水を飲めるのは誰のおかげかな
7月の上旬、学校近くの道路で水道管の取り替え工事がありました。6年生は、校外学習の帰り道に、迂回して学校に戻ることになりました。その時、子供たちは「こんなに暑いのに遠回りかよ」と口々に言いながら、作業する作業員の姿を見ながら不満顔で通り過ぎました。
その様子を見ていた校長先生は、子供が全員通り過ぎるのを見届けた後、「ありがとう、暑いのにご苦労さま」と笑顔で声をかけました。作業員の方々は校長先生の言葉に笑顔で小さくうなずきました。
学校に着くと、子供たちはみんな争うように、水飲み場に殺到し、蛇口に口を近づけ、水を飲みました。
一段落した後、校長先生は「校外学習の話」をする予定でしたが、急遽変更し、次のように話し出しました。「今、学校近くの道路が工事中で、みんなは遠回りして学校に帰ってきました。みんなは疲れていて不満顔で工事現場を通り過ぎたね。そして今、みんなは、喉が渇いたと、我先に水道の蛇口をひねり、水を飲みましたね。みんなは何も感じないようだから言いますが、蛇口をひねって水が飲めるのは、誰のお陰ですか? あの水道工事をしている人のお陰ではないのですか」
3人の担任の先生方も恥ずかしそうに聞いていました。
その日の夕方、6年生のA君は、お母さんと外出してその水道工事の迂回道を再び通りました。その時、A君は校長先生の言葉を思い出し、「ありがとう」と声をかけて通り過ぎました。その瞬間、作業員の方々は笑顔でうなずきました。この時のことをA君は個人ノートに書いて担任に伝えました。(A)
<『モラロジー道徳教育』NO. 150 平成30年3月1日発行より>