地球は亀の甲羅の上に乗っている
「大地は4頭の象が支えるお盆の上にあり、その象たちは巨大な亀の甲羅の上に立っている……」
これは「地球平面説」と呼ばれる古代の宇宙観です。もっとも現在では、地球は丸く、太陽を周回していることを知らない人はまずいないでしょう。
今から10年以上前、私の娘が小学校低学年だった頃のことです。宇宙や地球について習ったという話をしていたとき、私は、何の気なしに「亀さんの背中の上に象さんがいて……」という宇宙観を話してしまいました。娘は当然ながらそれを否定してきました。
いたずら心も手伝って、さらに「象の上の地上」の話を続けると、娘は「それでも地球は丸いんだモン!」と怒り出しました。今にして思えばひどい話なのですが、実はこのとき、私には娘に伝えたかったことがあったのです。
「我々は虹を見ても、未開人が抱くような敬虔な気持ちを持つことがない。
なぜならば虹がどうしてできるのかを知っているからだ。
我々はそうしたものを詮索することによって獲得したのと、同じだけのものを失っている」
というマーク・トウェイン(アメリカの小説家。1835~1910)の言葉にもあるとおり、自然に対する畏敬の念を忘れてほしくないという思いです。
人間は他の動物と違い、知識と智恵を持ちます。宇宙は無限に広がり、銀河の端で地球は太陽の周りを回っている。そして地上には無数の動植物が生きている――。しかし、そうした知識を持っているにも関わらず、人類は地球と宇宙を汚し続けています。そこで私はこう思うのです。
“多くの人は、地球が無限の宇宙にあると思うからこそ、ごみを無限に捨てるのではないか。地球が象や亀の上に乗っているというイメージを持てば、ゴミを投げ捨てはしないだろうし、悪化した環境の中で生きていかなければならない他の動物がいると思えば、地球を綺麗に使い、環境保護を心がけるのではないだろうか“
科学の視点から見れば、「亀の上の地上」という宇宙観は笑い話のようなものです。しかし、倫理や道徳の視点で考えれば、先人の考え方は間違ったものではないのではなかろうかと私は思っています。
余談ですが、現在私の娘は鳥類学者を目指して勉強に取り組んでいます。その道に進むきっかけに、父親の与太話がいくらかでも影響を与えていたのではと、密かに喜んでいます。