言論人連載コーナー

「表現の自由」に見る法と道徳の関係 – 八木秀次

八木秀次

麗澤大学教授

 愛知県で開催されている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由・その後」が中止に追い込まれた。いわゆる従軍慰安婦の強制連行を示唆する「少女像」や昭和天皇のお写真を燃やす映像が展示されたことへの抗議を受けたことが理由だ。論外だが、放火を示唆するファックスも送られ、犯人は逮捕された。この芸術祭には愛知県と名古屋市の予算が投入されている。文化庁の助成もされる予定だ。中止に追い込まれたことで、主催者側は憲法が保障する「表現の自由」(21条)を脅かす事態だといきり立っている。

 表現の自由は経済的自由などと比べて「優越的地位」を有するとされる。より手厚い保護が必要ということだ。が、表現の自由といえども、無制限のものではない。「公共の福祉」の制約を受ける(憲法12条、13条)。「公共の福祉」の意味するところは、状況によって異なる。法律に反することや他の者の権利を侵害することは許されない。毎年のように新しい法律が作られているが、法律が全ての社会的事象をカバーすることはできない。そこで民法では「公序良俗」(公の秩序又は善良の風俗)という概念を使って、それに反する法律行為は無効とする(90条)。「公共の福祉」の中身においても「公序良俗」は重要な位置を占める。公共的な空間においては私的な空間よりも、当然、より高い「公序良俗」性を求められる。公金だけもらって好き勝手な展示をさせろ、それを制止するのは憲法違反であるという理屈は通らない。中止は妥当であり、それ以前に、この展示を企画したこと自体が問題にされなければならない。

 法と道徳を截然と区別する向きがある。道路交通法における車両の左側通行(17条4号)のように道徳と無縁の法規もある。一方で、道徳と密接な法律もある。同じ「表現の自由」に関して、刑法175条はわいせつ物の頒布を禁止する。刑法175条が「表現の自由」を侵害するとして、その合憲性が問題となった『チャタレー夫人の恋人』事件で最高裁(昭和32年3月13日)は「性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がない」と判断している。刑法175条は「性的秩序を守り、最小限の性道徳を維持すること」が立法目的というのだ。

 わいせつ物頒布もそうだが、閉じられたサークルの中で同好者が行ったとしても罰せられる「被害者なき犯罪」と呼ばれるものがある。その一つである賭博や富くじ発売が禁じられるのは、被害者は存在しないが、賭博や富くじ販売が「国民の射幸心を煽り、勤労の美風を損い、国民経済に影響を及ぼすから」(最高裁賭博開帳図利事件判決、昭25年11月22日)とされる。勤労意欲など経済道徳への配慮だ。もっとも賭博も富くじも、例外が設けられ、公営ギャンブルや宝くじ販売等は認められている。カジノもそうだ。売買春も、当事者が合意すれば、被害者は存在しない。しかし、売春防止法は、「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ」(1条)と、性道徳や善良な風俗を維持することが立法目的であると明確に述べている。

 法律で禁止されていなければ、何をしてもよいというわけではない。憲法はそのような行為まで認めてはいない。法律の中には道徳を包含しているものもある。細かな法律の規定が存在しない場合は、「公序良俗」という道徳を背景とした概念が持ち出され、それによって制止されることもある。今回の一件は、法と道徳との関係についても考えさせる。

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