お蔭さま
道で人に会えば、「お元気ですか」の問いに「おかげさまで、元気に……」と応えたり、手紙にも、「おかげさまでつつがなく……」と記したり、お店の人も挨拶代わりに「おかげさまで」と話したりするなど、「おかげさま」は、日常で頻繁に使われる言葉です。
電車に乗れば、電車を造った人、線路を敷いた人、電気ができるまでの過程に携わった人、駅員さん、挙げればきりがないほど多くの人、先人の「お蔭さま」に気づくことができます。今日、おいしくご飯を食べることができたのは、お米農家、農機具や肥料メーカー、お米の販売店、ガス・電気会社……、それに、おいしく炊いてくれた人など、ご飯に限ってみても、さまざまな人が、見えないところでそれぞれの役割を果たしています。
しかし、最近この「おかげさま」という言葉があまり使われなくなってきているように感じます。
「おかげさま」は、「お蔭さま」と書き表します。「陽のさすところ、必ず蔭あり」という自然の摂理を現しています。自分の目には見えない、気づかない、自分の思いの及ばない「蔭」があり、それが自分を包み、支え、生かしてくださっている……。
自然の摂理を知り、自分の「蔭」に対して、「お蔭さまをもちまして」と 感謝できる人は、世間から信用と信頼を得ることができると断言する人もいます。しかし、「お蔭さま」の心も持つことなく、「自分の努力で成功したのだ」と思い上がっている人、蔭の存在などには目もくれず自己主張ばかりしている人は、往々にして高慢となり、結果的に誰からも信頼されなくなっていきます。
一見関係がなさそうなことも、実は表裏一体で、世の中の全ての出来事は、互いに関わり合ってできているといわれます。その中に自分は存在していて、自分と関係のないものはこの世に存在しないということです。
ですので、自分が善い行いをするか、悪い行いをするかによって、周囲のみならず、それこそ見えないところにまで直接・間接的に影響を与えるとも考えられます。
人は一人で生きているのではない、「もちつもたれつ」互いに影響し合って生きている。先人は、感謝の気持ちを持つことの大切さを知らしめるために、「お蔭さま」の言葉に託して、後世の我々に伝えてきたのではないか――そんな思いがするのです。