野口芳宏・教育実践 – 黒い雨と守り傘
植草学園大学名誉教授
モラロジー研究所教育者講師 野口 芳宏
私が、自分の「道徳授業」として心がけているのは次の五点である。
①実感的必要性に基づく主張であること。
授業者の良心に従い、子供を導く意図を鮮明にすべきだ。
②原則として自分の開発教材を用いる。
教科書、副読本だけではなく、主体的、自主的、個性的に教材を開発し、用いたい。
③議論、討論よりもじっくりと聞き浸る授業をめざしたい。与えるべき知識、情報はきちんと与え、知らせるべきだ。
④日本人としての自覚と誇りを持たせ、先人への感謝と親しみの情を育てるべきだ。
⑤人として、日本人としてかく生きたいという指標、希望、信念を育むこと。
1.主題 「黒い雨と守り傘」
2.その背景
大人の社会では「自己責任」「説明責任」という言葉が聞かれるが、教育の世界では「子供の責任」が問われることは稀である。教師が子供を殴ってはいけないが、子供が教師を殴ってもあまり問題にならない。親が給食費を払わなくても子供は平気で給食を食べる。「子供に罪はない」という訳だが、それだけでよいのだろうか。正義を学んだ子供がそれでもよいのだろうか。
「黒い雨と守り傘」という主題の下に私が展開する授業はかかる風潮への問題提起である。「自分の人生の幸、不幸の大方は自分自身の責任である」との自覚をぜひ持たせたい。
「黒い雨」とは「思うようにならないこの世の実状の譬喩であり、「守り傘」とは自分自身の「意志」の譬喩である。
3.授業の主要な進行
①人は教育を受ければ受けるほど立派になるだろうか。○×を書きなさい。
○か×をノートに書かせる。そうしないと自分の考えが形を持たない。
大方の子供は○をつけ、例外的に×をつける子もある。「そうだよね」と判断を認め、次のようにまとめる。「幼児よりも小学生、小学生よりも中学生、中学生よりも高校生の方が当然立派になると言えるよね。それはそうだよね」
②では次の表を見よう。
全部でなくこの中の二つでも三つでもよい。提示はまず小学生の数値、次に中学生、最後に高校生というように先を隠して見せていく。驚きや意外性に気づかせる技法である。
「教育を受ければ受けるほど、悪くなる」—ということにもなりそうだ。どうしてこんなことになるのだろう、と誘い込み、五分ほどの話し合いをさせてから、全員で考え合う。
③教師の解説を加える。
話し合いをすくい上げる形で次のようにまとめる。
ア これは全体の傾向ではなく、残念な行動をしてしまった子供の数である。
イ 教育を受ければ受けるほど、すべての子供が良くなる「とは言えない」らしいことがはっきりした。
ウ 小さい子供に問題行動が少ないのは、悪い環境から親が守ってくれているからだ。この「親の守り傘」は、やがて子供についていけない時が来る。守り傘の下から子供は抜け出す形で成長をしていくからだ。行動範囲が広がっていくのだ。
エ 行動範囲が広がるにつれて「悪い環境」も増えてくる。成長につれて子供は「黒い雨」、つまり望ましくない様々の刺激に出合うことになる。
④そこで考えてみよう。人を悪の道には誘わない「白い雨」だけなら問題はない。だが、「黒い雨」がこれから先、まったく降らないようになるだろうか。ノートに○か×を書いてみよう。
○と×の比率は学年により、クラスによって違ってくるが、どこでも×の方が多くなる。
理由について5分ほど話し合わせ、「黒い雨」は絶対にこの先も降り続くだろうとまとめる。
「世に盗人の種は尽きまじ」(石川五右衛門)のとおり残念ながらこれが娑婆の定めである。
⑤では、「黒い雨」の降り続くこの世の中で、その「黒い雨」に汚染されずに生きることができるか。○か×を書きなさい。
よくよく考えて判断しなさい。
全員が○をつけるクラスでありたいが、×をつける子もいるだろう。だから「道徳」の授業が必要になるし、おもしろいのだ。
5分程度の話し合いをしたい。×をつけた三人ほどに発言させ、それらへの反論を○側に求めるとよい。
⑥教師のまとめを伝える。「黒い雨」が降り続く限り、汚染されるのは止むを得ない、というのは「責任転嫁」である。そういう娑婆世界でも正しく、清く、美しく生きている人がほとんどである。そのような大部分の人は「黒い雨」から身を守る「守り傘」を、自分で作り、その「守り傘」で「黒い雨」に濡れないようにしっかりと自分をガードしているのだ。「親の守り傘」はもうそこまでは広げられないのだ。
中学生になり、高校生になるにつれて「黒い雨」はいよいよ激しさを増してくるかも知れない。残念なことだが世の中はそんなに美しく綺麗ではないのだ。これからは「自分自身の守り傘」をしっかりと握りしめて、「黒い雨」に濡れないようくれぐれも気を付けなければならない。それは、自分自身の責任なのだ。
4.授業の総括
「黒い雨」に負け、「黒い雨」に濡れて幸せになることは絶対にない。幸せな人生を歩もうと志すならば、自分の「守り傘」を丈夫にするほかはないのだ。どんな雨にも、どんな風にも壊されない、骨太の「守り傘」を自分の心で作らなくてはいけない。この「心」のことを「意志」あるいは「信念」という。
「正しい信念」「強い意志」を持って生活すれば、その人生は必ず幸せに満たされる。絶対にまちがいない。
<『モラロジー道徳教育』NO. 153 平成30年12月1日発行より>