マニュアルの向こう側
今日の日本社会では、あらゆることがルール化され、細目にわたってマニュアルが存在し、一見、実に合理的な社会を形成しているといえます。管理統制が図られた官僚社会や大きな会社組織、身近なところではコンビニなども、その権限や責任の所在が明確で書式化も進み、マニュアルに沿った行動で営まれています。
しかし、人間はたびたびミスや勘違い、失敗を繰り返す生き物であり、完璧な機械ではありません。誰かのミスにより大きなトラブル、そして人災と言われる重大な惨事さえ何度も繰り返されています。残念ながら、完璧なマニュアルが存在していたとしてもなかなかその通りに出来るものではありません。
何度も失敗する人もいれば、慣れているために、ついウッカリとミスをする人もいます。周りにいる人がちょっと助けてあげれば済むことも、管理社会では、そうしたミスに対して、叱責し、ミスをした人の責任を問い、その人への「口撃」が始まってしまいます。その結果、どこか殺伐とした人間関係が広がり、冷たい雰囲気となってしまいます。
そこで忘れてならないのは、みんなどこかに不完全さをもった人間が、お互いに助け合って社会が成り立っている、という基本ともいえる謙虚さです。
「人のふり見て我がふり直せ」ではありませんが、失敗や欠点が見えるのは、自分にもその要素があるから見えるともいえます。他人の欠点や誰かの失敗を目にしたとき、さり気なくカバーして、必要に応じて手助けする。“他人の欠点我これを補充す”。そのうえで、その人がよくなるようにと、こっそりと注意やアドバイスをすることも必要かもしれません。そして、その人の失敗や欠点は決して、他言すべきではないでしょう。
マニュアルやルールを守るというごく普通のことに加え、他人の失敗や気がついたことに対して真心を持って対処する。そんな人間関係で築かれた職場や社会は、信頼と協調が保たれることでしょう。それはどんなにすばらしいマニュアルにも優る徳目ではないでしょうか。
ちょっとの行動で、すがすがしい気持ちになれる小さな実行の輪を拡げていきたいものです。