西岡 力

西岡 力 – 道徳と研究2 大新聞もウソをつく

西岡力

モラロジー研究所教授

麗澤大学客員教授

●真実と異なる「特ダネ」記事

 前月に引き続き、平成4年(1992)に私が最初に慰安婦問題について論陣を張り始めたときのことを書きたい。朝日新聞は、前年平成3年8月11日に韓国で最初に名乗り出た元慰安婦の金学順氏の存在を韓国メデイアを含む全てのメデイアより先に伝える「特ダネ」記事を掲載した。その記事は次のように書かれていた。

〈日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、16団体約30万人)が聞き取りを始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた〉(下線は西岡)。

 下線部分に注目してほしい。これを読むと、「女子挺身隊」という国家総動員法に基づく公的制度によって戦場に連行された元慰安婦が名乗り出た、としか読めない。ところが、彼女は韓国で行った同年8月24日の最初の記者会見でも同年12月に日本の裁判所に提出した訴状でも、慰安婦になった経緯について、公権力による連行ではなく、貧困の結果、母親にキーセンとして売られ、買った養父によって中国にある日本軍慰安所に連れられていったと語っていた。

 

●『文藝春秋』にて真実を告発

 訴状のその部分を紹介しよう。

〈原告金学順は、一九二二年中国東北地方の吉林省で生まれたが、同人誕生後、父がまもなく死亡したため、母と共に親戚がいる平壌へ戻り、普通学校にも四年生まで通った。母は家政婦などをしていたが、家が貧乏なため、金学順も普通学校を辞め、子守や手伝いなどをしていた。金泰元という人の養女となり、一四歳からキーセン学校に三年間通ったが、一九三九年、一七歳(数え)の春、「そこに行けば金儲けができる」と説得され、(略)養父に連れられて中国に渡った。(略)何度も乗り換えたが、安東と北京を通ったこと、到着したところが「北支」「カッカ県」「鉄壁鎭」であることしかわからなかった。(略)養父とはそこで別れた。金学順らは中国人の家に将校に案内され、部屋に入れられて鍵をかけられた〉

 彼女が訪日して裁判を提起した平成3年12月から翌4年1月、宮沢喜一首相が訪韓して盧泰愚大統領に8回も謝罪した頃、朝日はもちろん、ほとんどの日本メデイアが慰安婦は女子挺身隊という公的制度によって強制連行された被害者であり、日本国に責任があると報じていた。その結果、一時期、日本中が元慰安婦らへの同情と旧日本軍への怒りで満ちた。

 そのころ、私は8月11日の問題記事を書いた朝日のU記者が韓国の遺族会の幹部の娘と結婚しているということを、ソウルまで行ってその幹部に面会して確認した。私は月刊『文藝春秋』平成4年4月号に、金学順さんは貧困の結果、慰安婦になったのであって、公権力によって強制連行されたのではない、あたかも強制連行があったかのように書いた朝日記者は裁判を起こした韓国遺族会の幹部の義理の息子だ、という論文を書いた。

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