名づけに悩んだとき――わが子の命名法
最近は文字のとおりに読めない子供の名前が多いようです。もっとも明治のある文豪は、於菟〈おと〉や杏奴〈あんぬ〉と名付け、於菟も息子に礼於〈れお〉や樊須〈はんす〉と名付けたので、驚くようなことでもないのかもしません。
さて、ここから若干オカルトめいた話になります。私の娘と息子、彼らの本当の名付け親は、その時はすでに亡くなっていた祖父でした。妻の妊娠を知る前に、祖父が私の夢の中に現れて、生まれてくる子の名前を示しくれたのです。
娘の誕生と前後して、名前について両親に相談すると、祖父が命名したとおりの名前が何の抵抗もなく通ってしまいました。もちろん、祖父云々の話などはしていません。言っても信じてもらえないと思ったからです。ともかく、娘の命名者は、形の上では私ですが、本当は祖父なのです。
ちなみに、息子のときも祖父が夢に現れました。私は父の名前から一文字拝借した名前を用意していたのですが、夢の中の祖父に伝えると「それ、絶対に賛成されないから」と言って笑いました。事実、私の考えた名前は、父から猛反対を受け、結局、祖父が示した名前に落ち着きました。
以上の話を、子供から名前の由来を問われて話したことがあります。最初のうちは、娘も息子も「またふざけたことを言って……」という表情を浮かべていましたが、私があまりに真剣に話すものですから、最後は身を乗り出すようにして聞き入っていました。子供なりに、会うこともなかった曽祖父の存在に思いを向けている様子でした。折に触れて、「祖先が一人でも欠けていれば、自分は生まれなかったんだよ」と教えていたからかもしれません。
多くの子供たちの名前に触れたとき、私には思うことがあります。子供本人にきちんと話すことのできる理由をもって命名し、なおかつ両親をはじめ多くの人から賛意をもって迎え入れられる名前をつければ、その子の幸せにきっとつながるだろうと。