗の内幕』有森隆著 さくら舎より)