見まもりと慈愛の言葉を

忙しい現代社会では、共働きが一般的になってきました。両親は仕事に家事、そして子供の世話に地域との関わりと時間がいくらあっても足りません。もう少しゆっくりさせて欲しい……と内心思いながら、社会を見わたせば治安の悪化、不安な教育環境や厳しい経済状況への対応に心落ち着いてはいられない方も多いのではないでしょうか。
ですから、ついつい「おはよう」「元気かい」「何か辛いことでもあったのかい」「大丈夫だ、お前はお父さん、お母さんの子だからな」といった、何気ない言葉かけがおろそかになってしまいます。かけがえのないいのちを授かったあのわが子誕生の感激が、日々の多忙の中で忘れられ、内心では、子供の純粋な真っ正直な健やかな目を、そして強い心を、真っ直ぐに伸ばしてやりたいと思っているのに、顔をあわせれば「ちゃんと勉強しているの?」「お前はぐずだからな」「あの子に負けちゃうよ」「お兄ちゃんはできたのにどうしておまえは」などと負の言葉を連発して、プレッシャーをかけているのではないでしょうか。
人は好意的に見つめられ、言葉をかけられ、関心をもたれていると感じること、つまり、愛情を受け取り、それを養分にして成長するということです。
その子の個性をよくつかんで、愛情溢れる言葉を贈る工夫をしたい。たくさんの言葉は要らないから、つぶさに見つめて、ちょっと間をおいて、今、自分の口から発しようとしている言葉が、子どもの心に「元気と勇気を与える」か、それとも「塩をまき萎縮させる」かを考える間(ゆとり)が必要なのではないでしょうか。子供はプラスのことばや態度をもらうことで勇気や元気を回復し、健全に成長していくのですから。
親が慈愛のこもった言葉を投げかけるためには、いのちを授かったことへの感謝の心をもって、日頃のささいな言動をおろそかにせず、わが子を見守るということが大切だと思うのです。