広中忠昭 – 教科書を使った道徳授業づくり ~登場人物への自我関与が中心の学習~
麗澤大学教職センター講師 広中 忠昭
1.現場の要望から
小学校では4月より道徳の教科化がスタートした。私は現在K市の専門アドバイザーとして小中学校の道徳教育推進のお手伝いをしている。29年度は多くの学校が教科化に向け熱心に取り組み準備を進めてきた。その中で、ある小学校から次年度の教科書教材を使った授業展開を求められた。
初めての教科書である。これまで副読本を中心に授業を行ってきたが、やはり教科書となると不安を抱える教員も多い。
そこで、中学年の教科書教材を使い、登場人物への自我関与が中心の授業を展開することにした。様々な手法が取り上げられているが、やはり読み物教材を使ったこうした授業ができるようになることが大切であると思うからだ。
2.自我関与について
道徳の教科化の議論の中で、これまでの課題として、読み物の登場人物の心情理解のみに偏った形式的な指導が行われてきた例があると指摘された。確かに道徳授業では教師の用意した発問にそって場面ごとに登場人物の心情を考える展開が多かった。では、考え、議論する道徳では読み物教材を使ってはいけないのか。もちろんそうではない。どの教科書を見ても分かるように教科化となってもほとんどの教材は読み物教材である。
この事に関して、帝京大学の赤堀博行先生(前文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官)は、「人物に自我関与して自分との関わりで気持ちを考える」ことが大切だと説明されている。単に登場人物の心情を読み取ろうとするのではなく、自分がその登場人物になりきって教材中の道徳的課題に向き合い、自分との関わりで考えることが自我関与である。こうした学習は子供たちが登場人物に託して自らの考えや気持ちを素直に語る中で道徳的価値の理解を図る指導法として効果的であると言われている。
3.中学年教材「いっしょに、わらっちゃだめだ」を用いた授業づくり(事前活動)
この教材は、前回同様に「いじめ問題」を扱っている。教室内で起こった小さなからかいがエスカレートしていく中で葛藤する主人公が描かれている。どこにでも起こりうる身近な出来事である。4年生で飛び込み授業を行うに当たり、学校に事前に二つのことをお願いした。
・事前に教材を読んでおく。
・この問題をいじめと見るか、各自判断しておく。
いじめというデリケートな問題であり、児童の実態を知る上でも必要と考えたからである。結果は、児童数29名に対して27名がいじめと思うと答えた。そして、残り2人は分からないとした。その理由は、「悪気があるように見えないが一緒になって笑ったのはいけないと思うから」、「人によっては大丈夫かなと思うから」というものであった。
そう思うという理由を読んでも、4年生として非常によく考えているという印象を受けた。登場人物の気持ちを自分に置き換えて考えることもできていることが伝わってきた。この学校がしっかりと子供たちを育ててくださっていることが分かり、襟が正される思いがした。
考え、議論する道徳といってもこうした普段の耕しなしには、なし得ないものである。
4.授業計画(板書型指導案)
今回は板書型の指導案を作成した。
①主題名できたらいいな
②教材いっしょになってわらっちゃだめだ(出典東京書籍四年)
③内容項目正しいと判断したことは、自信を持って行うこと。
④ねらい正しいと判断したことを行う際の誰もが持つ迷いの気持ちに共感し、それでも正しいと判断したことを自信を持って行おうとする意欲を高める。
⑤あらすじ
ある日学級で、みのるがゆうじを「さるに似ている」とからかった。ゆうじはさるのまねをし、ぼくや周りのみんなは大笑いをした。しかし、父の一言をきっかけに、ぼくはゆうじが嫌がっていることに気づき迷う。勇気を出して行動したぼくの姿を見て、からかいはなくなった。
⑥展開(※は学習の意図)
○自分が正しいと思うことをすると、どうなるかを考える。
※学習テーマである「善悪の判断」について意識を高める。
・気持ちいい
・喜ばれる
・自信が出る
・でも、意見が合わないこともある
○教材を読んで話し合う。
「ぼくの学級」でどのようなことが起こったかを話し合う。
※黒板中央に図で整理する。
※教材の持つ道徳的問題について共通理解するため、問題の構造を視覚的に表す。
・元気な、みのるの言葉
・学級中で笑いが起こった
・ぼくも笑った
・ゆうじはサルのまねをした
問い.ぼくはどんな気持ちで迷っているのかを話し合う。(個人班全体)
※「ゆうじの変化」と「ぼくの迷い」を分けて比べる
※「できたらいいな」と「でも、できない」を分けて比べる
〈できたらいいな〉
・みのるを注意する
・ゆうじが嫌がっていることを伝える
・ゆうじに大丈夫か聞く
・笑わない
・あやまる
〈でも、できない〉
・みんなから、なんて言われるか怖い
・みんなに向かって言えない
・一人では無理
・ぼくもあだなをつけられてしまうかも
問い.ぼくがだまって教室を出て行ったことでなぜ、みんなも変わったのか考える。
※ぼくの行動に対する周りの子の行動と理由を分けて比べる
・ぼくの気持ちに気づいたから
・本当は、いけないと気づいたから
・いじわるしたことを反省したから
5.授業の考え方
従来の道徳授業は、教師の用意した発問を繰り返しながら場面ごとに主人公の気持ちや判断を聞くことが多かった。そのため受身になりやすく、心情理解で留まってしまう授業が見られた。
今後は教材がどうであれ、その時間に考えたい道徳的課題について早い段階で共通理解することが求められる。主人公になりきると言っても、「考えさせたいこと」を明確にしなければ主体的に考える授業にはならない。そこで、この授業では教材の持つ道徳的問題を図に示したように構造的に表すことで誰もが容易に問題解決に取り組めるように工夫した。
また、山口県の坂本哲彦先生が提唱されている「分けて、比べる」という考え方を参考に授業を構想した。主人公「ぼく」になりきって素直に自分の考えを発表しても、それらを比べて考えることができなければ互いの学びを深めることはできない。多くの授業が発表で終わってしまう現実に立ち向かわなければならない。中心活動はゆうじの変化に気づいたぼくが正しい行動をしようと葛藤する様子を多面的・多角的に考えることである。この場面でぼくの心情を「できたらいいな」と「でも、できない」で分けて比べるようにした。
6分間という時間を児童に預け、なるべく多くの気持ちや考えを書き出すようにした。その後四分間で意見交換し、話し合いをさせた。私の経験から小中学生が短時間で話し合いを深めることができるのは、せいぜい4人までだと思っている。
子供たちは意見を発表するだけなら3分以内にできる。その上に学年に応じて数分を加え、話し合いを進めるのである。始めは発表が終わって沈黙となるが、次第に話し合いへと移行していく。学年に応じてこうした学習経験を重ねることが大切だと思っている。
6.授業の振り返り
授業の中心活動は先に述べたとおりであるが、この授業では、ぼくの行動によって変容した周りの子供たちについて「その行動と理由」を分けて比べさせた。
子供たちの気づきは、以下のようなものだった。
・ゆうじは、笑わなくなった「ぼく」を見て、優しくなったと思った。みのる君も優しくなったことに気づいて笑うのをやめた。
・ぼくが一人で教室を出て行った姿を見て、自分のしたことが悪かったと感じた。
・ぼくは笑っていた人だった。みんなも影響されていた。ぼくを見て、自分が何をしたのかが分かった。
・人を笑うことの愚かさに気づいた。
子供たちはぼくが迷う気持ちになりきって一生懸命考えた。勇気を出して行った行動を見て周りにこのように深い気づきが起こったことを話し合った。そこで「気づく」という言葉が多くの子供たちから出された。
聞いていて、友達の小さな変化に気づくことのできる素晴らしい子供たちだと感じた。
最後にこれから大切にしていきたいことを書かせて授業を終えた。即、行動に移すと書く子もいれば、他者を意識した上で、自分で判断し行動することを選択する子、自分の心に聞いて自信を持っていきたいと書く子などさまざまであった。善悪の判断の大切さについて一人ひとりが納得する答えを見つけることができたのではないかと思っている。登場人物に自我関与し、学級の仲間と協働して深い学びにつながるような道徳授業をこれからも求めていきたい。
<『モラロジー道徳教育』NO. 151平成30年6月1日発行より>