学校・学習

大舘昭彦 – 教科書を使った多様な展開―中学校教材を中心として

 

千葉県教育庁東葛飾教育事務所 主席指導主事 大舘 昭彦

 

 昭和33年、道徳の時間が特設されてからちょうど60年という節目の年に、道徳の時間は、「特別の教科 道徳」としてスタートした。昨年来、特に、小学校では教科化に向けて様々な準備が行われ、筆者が勤務している地域でも、教材の扱い方から指導方法、評価に至るまで、学校ごとに、あるいは教育委員会や研究会が中心となり、様々な研修が積極的に行われてきた。「教科になってどのような点が変わるのか」、「通知表や指導要録はどう記述すればよいのか」、学校へ伺うたびに様々な質問をいただいた。「子供たちにとって、望ましい授業とはどのようなものか」、現場の先生方は教科化されることで、改めて「道徳科」のあり方について問い直しているように思う。

 

1.今、中学校では……

 中学校は小学校より一年遅れて教科化が実施される。今、正にその準備を進めているところであろう。

 

 8月末で地区ごとの教科書採択も終わり、それぞれの学校が使用する教科用図書(以下、教科書)も決定された。検定を通った8社それぞれに工夫された教科書の中から選択された訳だが、その大きさや構成の仕方に違いがあったとしても、いずれの教科書も、読み物教材がその中心であることに違いはないのではないだろうか。中学校においては、その発達段階を考慮してのことであろうが、研究授業などで伺うと、今までの副読本(読み物教材)を用いた授業より、新聞記事や写真、VTR教材などトピック的な教材を用いた授業に出合うことも多かった。授業そのものの実施状況も小学校に比べて課題が見られた。「道徳の授業は難しい」、そんな声をよく耳にしたが、教科となる以上絶対避けては通れないし、今まで以上に充実した授業実践が求められているはずである。

 

2.道徳授業での課題

 団塊の世代の大量退職に伴い、若い教職員が増えている。そんな中で、読み物教材をあまり使いたがらない先生方も少なからず存在する。その理由を問うと、次のような答えが返ってくることが多い。「教科書の話には結論が書かれていて使いづらい」というのである。本来道徳科の授業は、児童生徒に望ましい行為・行動の選択のみをさせることをねらいとはしていない。しかし、新学習指導要領の考え方が示されて以降、アクティブ・ラーニングという言葉が誤って解釈されていることにもつながるが、グループやペア活動などを行って単に話し合いをさせればいいという考え方がある。そのせいか、教材の前半部分だけを示し、主人公の取りうる行動について話し合いをさせ選択させ、その後に答え合わせのように教材の後半部分を読ませて結論とするような授業が、残念ながら見られる。言うまでもなく道徳科の目標は「道徳性の育成」であるから、行為の選択をさせることではないし、単なる二項対立の議論をさせることでもない。そこに存在する理由をしっかりと考えさせることであったり、教材そのものの持つテーマや登場人物の心の変容の理由を考えることであったり、そこから、児童生徒たちにとって新たな学びが得られるようにすることが大切なのである。

 

3.ねらいを明確にする

 指導案にあるねらいを見ると、内容項目そのもののみが書かれているものがある。一時間の授業で、内容項目の全てを学ぼうとすることは難しい場合が多い。例えば「節度、節制」や「友情、信頼」の項目で考えれば、複数の価値が含まれていることがよく分かる。道徳性を示す諸様相の中から、主にどれを中心に取り組むのかを定め、学ばせたい内容を子供たちのレベルで具体的に考え、教師自身が指導のイメージとしてあらかじめ持つことが必要である。

 

 例えば、「二通の手紙」で考えてみよう。(『私たちの道徳 中学校』に掲載)内容は省略するが、この教材で学ばせようとしている価値は「遵法精神、公徳心」である。主人公の元さんが取った行動だけに目を向け、前述したように前半部分だけを提示し、「このとき、あなたが元さんだったらどうしますか」と問う授業を時々見かける。生徒たちは行為の視点だけで考えていくと、規則を守ることを是とせず、思いやりという名の下に、反対に規則を破ることに価値を見いだしてしまう授業となってしまうことがある。「遵法精神」を学ばせなければならない教材で、真逆の学びをさせてしまってはならないし、年間指導計画等のねらいからも大きくずれてしまうこととなる。教師が明確なねらいをもたないことが子供たちの学びを誤った結果へと導いてしまうことを忘れてはならない。

 

4.多様な指導法を実践する

 専門家会議の報告では、多様な指導方法の例として、三つの例が示された。それぞれが独立した型として示されているわけではないが、効果的な授業を創る上で大切にしたいものである。

 

 教科書にある教材を、常に主人公の気持ちを問い続けていくミニ国語のような方法から、様々なものを組み合わせ、より子供たちの心の琴線に触れるような授業にしていくことが大切であろう。例えば、モラルジレンマ教材の「ぜったいひみつ」を用いて道徳的行為に関する体験的な学習として授業を展開する場合を考えてみよう。この教材は「友情、信頼」がねらいとされているが、いじめの教材としてもとらえることができる。詳細は省略するが、登場する主人公二人の会話を、役割演技を用いて即興的に演じさせることにより、様々な気づきを演じた者のみならず、周りで見ている子供たちにも学ばせることができる。一つの教材であっても、その活用方法は決して決まった型があるわけではなく、指導者の願いと創意工夫によって様々に形を変え、より効果的なものへと発展していくのである。

 

 道徳科は、子供たちと共に教師自身も学べる時間である。常に共に考え、学ぼうとする姿勢を忘れず、ねらいとする具体的な姿を持つことができれば、より効果的な授業になるのではないだろうか。

 

参考:荒木紀幸著『モラルジレンマ資料と授業展開 小学校編第2集』(明治図書)

 

<『モラロジー道徳教育』NO. 153 平成30年12月1日発行より>

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